第6話/99話 「衝撃 それがアタシの体を叩く」
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アタシはお姫様が嫌いだ。
物語のお姫様が嫌いだ。
王子様と結ばれるのが結末だから。
不幸な境遇を自力で動かしたりしないから。
自分で成れないものだから。
私のところへ王子様は来ないから。
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5月26日(水)
ギイイッ……
実際に音はしていないのだが、なぜか鳴るように感じる重い扉を開け、独特のにおいがする部屋――放送室――に入ると、ヨリコちゃんが座っていた。
アタシが部屋に入ってきたのに気付いたヨリコちゃんは顔をあげ、にっこり笑うとひらひらと手を振る。
「こんにちは。ヨリコちゃん」
「こんにちは。あれ、今日もシオリちゃんが担当なんだ?」
アタシがあいさつをするとヨリコちゃんも返してくれるが、その笑顔は言葉の途中で少し怪訝そうな顔になる。
「え、うん。今日『も』ってどういうこと?」
「私が4年生と一緒に放課後残る時は、いつもシオリちゃんとだなあって」
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放送委員会の人数は9人。4年生、5年生および6年生の各3クラスから1人ずつ。
まあ正確には「放送・新聞委員会」なので、新聞担当が別にいるのだが、放送担当は9人。
仕事は、昼の給食の時間に校内放送で音楽を流すこと、夕方の下校の時間にアナウンスを入れること。
他に臨時の放送を入れることもあるけれど、基本的にはその2つの仕事を9人で回している。
それぞれ毎日、昼と夕方、各2人ずつ。
昼の当番は人気があった。
放送室の隣の資料室は膨大な数のカセットテープやCDが置いてあり、そこから昼に流す曲を選ぶのだが、自分で持参した曲を流しても良かった。
自分で持っていなくとも、友達のCDを渡されてリクエストされることもあれば、レンタル店のCDをダビングしたテープでも良いのである。
自分の好きな曲を流せる、趣味を押し付けても良い、人によっては最高の仕事である。
この昼の仕事を狙って放送委員をやりたがる子供も多かった。
まあ異物を排斥する、閉塞感に溢れた田舎の団地の子供たちであるから、そこまで冒険した、常識に外れた、はるか未来で電波ソング等と呼ばれる物の類はまず流れないのだが。
アニメソングですら、相当に気を使われていた。
オタクやマニアという言葉が、菓子のおまけのシールで子供を釣り、殺した男の事件により、暗いイメージしかなかった頃である。
一方、放課後の当番は人気がない。
お受験なんぞというものにはほぼ縁のない団地の子供たちであるから、少数の習い事を除けば、放課後は友達と遊んでいる子が多かった。
遊びたい盛りに退屈な放送室や教室で待機して、無駄な時間を過ごすのは子供には耐えられないのだ。
よほどのぼっちか根暗でもなければ。
放課後残らなければいけない日があるというのが最大のネックである。
また昼の仕事に人気があると言っても、4年生は必ず上級生と一緒に委員会をしなくてはいけないから、流す希望の曲はほとんど通らないという噂もあった。
よって、放送委員は人気のある委員会ではない。
昼に好きな曲を流すために放送委員になるというよりは、放課後残らなくてはいけない罰ゲームがあるかわりに、昼に好きな曲を流すご褒美がときたまある委員会。
4年生のアタシたちの間ではそんな認識だった。
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しかし、委員会の同じ学年の間では話し合って担当を入れ替えることが認められていた。
放課後の仕事が苦にならないという人間がいれば話は変わってくる。
まあアタシのことである。
1組と2組の委員の子たちに、アタシは自分の昼の当番を譲り、彼女たちが入るはずだった放課後の当番を引き受けていた。
どちらが持ちかけた話だったかは忘れてしまったが、4年生の3人で「昼の仕事は良いけど、放課後残る時は大変だ。」旨の話をしていた時に、冗談めかして頼まれ、そのまま引き受けてしまったような気がする。
アタシは頼まれたことはなるべく断らないようにしていたし、別に断る理由はなかったから。
どうせ家に早く帰ったところで、クソみたいな祖母しかいないのである。
あ、いや、違った。祖母はいるかいないかわからないので、家にまず帰れるか、入れるかわからないのである。
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アタシが当番を代わっている事情を説明すると、ヨリコちゃんは、うーん、と眉間にしわを寄せた。
「ええ……。シオリちゃんはそれでいいの?」
「アタシ、別に早く帰っても仕方ないし、昼に流したい曲とかも無いからこれでいいの」
「そう? 昼の当番の方がみんなやりたいっていうんだけど。無理しないでね」
「無理してないから大丈夫」
「……一応きくけど、いじめられてたりしないよね?」
