14.『リディアーヌ・グレスフォード』の登場
14.『リディアーヌ・グレスフォード』の登場
深い闇に包まれた森の中を激しい音を立てて馬車は疾走していた。手綱をにぎり馬用の長い鞭を小脇に抱え、四頭の馬車馬を器用に操るのはグレスフォードの使用人マリヌス・ルッベ少年である。トレードマークの大きなハンチング帽を風に飛ばされないように目深にかぶっている。
彼の頭の上では森の木々たちが両手を広げて覆いかぶさってくる。次から次に襲い掛かってくるその大きな影から逃げるように彼は頭を低くしていた。
やがて緩やかなカーブに差し掛かると、木々の合間に草むらが見え隠れする。ルッベ少年が頭を持ち上げると三角帽をかぶった高い二本の塔が見えた。ソルマント教会だった。彼は鞭を取ると同時に手綱を振るった。空を切るを音を響かせて鞭を振るうと馬車馬のお尻をたたき上げる。馬車馬は悲鳴をあげるとさらにスピードを上げていく。馬車の屋根に取り付けられていた二つのランプの炎が激しく揺れ、光はあちらこちらへとあらぬ方向へ飛んでゆく。
馬車の車内にもランプがひとつ天井に取り付けられていた。ランプに照らし出される車内には軽くカールした金色の髪をもつ女性がひとり椅子シートに腰を下ろしていた。その髪先はあらぬ方向に跳ね上がっている。彼女のブルーの瞳はランプの光を受けつややかに輝いていた。堀の深い目元にまっすぐに伸びた眉、厚く柔らかい血色のいい唇をもっている。しかしこの時はその唇をきつく結び、分厚いノートとメモを睨み付けながらなにやらぶつぶつと独り言をつぶやいている。
天井のランプが慌ただしく揺れ始め、シートががたがた音をたてはじめた。彼女はふと目を上げ、揺れるカーテンを開きガラス窓に顔を近づけ外を見やった。流れゆく木々の隙間にソルマント教会の影が見えた。
彼女は軽くため息をつき、正面のカーテンに手を伸ばしカーテンを開いた。ガラス窓の向こうのルッベ少年の影が激しく揺れている。前面のガラス窓を開くと彼女の金色の髪は風を受けて激しくなびいた。
「ルッベ!もっとゆっくり走りなさいよ!落ち着いて考え事もできやしない!!」
「リディア、だってソルマント教会がすぐそこだろ!!」
「だからなによ!まいどまいど、同じところでスピード出されたんじゃたまったものじゃないわ!」
「なにいってのさ、いつも屋敷に着いたら高いびきのくせに!」
「なんですって!?」
「…それに、今日は寄進品集めの日だ!」そういうとルッベ少年は帽子のつばをあげ、高く上りゆく月を見た「…このままだと墓守とはち合わせだ!!」そういうと忘れていたとばかりに鞭を振るった。馬車の車輪が軋む音をあげた。
「ふふふ、なに?あなたも墓守のことが怖いんでしょ?」
「な、こわくてなんてないさ!!僕は…、僕は…」ルッベ少年は思わず、墓守をグレスフォードの屋敷に招き入れた日のことを口にしかけた。墓守はどこにでもいそうな、間の抜けた若い男だった。執事長のコールリッジもあきれたほどだ。しかしそのことはコールリッジから誰にも話してはならないときつくいいきかされていた。ましてやリディアーヌ・クレスフォードの耳に入ったらと思うと……。少年はかぶりをふった。
「とにかく僕は、怖くなんてないんだ!!」
「あら、そう……」そっけなくそういうとリディアは身を引き、体を車内にもどしてカーテンを閉めた。
「フン!!」ルッベ少年は鼻息荒く手綱を握りなおした。
「ウアアアアアァァァァァ……ルッベェェェェェ……ルッベェェェェェ……」
ルッベ少年は振り向き声を上げた。カーテンの隙間から毛むくじゃらの腕が伸び、今にも彼の肩を掴もうとしている。
「うあぁ!!やめろ!やめろお!」
「ルッベェェェ…」身を引くルッベを追うように腕が右へ左へ動いている。
「やめろ!……やめろよ、リディアなんだろ!?」
カーテンが音を立ててさっと開かれた。
「あら?ばれてた?」
「わかるにきまってるだろ!?変なことするな!!」
「なに涙目になってるのよ、ふふふ」
「涙目にもなるさ……、だいたいこんなに遅くなったのもリディアが悪いんだ!!昨日の夕飯までには帰る約束だったじゃないかあ」
「それは昨日あやまったじゃないの。わたしだって予想外だったのよ、まさかリビングストーンの商業ギルドのやつらがあんな心の狭い人たちだったなんて!」
「そんなの決まってるよ、組合なんて結局は自分たちの利益を確保するためにあるんだろ?父さんが言ってたからね。それに予想外も何もリディアは後先考えずにいつも行動するじゃないか……」
「生意気いうわね、思いついたら即行動!!これが私の信念なの!!見なさい、この毛並…今回はいいもの見つけることができたわ」リディアは灰色の柔らかいふくらみを撫でながらいった「これは、北東の商人がもってきたものよ、北から来たってだけでギルドの連中から鼻であしらわれてたの、でも私は違うわ。重要なのはどこから来たかや誰が持ってきたかじゃない、重要なのはこの質よ…こういう価値のあるものを一つでも多くみつけるの」そういうとナディアは毛並みを頬に当てその滑らかさを堪能した。
「でも、その毛皮どうするの?」
「いい、さっきからそれを考えているのよ!!」リディアはカーテンを閉め深く腰を下ろした。いまだランプは激しく揺れていた。
いつのまにか床にメモが一枚落ちていた。彼女はそれを拾い上げた。『今日は墓守が寄進品集めに来る日だったのね……』窓の外は暗闇が広がっていた。いまにも墓守があらわれるかのような静けさ……『夜が…、この暗闇をみんなは恐れてるだけよ…墓守はそこに生きているだけ…触れてみないと…なにもわからないわ…。』彼女は毛皮を見つめ、細く白い指先で毛並みをなでながら、ふと窓の外に目をやり暗闇の中に墓守の姿をさがした。
リディアーヌ・グレスフォード。グレスデンの町の中でも数少ない、墓守を恐れない女性だった。