第20話/99話 「小村咲マユコ」②
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ママを別室に案内したマユコ先生は、すぐに戻ってきてアタシと向かい合った。
「それじゃ、話してもらいましょうか。ああ、フルート始めたところからでいいですよ。3ヶ月くらいなんでしょう? そこまで長くならないでしょうから」
「ママには黙っていてくれますか?」
「もちろんです」
なんとなくまだ信用できずに、不思議と説得力を感じたその言葉に、アタシは言われるがままに話すことにした。
「ふぅん、男の子と合奏ですか。かわいい青春ですね。で、その男の子と喧嘩した原因が下手くそな自分にあると思って、うまくなりたい、と。合ってますか?」
「あ、はい。大体そんな感じです」
「レッスンは引き受けますけど、まず、その男の子とはすぐに仲直りしてください」
マユコ先生は、真剣な表情でそう言った。
「え……、どうしてですか」
アキとは一週間くらい口をきいていない。
話したそうにしてきたけれども、気まずかったし、気分が悪かったので無視していた。
「まず、楽器がうまくなっても、いろんな人と喧嘩はします。実力差があるのが原因ではありません。言いたいことは言って、ぶつかってもいいですけれども、仲直りはちゃんとしてください」
「でも……」
上手くなれば、アキと喧嘩したようなことは、なくなるのではないか。
アタシはそう考えている。衝突の原因は、アタシが下手なことだったから。
「話を聞くと、シオリさんも悪いですけれども、その男の子も配慮が足りないところはあります。それでも、さっさと自分から『ごめん』と言ってしまって、めんどくさいことは割り切って終わらせちゃいましょう。フルートを見て、その子とのトラブルを、心にモヤモヤを思い出すのでは、上達にも支障が出ます。上手くなるためです」
「……わかりました」
上手くなるため、なら仕方ないな。
「それと、その男の子とは、今後も前と同じように仲良くしてください。年少者ほど、楽器を一緒にやってくれる子は貴重です。同じ楽器でなくても、一人で頑張るよりも、あなたにとって、絶対プラスになります」
「はい」
マユコ先生はずっと真剣な表情でアタシの目を見て話している。
美人だけれども、少し冷たい印象を受ける顔で、淡々と話すため、少し怒られているような気分になる。
なんだか、気恥ずかしくなる。なんだろう。
「大人になると、簡単に頭を下げたりできなくなることもあるので、今のうちだけでも、そうしておいてください」
「わかりました」
アキには週明けにでも話をしよう。
そんなことを考えた。
「上手くなりたい動機は分かりました。仲直りは自分でするとして、どのくらいうまくなりたいですか?」
「ええと……、その子と同じくらいです」
我ながら、曖昧なことを言ってしまう。
どのくらい、と言われてもアタシにはそれを表現するすべがない。
マユコ先生は、ううん……、と少し考えると、こう言った。
「トランペットとフルートを比較しようとすること自体がナンセンスですけど……。じゃあさっき言ってた、その子が参加する『全日本楽器コンクール』。これで同じくらいの成績を出すことを目標にしましょうか」
「わかりました。え、でも、同じくらいの成績ってどういうことですか?」
「『全日本楽器コンクール』、略して『全楽』。とても新しい大会ですけれど、メディアや文部省も後ろ盾にいる、国内では一番格式の高い大会の1つです。歴史はありませんが、協賛やスポンサーの力で、新しく輝く奏者を見出して箔を付けさせよう、そんな雰囲気を作り出そうとしています」
「はい」
「なんせ一般だけでなく、15歳以下のジュニア部門でも、優勝者には『文部大臣賞』です。どのくらい力を入れてるかわかるでしょう。で、その『全楽』ですけれど、トランペット部門と別に、フルート部門もあります」
「あ、なるほど。……わかりました」
