第7話/99話 「別離 これまでと、これからの」②
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会計を終えたイサオとアタシは店を後にする。
別に一緒に来たわけではないけれど、帰り道は県営住宅の前を通るので、まあ一緒に帰る。
買いたくなるような算数の問題集は見つけられなかった。後日、ママに車でバイパスの大きな本屋まで連れて行ってもらおう。宝文堂だか金港堂だか忘れたけど、そんな名前のやつ。
サアサア、と。
雨が降り続いている。
イサオは、アタシの薦めた参考書の入った紙袋を、濡れないように大事そうに抱えている。
団地の坂の歩道は狭く、横になっては歩けないので、2つの傘が前に行ったり後ろに行ったりしながら、適当な雑談をする。
県営住宅の前で、それじゃあまたな、とイサオ。
それにしても、とアタシは言う。
「引っ越しかあ。寂しくなるね」
「中学上がる時だって。2年以上も先って、言ったのはお前だろ」
「そうだけど。……みんな、いなくなるからさ」
「……そうだな」
県営住宅以外にも貸家や安い集合住宅も多い団地であるから、家族で少し良い環境に引っ越して、転校する子は多かった。もちろん親の転勤なんかもあるけれど。
今の4年生の人数は3クラスで100人と少しくらい。
1年生から3年生までで、引っ越した同級生の人数は40人以上。アタシが覚えているだけで。
「ユウジも、レイコも、ノゾミも、サトシも、ヒロトシも、タケウチも、アツシも、村上の方のマコトも、ヤスヨも、ミオも、サトミも……。……っぐ」
そこまで言ったところで、――言葉が、詰まる
胸が重い。締め付けられているようだ。
何かが心にせりあがってくるのを感じる。
郷愁だろうか。感傷だろうか。寂寥だろうか。
口に出して言うのは良くなかったかもしれない。悲しい気分に酔ってしまうから。
少し息が荒くなっているのを感じる。鼓動が速くなっているのを感じる。
「……ごめん。……感情的になった」
「いいって。その、なんだ、オレだって気持ちは分かる」
「……アタシだって、わかってるんだよ。転校していった子たちは今住んでるところより大体良いところに行くんだって。……だから、おめでとうって、みんな言うじゃん。さよなら、と同じくらい、おめでとうって」
「うん」
「一軒家に住んでるアタシが言うことじゃないって、わかってるけど、それでも……。県営に住んでる子とか、その親が、普段口には出さないけど、もっといいところに住みたいって思ってることくらい、知ってるけど、それでも……」
おそらく余計なことを言っている自覚はある。
その言葉が目の前の男の子と、そのプライドを傷つけているかもしれないことも。
「さびしいんだろ。わかるって」
「……うん」
アタシの言えないわがままな感情を、あっさり補ってくれる目の前の子は、間違いなくすごく良い奴なのだ。
より良い環境へ羽ばたこうとしているその子と家族を素直に応援できない自分は、はっきり言ってクソだ。
自己嫌悪と、自制しなければという気持ちと、それでも抑えきれない、過去にアタシたちの前から去っていった友達の顔や別れの情景が無数にフラッシュバックし、アタシの心をかき乱す。
「なんつう顔してんだよ。グチャグチャじゃん。泣くなって」
「……っ! ひぐっ…。……泣いてない」
眼鏡を外して、ズズズ、と鼻をすすり、トレーナーの袖、ひじのあたりでゴシゴシと顔を拭く。鼻水と涙で少し汚れる。
「泣くなら、こう、実際会えなくなる時にしてくれよ。感動的な、ドラマみたいなやつ。今から泣かれたんじゃ、単に心配なんだが」
「ないわ。……もう大丈夫だから」
「……ずっと先の話だってば。親父の仕事が順調ならって話でもあるんだし」
「……いつも、置いていかれたような気持ちになる。残されるアタシだけが前に進んでいないって。ずっとここにいる人も多いのに。裏切られた、までは言わないけど」
「まあ、そうかもだけど。……ここを出ていく方だって、行った先でここと同じように生活するだけなんじゃないか。何も変わらない」
「……そうなのかな」
「多分な。あんま考え過ぎんなよ。最近暗いってみんな言ってるぞ。ガリ勉ばっかりで、遊びに誘ってもこないって」
「うん。……うん。気を付ける」
誘われた覚えはないけれど。
「あ、みんなには、だまっててくれよ。お前みたいに泣かれちゃ困るし」
「泣いてなんかいないって。秘密にはしておくから」
算数の本、ありがとな、と言ってイサオは去っていった。
サアサア、と。
雨が降り続いていた。
〇
第7話/99話 「|別離 これまでと、これからの」 終