「まさか。ないない」
「だって、放課後なんて、塾とか習い事とか宿題したり、友達と遊んだり、やりたいこといっぱいあるのに。平気なの?」
「習い事してないし、宿題はここでもできるから。だから大丈夫」
友達のことは何も言えなかった。
家が近くで仲良かった友達のミオちゃんは3年生の初めで転校してしまったし、頻繁に互いの家で遊ぶ親友だったサトミも、4年生に進級するときに転校してしまった。
サトミはみんなの人気者だったし、大勢で遊ぶときはアタシも誘ってくれて、必ず一緒にいたように思う。
彼女がいなければ、複数人で遊ぶときにもアタシはおそらく参加していない。
サトミがいなくなって、4年生になってからの2ヶ月、アタシは他人の家に行ったこともなければ、家に友達を招いたこともない。
同じクラスのユミちゃんは、駄菓子屋で会った後日「シュンくん連れてうちに遊びに来なさいよ」とニヤニヤしながら言っていた。「私、ウソつくのきらいだから。今度遊ぼうって言ったし」と。
家は知っているが、なんか嫌な感じだったので「じゃあシュンを行かせるから、いつ?」と聞いたところ「あんたが来なきゃ意味ないじゃない」と返された。
そのうちね、と言ってある。
「シオリちゃんがいいならいいけど……。無理やりとか、そういうのだったら、絶対言ってね。あなた、体も小さいし、思ってること言えなさそうだし……。お姉さんは心配なのです」
「うん、ありがと。心配しないで」
芝居がかった口調のヨリコお姉さんに笑顔で返す。
友達について突っ込まれないかと内心冷や冷やしてはいた。
ヨリコちゃんの表情からは、心底アタシを心配する様子しか読み取れない。
アタシは単に家に帰る時間を遅らせたいし、他に行くところもないから放課後当番は都合が良いだけなのに。
なんだか申し訳なくなるので話題を変えたい。
「6年生は明日からしゅうがく旅行って聞いたよ。帰ったらじゅんびしなくちゃいけないのに大変だね」
「準備はほとんど終わってるから大丈夫よ。今日は早く寝るだけ」
「どこいくの? ディズニーランド?」
「会津だよ。ディズニーとか行くのは中学生かな」
「ふうん」
アタシは『アイヅ』がどこにあるのかも知らない。
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コンコン。
ヨリコちゃんと話していると、ノックされた放送室の扉を開けて、顧問の先生が顔を出した。
「お、今日の当番は初鳥さんか。確か同じクラスだったよね。ちょうどいいや」
そう話す先生は一人の背の高い男子を連れている。
緊張してかたい面持ちのその男子は、クラスメイトである私の顔を見て、表情を崩す。
ほとんど話した記憶はないけれど、それでも見知った顔は安心するらしい。
美雲アキタカ。
先日、前の席のスズちゃんが「王子様として迎えに来るイメージを持てる人」としてあげていた男子こと「アキくん」はこいつである。
アタシはあまり好きではないけれど。というか、よく知らない。
「美雲はいつも音楽室でラッパの練習をしてるんだけど、しばらく5年生が合唱で使うんで、音楽室は使えないんだ。スタジオ使わせてもらえないかって言われてさ」
放送室。
みんなが一言で放送室と呼ぶこの部屋。
実際は、放送機材が置いてある機械室と、ガラスに壁、分厚い扉で仕切られた『スタジオ』と呼ばれる部屋に分かれている。
スタジオは壁と床がコルクのボードで出来ていて、防音の作りになっていた。機械室とを隔てるガラスも分厚い防音ガラスである。年1回の聴力検査に使うこともある。
「あ、わかりました。シオリちゃん、お友達?」
先生に軽く了承したヨリコちゃんが、アタシに尋ねる。
「同じクラスの美雲くんです」
別に友達ではない。
「美雲です。練習するのでスタジオを使わせてください。よろしくおねがいします」
手短な挨拶をした美雲くんは、肩に持っていたかばんを機械室の机に置く。開くと、中から金色に光る大きなラッパが顔をのぞかせた。
「おお、トランペット」
ヨリコちゃんが顔を突き出す。
興味津々といった様子だ。
「真剣に練習すると結構大きな音が出るから、練習場所の確保が大変なんだと」
先生が事情を説明、補足する。
美雲くんはラッパとともに持参した、数枚の乾いた雑巾を手に持つと、スタジオの重い扉を開けて中に入り、一角にそれを敷き詰めた。
機械室へ戻ってきた美雲くんはラッパを取り出す。
「ねえ、曲とか吹けるの? 何か吹いてみせてよ」
「あ、はい。じゃあ中で」
ヨリコちゃんの質問に笑顔で答えた美雲くんは、そのままスタジオへ入る。
せっかくなので、アタシと先生もそのままついていく。
「えーと、何を吹きましょうか」
先ほど敷いた雑巾の上に立った美雲くんは、ラッパをカチャカチャキュッキュとやりながら尋ねた。
落ち着いた穏やかな笑顔である。
「何が吹けるのかわからないから、好きなの聞かせてくださいな」
「わかりました。じゃあドラゴンクエスト吹きます」
有名ゲームタイトルの名前を言った美雲くんは、そのまま、つい、と顔の前にラッパを構えた。
