11.スプリング・ヒールド・ジャック-『カスパー・ハウザー6』‐
屋敷を取り巻いていた町の人間たちは、今か今かと徒弟たちを待ちわびていました。町の噂が人々の好奇心に火をつけて、どうなるものかと事の顛末を心待ちにしていたのでした。
やがて灰色の煙が屋敷から滲み出てきました。
「おい…、火がついているんじゃないか?」
「ああ、そうだな…」
若い男が二人、松明の下でそういうと屋敷に向かって歩みだしました。それにつられるように町の人々は屋敷を取り囲む輪を縮めていきます。屋敷の半開きの扉から煙が噴き出し始めると、ドアを激しく開き煙を纏った男が飛び出してきました。手からおびただしい赤い血を流しています。
目に涙を浮かべ腰から崩れ落ちる徒弟を支え男は問いかけます。
「どうしたんだ?!なにがあった?屋敷に火がついてるんじゃないのか!?」
「悪魔だ、火が…火が…!!」そういうと彼は近くの松明を奪い取ると煙吹き出す屋敷の中へ投げ込みました。「全部焼き尽くすんだ!!なにしてるんだ、すべて灰にしてしまわないと…!!」
目に涙を浮かべ崩れ落ちる徒弟を支えていた男はあたりを取り囲む男たちの顔をみました。徒弟の様子をみて周りにいた男たちはただならぬ事態に陥っていることを感じ取りました。
「ほかのやつはどうしたんだ…?」
「みんな…死んだ……。そうに決まってる!!生きてあそこを出てくることなんてできないんだ!!俺は見たんだ、恐ろしい炎の塊が人間を吹き飛ばすのを!!何をしてるんだ!?はやく屋敷ごと灰にしてしまわないと!!」
男はそう叫ぶとさらに松明を奪い取り屋敷に投げ込みました。
煙の向こうに赤く火が登るのが見えました。
男たちは顔を見合わせると意をけっしたようにハウザー家の屋敷に火を放ち始めました。いたるところから松明が宙を舞い、屋敷に投げ込まれていきます。窓ガラスの割れる音が響き、炎が屋敷の中を赤く照らし出しています。
乾ききった枝葉のような屋敷は恐ろしいほどはやく炎に包まれていきました。
徒弟は離れてそのようすを見ていました。汗と涙でぬれた顔を血で染まった自らの両手で拭いながら笑い声を上げ始めました。屋敷を眺めながら歩き回ります。
「ハハハハ!!灰にしてしまえ!!全部燃やしてしまえばいい!!」
屋敷を包み込んでいた煙を吹き飛ばすかのように炎が夜空に舞い上がります。月を揺らし、夜の闇に轟音をとどろかせていました。
徒弟は安心したのか、膝を地面につけました。荒い息をしながら無表情に地面を眺めています。
そのときなにかが爆発するような音が響き渡りました。落雷のような激しく地面を揺るがす音を聞き徒弟は肩を縮めました。
「あ、あれはなんだ……?」まわりの人間の呆けた声が徒弟の恐怖をよみがえらせました。おそるおそる人々が指さす方へ顔を向けます。
まるで炎に染められたかのような赤い空がありました。すさまじい音は屋根が吹き飛んだ音でした。火の粉がまるで雨のように人々の上に降り注いでいます。赤く揺れる人々の顔は屋根の上、炎の中にうずくまる黒い影に向けられていました。
「ああ……そんな……」恐怖のあまり徒弟はその影から目を逸らすことができなくなりました。影のなかの青い灯火が自分を見つめているのを感じ取っていました。
「あれか?あれが…悪魔か!?」
周りの男は徒弟を見つめます…。
「だめだ……。もう逃げられない……」徒弟は力なく腕を垂らすとうつろな目からただただ涙を流していました……。
『みろ!みろ!!カスパー!あれが人間どもだ!!炎に照らし出される奴らの顔がいかに醜悪な面構えか見て取れるだろう!?』
降り注ぐ火の粉の中、人々が自分を見上げるのを彼はじっと眺めていました。どこからともなく女たちの悲鳴が上がりました。赤くちらついていた顔が消え去りカスパーに影を向けちりじりに逃げ始めました。
『これが悲鳴というやつだ。さあ、やつらの魂に恐怖を刻み込んでやるんだ、お前の姿をやつらの瞳に焼き付けろ!!いそげ!やつらが逃げちまうぞ!!』
カスパーは両手を広げ、首を伸ばし獣のような咆哮を夜の闇に響かせました。屋敷を包み込んでいた炎が渦を巻き夜空に高く駆け上がりました。すさまじい音が高く遠くまで響き渡ります。
『さて、おつぎは…そうだ、あそこに俺様たちを見上げる子羊が一匹いるだろ?奴を狩るんだ!!やつらの魂に俺様たちの恐ろしさを刻み込んでやれ!!生きたまま地獄の恐怖を味あわせてやるんだァァァァァ!!』
カスパーは屋根の端に一歩踏み出し姿勢を低く身構えました。カカトに体重が乗ると力が体中にみなぎりました。
鉄の弾ける音とともに屋根が吹き飛びました。赤い火の粉が夜空に舞いあがります。風を切る音をたて、黒い影が闇の中を疾走します。