7.-デスダスト-
キッチョムは小屋に戻ってくるとドアを後ろ手にしめた。ドアにもたれかかりぼんやりと天井を眺めている。棚の上にある大きなガラスの瓶を眺めた。三つ並んだ大きな瓶はすでに二つが空になっており、残る一つには緑色のパウダー状の粉が半分ほどになっていた。デスダストだった。死人の腐敗を防ぎ、傷を癒す。
キッチョムはデスダストがこれほど少なくなったのを見たことがなかった。減らしたのは自分だったがどうすることもできなかった。いつの間にかデスダストを作るのをさぼるようになっていた。作ろうと思うのだが、作らなかった。ただの怠慢に思える。自分が情けなく思えた。
ドアから背中を離すと大きな黒々とした窯に近づく。キッチョムが見上げるほどの大きな鉄の塊だ。両開きの扉は重く、一度に開くことはできなかった。片方ずつ身を入れて扉を開くと、内側にもう一つの鉄の塊、二重の窯になっているのだった。そこにも扉がついていた。小さな鍵穴のついた扉だ。
襟元に手を突っ込み鎖のついた小さな鍵を取り出した。鍵を鍵穴に差し込みまわしすと窯がガタガタと音をたてた。両側から鉄の杭が二本飛び出す。キッチョムは杭を掴むと一本を上に引き上げ、もう一本を下に引き下ろした。ガタリという音とともに鍵が外れ扉が浮き上がり隙間から赤い光が漏れ出した。
扉を開くと格子状の鉄の枠が現れる。その真ん中に赤い水晶玉がある。だがその水晶玉は赤く見えるだけだ。窯の中に炎がありその水晶玉を通して炎をみることができるようになっているのだった。
キッチョムはその水晶を覗き込み炎を見つめた。キッチョムの顔が赤く照らし出される。水晶を通してみる炎はさかさまに映し出され、まるで滝のように流れ落ちている。
キッチョムの瞳の中にも炎が映し出された。炎がどんどん強くなっていく…トグロを巻いて上も下もわからなくなる。窯がガタガタと揺れ始める。炎の奥底から人の悲鳴が聞こえ始めた。キッチョムは耳を澄ます。そして瞳を閉じた。
突然、窯が吹き飛んだかのような凄まじい音がキッチョムの耳に響いた。炎はキッチョムの足元を音を立てて走り、凄まじい風を巻き起こした。雷鳴が響き渡る…。
キッチョムはゆっくりと瞼を持ち上げた。すでにキッチョムの立っているのは墓守の小屋ではなかった。天がわれたかのような赤い落雷が幾重も走り。遠くから止むことのない悲鳴が聞こえる。黒い土の地面に赤い血が湯気を立ててながれていた。焦げ臭いにおい、微かに硫黄のようなにおいが混じっている。まるでデスダストのようなにおいがした。ここは地獄だった。
いや、地獄の入口だ。そうエギオンは教えてくれた。そして墓守は地獄の入口からけっして足を踏み出してはならないと…それは墓守のタブーの一つだ。
何世代遡るのだろうか、昔一人の墓守がいた。彼の名前はそう、『ルカ』だ。地獄から『地獄の炎』を持ち帰った男だ。どうやって生きたまま地獄へいったのだろうか?いまや第2の窯に収められている地獄の炎を通して墓守たちは地獄の入口にたつことができるようになっていた。
当時デスダストを作るためには何年も時間をかける必要があった。しかし、ルカの持ち帰った地獄の炎はたった七日でデスダストをみごと完成させたのだ。そしてその炎はけっして消すことはできない…。永遠に…。
キッチョムの耳にエギオンの声が聞こえる…。子供のころキッチョムはエギオンと共にこの地獄に来たことがあった。少年だったキッチョムは恐怖で震えていた。目に涙をためながらずっとエギオンの足にしがみついていた。
『何世代にもわたり墓守は命を懸けてきたのだ。デスダストを少しでも完璧なものにするために…。見るがいい、ここが我々の聖地だ…』
キッチョムは辺りを見渡した。どこを見渡しても同じ景色、雷鳴と悲鳴、血の河と吹きすさぶ風。どこを向いても不思議と正面から風が吹いてくる。
『いいか、キッチョム約束してくれ、決して掟に背かないと…。掟は墓守が命を落とした証拠だ。ルカのようにすぐれた業績は残せなかったが、彼らはわたしたちにいくつかのタブーを残したのだ、わかるな?』
少年だったキッチョムにはよくわからなかった。でも頷いた。この場所がとても恐ろしかったからだ。
エギオンは地に膝をつけるとキッチョムに目線を合わせた。優しく微笑んでいる。
『もう帰ろう…』
その言葉を聞くとキッチョムの瞳から自然と涙がこぼれ落ちた。エギオンにしがみつくと何度もうなずいた。
『帰ろう…。墓守は地獄の入口からけっして足を踏み出してはならない。ここが地獄の入口だ。私たちが入ることが許されているのはここまでだ…』
…キッチョムはゆっくりと目を閉じた。雷鳴も悲鳴も、燃え盛る炎の音も遠くなっていく…。
…つぎに瞼を開くとキッチョムはもといた小屋に立っていた。