第2話:キャメラ子の異能力『映し鏡』
リリリリッ――ッ! 古びた黒電話のベルが、10畳間ほどの事務所に鳴り響く。
受話器を取った小豆畑 泰臣は、丁寧で穏やかな営業口調で話す。しかし神経質を体現したような眼は、鋭い光を放ちながら彬子を見据えていた。
(ああ…チクチク痛い視線。地の果てまで射抜かれそうだわ)
少年を抱っこしたまま、彬子は小豆畑のデスクの横に立っていた。
先生から叱られるのを待つ、生徒の心境である。
数分で通話を終えた小豆畑は、そっと受話器を戻す。
撫でつけたオールバックの黒髪にそっと触れ、再び鋭い視線を彬子に向けた。
「俵積田さん、あなたは浮気調査へ向かった筈ですが?」
太めの黒縁眼鏡が、レンズの奥の眼光を際立たせる。
「は、はい…」
「ここは、浮気調査会社だと知っていますね?」
錐を研いだような刺さる圧に、彬子は背中で滝汗を流した。
腕組した小豆畑は、人差し指をビシッと子供に向ける。
「迷子の子供は交番に届けるのが筋でしょう!!」
「ですよねっ!」
ヒャッと首をすくめ、彬子は目を瞑った。しかし負けじと半歩前に出る。
「で、でも、事情があるんです。それも、ふかーい事情が!」
「ほお? そのふかーい事情とやらを、説明していただけますかな?」
小豆畑の視線を真っ向から受け止め、ゴクッと生唾を飲む。
(ちゃんと説明すれば、きっと理解、納得、了承してくれるはず――だわ!)
心の中で、気合のこもる握り拳を震わせた。
一呼吸置き、
「実は…」
彬子は逢引き宿での出来事を詳細に語った。
私見を語らず、ありのままを述べる。
聞き終えた小豆畑は、眉を顰め渋面を作って唸った。
「そいつぁ、大事になってるんじゃないかい?」
下駄の音を軽快に鳴らしながら、日本松 喜親が事務所に入ってきた。その後ろに2名ほど社員が続く。
「社長」
彬子はホッとしたように軽く会釈する。
「その子が、死体の傍にいた子かい」
「はい」
少年はぼんやりとした表情のまま、おとなしく彬子に抱っこされていた。
日本松は少年をちらりと見て、くるりと踵を返す。
「おめーらみんな、俺の部屋にこい。今日はもう営業終了だ。扉に札、かけときな」
「判りました、社長」
小豆畑は立ち上がって、すぐさま札をかけに行った。
モダンで瀟洒な建物が居並ぶ、銀座一丁目の洒落た赤レンガビル。
3階の社長室に足を踏み入れると、まるで機械仕掛けの実験室のようだった。
「さて彬子、その子から何か話は聞き出せたのかい?」
「いえ、ずっと無言で…」
彬子の隣に座らされた少年は、相変わらず虚ろな表情のまま。言葉も発しないし、手足も凍ったように動かなかった。
「ふむ」
日本松は正面から少年を見据え、そして彬子を見た。
「キャメラ子で、この子を撮影しな」
膝上に揃えた手がぴくりと反応し、心臓がドクンと跳ねた。
「……判りました」
彬子は少年のほうへ身体を向ける。
(もし本当に、この子が犯人だったら……)
手にしたキャメラ子を、躊躇いつつも少年に向けた。
歯車が起動し、時を刻むような音が室内に響く。キャメラ子のレンズが、円をなぞる様にキラッと光った。
「判らねえことは、ゴチャゴチャ言っててもキリがねえからな。だったら、キャメラ子で撮っちまえば話は早い」
「サキガケ堂を支える唯一無二の、特殊なカメラだもんねぇ」
向かい側に座っていた永露 伊久磨が、奇麗な貌でにっこりと笑う。
日本松も満足そうに頷いた。
(この子があの場でなにをしたか、容赦なく暴き出す。”過去の記録を映像として映してしまう”異能力――『映し鏡』)
ふいに、足元からゾワッと冷たいものが這いあがる。えもいわれぬ不安感に包まれた。