準備や練習とか要らないのだろうか。音楽の時間にリコーダーやピアニカと格闘する自身が頭をよぎる。
そんなアタシに関係なく美雲くんはラッパを鳴らす。
――ファァァァン……
すきとおった、――という表現が正しいか、音楽に疎いアタシにはわからないが、ともかくそう感じる、優しいラッパの音色が室内を満たす。
アタシが『一瞬だ』と感じるほど、あっという間に澱みなく、美雲君は、日本人なら誰もが聞いたことのあるゲームのテーマソングを吹き終えた。
「他にも何か吹きますか?」
「Jポップとかもいけるの?」
「井上陽水とかドリカムなら練習したことあります」
「お、じゃあそれをお願い」
ヨリコちゃんの注文に答えた美雲くんは、その後も流行りの曲を数曲吹いてくれた。
どれも、奏でられるメロディーに全く迷いも澱みもない。
まあアタシがわからないだけかもしれないけど。
「すげ~……。楽譜も無しに。美雲、お前やるなあ」
「うん。すごいね美雲くん」
先生の称賛に、アタシも素直に乗っかる。
「ありがとうございます」
上手く吹けたかわかりませんけど、と美雲くんは付け足した。
「ああ、美雲は練習に来たんだった。あんまり邪魔しちゃダメだな」
このまま放っておくとアタシたちがリクエストし続けそうだと思ったのか、先生は美雲くんを気遣ってそんなことを言う。
正直、このまま色んな曲を吹いてもらいたいと思っていたのが本音である。
「そうね、ありがとう美雲くん。練習がんばって」
名残惜しそうに、先生の言葉に同意するヨリコちゃん。アタシたちは機械室に戻った。
「じゃあ、下校の放送入れる前に美雲に一声かけてやってくれ。無いとは思うけど、機械の操作ミスったら、スタジオの音がそのまま校内放送で流れちゃうからな」
「「はーい」」
頼んだぞ、と先生は言い残して放送室を後にした。
ガラス越しにスタジオに目をやると美雲くんはもうラッパを吹いている。
防音とは言っても完全ではなく、扉からほんの少し漏れだした音が、耳を澄ませば機械室でも聞こえていた。
確かに顔はいいかもしれない。髪なんかサラサラだし。
まあこんな田舎団地の男子の中では、という限定付きであるが。
「運動も体育もできるもん、アイツ。でもヨリコちゃんがよく見てるような、テレビとかアイドルの雑誌に出てくる男の子の方がずっとかっこいいでしょ」
「それはそれ、これはこれ。別腹ってやつですよ。年下の子なのに、ちょびっとだけ、ときめいちゃった」
ヨリコちゃんは、さっきから美雲くんを褒めまくっている。激賞だ。
今日会ったばかりのはずなのに、楽器ができるというのはそれだけ魅力があるのだろうか。
いつもは大人っぽい綺麗なお姉さん、みたいなイメージの6年生がクラスメイトを褒めているのは、なんだか少し妙な気分になる。
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宿題をして、ヨリコちゃんと一緒に雑誌を読んでいると、時間は16時50分。
そろそろ下校のアナウンス時刻なので美雲くんを呼ばなければ。
しかし、ガラス越しに見える彼はこちらに背を向けているので、ジェスチャーでは気づかない。
ヨリコちゃんに、ひとこえかけてくる、と言い、中に入る。
扉を開けた瞬間、音が私の体を叩いた。
想像していたよりずっと大きい。
練習前に私たちに吹いてくれたその楽器は、音量をずいぶんと遠慮していたらしい。
一心に吹く背の高い大きな後ろ姿に、声をかけるのは、一息入れるタイミングまで待とうかと迷う。
が、練習中のガラス越しの姿を思い返せば、休んでいる様子を全く思い出せず、音が止まることは無いようにも思えた。いつ区切りが来るのかわからないのでそのまま肩を叩く。
びくっ、と体が震えて音が止まり、美雲君がこちらを振り返る。
「時間だよ。下校の放送入れるから終わりにして」
「あ、ああ。もう時間か。ごめん、今すぐ出るよ」
私を見下ろす、頭1つ分は高い位置にある顔は、始まる前に曲を吹いてくれた時の穏やかな笑顔が嘘みたいに、疲労の色が浮かんだ無表情だった。
足元に敷いた雑巾を手慣れた手つきで集め、扉を開けたまま抑えるアタシに、サンキュ、と軽く言ってスタジオを出る美雲くん。
そのままトランペットをしまったかばんを肩にかけ、廊下へ出る扉の前で振り返ると、直立して頭を下げ一礼した。
「ありがとうございました。これからも、音楽室が使えない間、練習で使わせてください。よろしくお願いします」
「別に私たちのものじゃないから、お礼なんか要らないわよ。それより、また曲聞かせてね」
「はい。言ってくれればいつでも吹きます。じゃあまた」
ヨリコちゃんの言葉に、笑顔で答えた美雲くんは扉を閉めて去っていく。
「はあ、頑張ってる人ってかっこいいよねえ……」
しみじみ言うヨリコちゃんに、この日のアタシは本心から、そうだね、と同意せざるを得なかった。
楽器を吹くのが「頑張る」ことになるのかはわからなかったけれど、彼が真剣にそれをしているのは伝わってきたから。
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第6話/99話 「衝撃 それがアタシの体を叩く」 終