アキが目標にしている大会で賞を取るなら、アタシも部門は違っても、同じくらいの賞を取る。
シンプルな話だった。
「そういうことです。言うは易く行うは難し。目標にする人も多い大会ですから、レッスンは厳しくなりますよ。頑張れますか?」
「……頑張ります」
自信は無かった。
とはいえ、アタシには他にうまくなれるアテがないし、この答えをするしかないのである。
「言っておきますけど、トランペットよりもフルートの方が奏者人口は多いし、その分、入賞するのは難しいんですからね。コンクールに出るにしても、結果に一喜一憂しないように。自分の実力だけを気にしてください」
「わかりました。あ、でもアキが、その男の子が、すごくいい成績出しちゃったら、アタシ大変ですね」
「……そうですね。頑張りましょう」
そんなに甘い世界じゃないけどね、ボソッと先生がそんなことを言う。
アタシはそれになんと返事すれば良いかわからなかった。
「それで、レッスンなんですけど……、正直、どれくらいやらせて良いか考えるので、少し待ってください」
そう言ったマユコ先生は、B5サイズのノートとボールペンを取り出すと、パラパラとめくりながら、ぶつぶつとつぶやきだした。
子供のメニューってこれでいいのかしら、ああ……、でもそうするとこの子が……、疲労を考えるとこう……。
眉にしわを寄せながら、ぶつぶつとつぶやき、紙によくわからない図とメモをしたり、紙をコツコツとやって、なんだか慌てて考えているマユコ先生の姿は面白かった。独り言も多い人なのかもしれない。
ひとしきり思案した後、マユコ先生はアタシを見てこういった。
「週に2回、土曜と日曜に3時間ずつ、それでどうですか?」
「えっ、……1日3時間も見てもらえるんですか」
意外だった。ピアノをやっていた時は1週間に1回、1時間弱くらいのレッスンだったから同じくらいかと。
「短くしてもいいですけど」
「長い方がうれしいです。あ、でも長いとお金が……高くなっちゃいますか……」
レッスン料の相場をアタシは知らない。
ただ、個人なのだから、集団レッスンより間違いなく高額だろうというのはわかる。
我が家で、アタシのために、親が使えるお金は多くない。
長男であるシュンのために使えるお金が、アタシより多いのかは知らないが。
「お金の話は今から、親御さんとさせていただきます。シオリさんの希望は1日3時間でいいですね?」
「はい。長ければ長いほどありがたいです。……でも、家がお金出せないなら、出せる時間の分で構いません。……母に聞いてみてください」
先生が少し困った顔で、眉をしかめる。
どういう意図かはわからないが、アタシは正直に答えて良かったのかな、と不安になる。
「それじゃ。向こうのダイニングにお母さんいらっしゃるから、呼んできてください。ああ、シオリさんは交代でそこに座っていてくださいね」
「はい。……あの、アタシは話聞いちゃダメなんですか?」
「大人同士の話をします。親として、子供には、聞いてほしくない話も出るかもしれないから、待っていてください」
「……わかりました」
……ダイニングってなんだろう。
〇
『ダイニング』は広い台所だった。
家にある金属製のテーブルとは違う、天板が一枚板で出来た木製のテーブルに着いてアタシは待たされる。
……このテーブルも椅子も高そうだな。
ただ、部屋の一角に置いてある大きなガラスの食器棚は、ガラスの扉の前の部分に少し埃が溜まっていて、そこは我が家の方が綺麗そうだった。
うちはママがマメに掃除しているから、棚に埃が溜まったりはしていない。大掃除のときと、言われた時くらいしか掃除しないアタシの手柄であるわけはないのだが、少し『勝った』と思うのだった。
〇
「それじゃ、土曜日と日曜日の午後3時から3時間ずつ、よろしくお願いします」
「「よろしくお願いします」」
ママと二人でそろって頭を下げる。
マユコ先生とママの話し合いが終わり、呼ばれたアタシは再度ママと並んで先生と向かい合っていた。