(どうしてかしら、なんだか、知るのが怖いわ…)
キャメラ子は何を撮ったんだろうか。
(ヘンね、初対面の子なのに、こんな気持ち)
軽く自嘲が漏れて、彬子は苦笑を浮かべた。
5分ほどして撮影が終わり、キャメラ子を膝の上に戻した。
「終わりました」
「よし、この銀幕に繋げ、小豆畑」
「はい」
キャメラ子を受け取り、小豆畑は手早く銀幕とキャメラ子を接続した。
カーテンが閉められ、室内が薄暗くなる。
「映します」
キャメラ子のスイッチの一つをカチリと押す。
真っ白な銀幕に、セピア色の映像がふわっと投影された。
*** 一幕 ***
ギィっと軋むような音を立てて扉が開かれた。
「もう、何回するおつもり?」
「時間いっぱいかな――なんだ!?」
「きゃっ」
寝台で重なり合っていた男女が、驚いた顔で闖入者に顔を向けた。
にっこりと愛らしい表情を浮かべた少年が、果物ナイフを手に室内に入る。
扉は誰か別の人間の手で、速やかに閉じられた。
少年はゆっくりと寝台に近づいた。人差し指を口元にあて、そっと口を開く。
「おじさんとおねえさんは、僕に刺してほしくて立ち上がる」
少年は台本を読み上げるような言い方をした。
すると、2人は困惑した表情をしながら、言われた通りに寝台から出て傍らに立った。
「ナイフで刺されちゃうと、いっぱい血が”どっぱー”っと溢れる。だから、2人は仲良く死んじゃうんだ」
視線だけを彷徨わせる2人の腹部に、少年は躊躇なく深々とナイフを刺しこんだ。
目を激しく泳がせた男女は、声も出さず小さな呻きを喉で鳴らす。そして俯せに倒れた。
やがて板張りの床に血が這い流れて、血だまりを作っていった。
少年はあまりに現場に似つかわしくない、無垢な笑顔を天井に向けた。
*** 二幕 ***
窓から差す光が白く滲み、室内の影を際立たせていた。
窓辺に立ち、男は後ろで手を組む。
「私の事業に邪魔になる男だ。今のうちに排除してしまいたい」
男の後ろに立つ小さな人影は、微動だにせず話を聞いていた。
「お前にしか出来ないことだ」
男は振り返る。
暗い中に、冷たい眼光がしっかりと人影を見据えた。
「いいか、今日もしっかり務めを果たしてくるんだ」
「はい、父上」
無表情で少年を見下ろす青年。そして能面のような表情をした少年――
***
ガタッと大きな音を立てて彬子は立ち上がった。映像がふつりと途切れる。
「あき……ちゃん?」
いきなりのことに永露がびっくりした顔で、真向いの彬子に声をかけた。
彬子は身体を震わせる。そして、両手で頬を抑えた。
赤く塗られた唇が鎮まると、彬子は掠れるように声を漏らす。
「直秀……なの!?」
愕然と呟き、ソファに倒れ込んだ。
「あきちゃん!」
「彬子!」
永露と日本松が、慌てて腰を上げた。
「しっかりおし!」
彬子の傍にいた久多良木 美桜が、慌てて支える。
小豆畑は急いで部屋を出て行った。
「大丈夫かい?」
荒く息をつき、彬子は青ざめた顔で頷こうとする。心臓が忙しなく鼓動を速めた。
小豆畑が持ってきた水を飲んで、落ち着きを取り戻す。
「すみません……」
絞り出すように言って、そして彬子は傍らの少年を見つめた。
騒ぎにも動じず、変わらぬ虚無の表情。柔らかで赤茶けた髪の毛、白磁の肌。幼く愛らしい顔立ち。
胸にせり上がってくる、言葉に出来ない感情の塊。
目元が喜びに溢れ、引き寄せるようにして抱きしめた。
少年の背に回した手が、ギュッと服を掴む。そして愛おしむ様に、少年の頭を何度も優しく撫でた。
感動に震えるように、彬子の頬を涙が伝う。
「直秀なのね……私の…赤ちゃん」
彬子の言葉に、皆絶句した。




