29勇敢なる者たち-2-
自警団副隊長カールの妻リゼットは、一人キッチンに立ち白い平皿にスープを流し込んでいた。木製のお盆にはすでにパンがのせられており、スープをその隣におくとエプロンで手を拭い両手でお盆を持ち上げた。
事件以来、カールは食事をほとんど何も口にしていなかった。スープを少し口にするのが精いっぱいのようだった。しかし、今晩はきっととても長く感じられることだろう。なんとしても食事をとってもらわなくては……。リゼットは肩で息をするとお盆をきつく握りしめ二階へ上がる階段へと向かった。
そのとき聞きなれた靴音が階上から聞こえてきた。ふとリゼットは足を止める。階上の足音は階段を叩きながら降りてくる。
リゼットの瞳が驚いたように見開かれた。
自警団の制服を身に着けたカールが手に帽子を抱えて階段を下りてくる。
「あ、あなた……そのかっこう……?」
「ああ……」カールはまるで言葉を探すように瞳を動かし、小さな言葉を発した。
「ちょっと……あなたは行く必要なんてないでしょう?ひどい目にあったんだから、大丈夫よ。みんなに撒かせてけば、あなたは病気なんだから……」
「病気……?」
「そうよ!あなたはとても恐ろしい思いをしたのよ。食事ものどを通らない、ずっと暗い部屋に引きこもっていたじゃないの、いつものあなたじゃなかったわ!」
「わたしは、怯えていただけだ……。自警団なんて、自分の仕事の傍らやってるやつもいる。でも、わたしにはこれしかないんだ。グレスデンの自警団副隊長なんてちっぽけな存在かもしれない……。でもわたしにはこれしか……。誇りなんだよ、唯一わたしが人に誇れるものだ。君だっていつも誇りに思うっていってくれてただろう……?」
「でも……」
カールは帽子を被り、リゼットを見つめた。
「自警団副隊長が部屋に引きこもって、シーツにくるまって震えているわけにはいかないんだ」
リゼットはうつむき、肩の力を抜いた。手に持っていたお盆をテーブルに置くとゆっくりとカールに近づき、その胸に顔をうずめ抱きしめた。
「いい……、かならず戻ってきて。あなたはわたしにとって唯一人に自慢できる誇りなんだから……」
「ああ……わかってる、わかってるさ。かならず戻ってくる」
「じゃあ、これ…… 」リゼットはお盆にのせたパンを手に取りカールの眼前に突き付けた「これくらい食べられるわよね、その痩せ細った顔を何とかしてちょうだい、男前がだいなしだわ」
「そ、そうか?」カールはパンを手に取ると、リゼットの目を見つめながらパンにかじりついた。口の中は乾ききっていたが、乱暴に咀嚼し飲み込んだ。
「それから、これ!」リゼットは扉のそばに立てかけてあったサーベルを取り上げた。
「今日、自警団の男の子が持ってきてくれたのよ、あなたが休んでいる間に鍛冶屋で手入れしてくれたらしいの。彼いっていたわ、手入れもされていないサーベルだと、自警団副隊長の尊厳と名誉に傷がつくって……、あなたは尊敬されているのよ」リゼットは涙で揺れる瞳をカールに向けると笑みをみせた。
「ほ、ほんとに?ほんとにそんなこといっていたのか?」
「当り前よ……嘘なんてつくもんですか!」
カールは笑みをリゼットに向けるとサーベルを手に取った。
「いってくるよ、かならず帰ってくる!」カールはそういうと扉を開き石畳に足を踏み出した。
リゼットは石畳を叩くカールの足音を聞きながらゆっくりと扉を閉めた。
うつむくリゼットの瞳から涙が流れ落ちる。
「お調子者……、ほんとうに……バカなんだから……」
カールは靴音を響かせながら歩いた。道すがら幾分硬くなっているパンにかじりついた。ふと足を止めるとサーベルに目を向ける。なんだか少し気持ちが軽くなっている気がした。リゼットの笑みが思い出される。
「わたしは、もう怯えてなんていない……わたしにしかできない仕事があるんだ。おびえている暇なんてない。わたしは自警団副隊長なんだから」
そうつぶやくと、カールはまた歩き始めた。
しかし、彼の行く先は自警団詰所でもなくバルバドスでもなかった。彼の行く先はタムズの肉屋、松明を持つ町の男たちとは真逆の方向へと足を向けていたのである。その足元にはうっすらと靄がかかり、霧が漂い始めていた。