11.スプリング・ヒールド・ジャック‐『ヴァルハラの鉱石』と『安息のツルギ』‐
『ヴァルハラの鉱石』と『安息のツルギ』
むかし、イングランドにホイットマンディー・ハウザーという鍛冶屋がいました。彼はとても腕がいいので『キング・オブ・ブラックスミス』と呼ばれていました。数十人の徒弟に、美しい妻ステファーニ、彼はその名声を欲しいままにし、人生を思いのままに生きることができる数少ない人間だったのです。
そして、彼の妻は臨月を迎えていました。もうすぐわが子が誕生する。彼は人生の絶頂期にいたのです。
ですが、ある夜すさまじい嵐とともにやってきた男が彼の家のドアをノックしたのでした…。
ホイットマンディーは暖かい居間の椅子に腰かけぼんやりと妻の後姿を眺めていました。つまは暖炉の前の揺り椅子に座り大きなおなかをさすりながら、幸せそうな笑みを浮かべて編み物をしていました。
外では恐ろしいほどの風が吹き荒れ、窓には大粒の雨が当たって音を立てていましたが、ホイットマンディーの耳にはまったく聞こえていませんでした。この日徒弟たちを早くに帰らせ二人きりの静かな、幸福な時間を過ごしていたのです。
ふと彼の耳にドアをノックする音が聞こえたような気がしました。
『だれだろう…、こんな夜更けに…』
彼は窓を見ました。風が窓を揺らし、雨水が流れ落ちています。
『気のせいだろう…、こんな嵐の中訪ねてくるものなどいるものか…』
そう思ったとき、彼の耳にはっきりとドアを激しくノックする音が聞こえました。徒弟に出るように言おうと腰をあげたとき、みなを嵐が来る前に帰らせてしまったことを思い出しました。
『ああ…、まったくこんな時に…』そう思い玄関へ行こうと部屋のドアへ歩み寄りました。
「あら、どちらへ行かれるんですか?」怪訝な顔で妻のステファーニが彼に問いかけました。
「聞こえなかったのか?誰かがドアをノックしただろ?こんなときに訪ねてくるんだ、よっぽどの急用かもしれない」
「いえ、わたしにはノックなんて聞こえなかったわ、それにここまでノックが聞こえるはずないわ。外は嵐よ?」
「いや、確かに聞こえたんだ。ちょっと見てくる」
そういうとホイットマンディーはドアを開き、階下の玄関へ向かったのでした。ドアを眺めながら歩を進めていると、確かに鉄のドアノックを激しく叩く音が響いていました。
ホイットマンディーがドアを開けるとそこに黒いローブを纏った大きな男が立っていました。青い顔をして堀の深い顔…。男の顔を見つめたとき大きな雷鳴とともに稲光がそとを明るく照らし出しました。すると男の顔が一瞬薄青く透き通り、肌の下に恐ろしい頭蓋骨が透けて見えたのです。
ホイットマンディーは思わず声をあげそうになりました。しかし声を上げることができませんでした。まるで首を絞められたかのような気分でした。
「夜分遅くすまないな…」そういうとホイットマンディーの目の奥を深く見つめるように男は目を見開きました。
「お前にひとつ、頼まれてほしいことがあるのだ…」
ホイットマンディーは首を振ろうとするのだが体が硬く石のようになって動かない。まるで恐怖が彼の心を脅しているようだった。彼は首を縦に振った。彼はこう決断せざる得なかった。そうすることでしか体を動かすことができなかったからだ。
「そうか…」男は楽しげに笑った。まるでこれで親友だといわんばかりだ。
「剣を作ってもらいたいのだ」
「ええ、ええ…かまいませんとも、ただ…、いま注文が立て込んでまして…」頭の中でこの仕事断る算段を必死に探しました。
「なに、どれも徒弟にやらせればいい仕事ばかりだ、それよりも俺の持ってきた仕事はお前にしかできない。魅力的な仕事…」男はローブの中から一塊の鉱石を取り出しました。「ヴァルハラの鉱石だ…」男がその鉱石をホイットマンディーに差し出しました。
「ヴァルハラ…」ホイットマンディーは吸い寄せられるように手を伸ばしました。その鉱石はずっしりと重く銀色に輝いています。ぼんやりとあたりに白い光を投げかけながらもあらゆるものを光の深淵へと吸い込もうとしているかのようでした。
「そうだ、名前くらいは知っているだろう…。神々の宮殿…。英雄たちの殿堂と言われている。戦いに明け暮れた英雄たちの魂を迎え入れ、死してなお戦い続ける定めを負わせる…」男は薄気味悪い声をあげて微かに笑いました。まるで天国と言われる場所でありながらその場所は地獄だといわんばかりの冷笑です。
「こ、これで…なにを作れと…」ホイットマンディーは信ぜずにはいられませんでした。目の前の鉱石の輝きは確かにこの世のものと思えなかったのです。そして彼の心の中の好奇心、野心、自尊心…、すべての人間的な感情がヴァルハラの存在を求めているのを感じ取りました。
「剣だ…『安息の剣』…」男はそういうとまた懐から何かを取り出した。それは薄汚れた一冊の本でした「お前の知りたいことはここにすべて書かれている…」
「ああ…」ホイットマンディーは首を振った…「おまちください、安息の剣とは…『レクイエムソード』と言われているもののことでございましょう。この世にひとつといわれている…それがどのようなものかも知られていません。ただの伝説…」
「ならば、その眼で確かめてみるがいい」男は手に持った本をホイットマンディーのまえに突き出した「さあ、手に取れ、契約を交わそうじゃないか…」本を手に取りそれを手の内で開いた。
ホイットマンディーはだまって書物を閉じる、ヴァルハラの鉱石を書物の上にのせ差出した。
「どうやら…わたしには無理のようだ…。この書物には何も書かれていない…白紙だ…」
ホイットマンディーはくやしさと恥ずかしさをその表情に浮かべた。屈辱…。まるで自分が否定されたかのようだ。自分は選ばれなかった…。
男がそれを受取ろうとしたときホイットマンディーが身を引いた。汗が額に流れ、口惜しいかのように身をこわばらせている。渡したくはなかった。
ヴァルハラの鉱石の輝きを見て心動かされない鍛冶屋がいようか…?伝説の剣と聞いて心動かされない鍛冶屋がいようか…?わたしのように一流の腕を持つならなおさら…たとえ、依頼人がこの悪魔のような男であっても…。
このままわたしのような一流の鍛冶屋が鉄や鋼を打ち続けて一生を終えてしまうのか?
わたしのほかにこの鉱石を扱える人間などいないはずだ…!!
「どうした…?作りたいのだろう…。諦めきれぬのだろう…。俺はこの時をどれほど待ち望んでいたことか…」
男は冷笑交じりに話する。そして言った。
「教えてやろう、レクイエムソードは唯一、不死を断つことができる剣だ―――。」