どのように話し合ったのかはわからないが、アタシの希望通りの時間が通ったらしい。
「それと、『全楽』の課題曲の楽譜は、明日の午前中までに用意しておきます。課題曲の中で一番簡単なものを選びますけど、これから探すので、今日はここまででお願いします」
「えっ、コンクールに参加するって、あれ、来年とか、先の話じゃなかったんですか?」
「1次予選はテープ審査で、10月後半が締め切りですから、今から練習すれば2週間か3週間は練習に充てられます」
「でも、お金だってかかるんでしょう……」
レッスン費用と別に、トランペット部門と同じ参加費用なら、1万5000円。大きくは変わらないだろう。
アタシは素人だし、入賞する確率だって低いはずだ。月並みだが、本当に金をドブに捨てるようなものだと思える。
「上手くなるために、今の自分の実力をはっきり自覚しておく必要があります」
マユコ先生はきっぱりと言った。堅い口調から、やはり冷たい印象を受ける。
「でも……」
「シオリ」
なおも、反論しようとしたアタシをママが遮る。
「シオリ、今回は先生の言うとおりにしなさい。いつも我慢させてるけど、うちは、あなたに、習い事をさせるくらいのお金ならあります。それと子供が、お金、お金、とあまりいうものではありません」
先生に釣られたのか、ママの口調まで堅い。
「……わかった」
二人とも真剣で厳しい様子で、堅い口調なので、アタシは引き下がるしかなかった。
……本当は、お金がないのは事実だろう、と言いたかったけれど。
「ああ、そうそう」
門から帰ろうとしたアタシをマユコ先生が呼ぶ。
ママではなく、アタシに戻って来いと手招きしているので、慌ててかけ寄る。
「なんですか」
少し香水の匂いがした。
いい匂い。花のような香り。
「しばらくは課題曲だけやりますけど、例の男の子がくれる楽譜、新しいのもらったら持って来てください」
ママには聞こえない声で、マユコ先生はささやく。
「わかりました」
「合奏するたびにどんどんうまくなって、その生意気なトランぺッターくんを驚かせちゃいましょう」
そういうと、先生は片目をつぶって、にっこり笑った。
「は、はい」
先生は冷たそうな印象だけれども、美人なので、笑うと少しドキッとする。
どんどん上手くなる自分。それを想像して、アタシの頬はほころんだ。
〇
10月4日(月)
「あのさ」
「、っ、……なに?」
休み時間に話しかけたアキは、少し驚いた表情でこちらを見る。
アタシから話しかけることは無いと思っていたようだ。
「今日、いっしょに帰らない? 話があるから」
「……僕、今日は練習してから帰りたいんだけど」
予想通りの答えが返ってくる。
アタシは内心ニヤリとした。
「そう。アタシも委員会あるからちょうどよかった。放送入れたら行くから、教室集合で」
アタシも委員会の間、練習するからな。
誰にともなくそんなことを決意する。
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下校の放送を入れて教室へ行くと、日が傾いて少し暗くなった教室でアキが待っていた。電気くらい付ければいいのに。
「……あ、きた」
「……帰ろっか」
「話って?」
「帰りながら話す」
朝は土砂降りだったのに、昇降口を抜け外へ出ると、快晴だった。
傘をきちんと持って帰ってきたので、忘れなかった自分を内心ドヤ顔で誇りながら、アキを見る。楽器のカバンを持っていない方の手に、ちゃんと傘を持っていた。なんだ。少しがっかりする。
並んで歩くアタシとアキ。
相変わらず、アキはアタシに歩く速度を合わせてくれる。こういうところがコイツのいいところで……少し癇に障るところだ。
「……んと」
「……うん」
いざとなると、少し気まずいが、アタシが誘ったのだ。
アタシから話さないと始まらないだろう。
「……この間はごめん。勝手にかんしゃくおこして、アキがうまいのに嫉妬して、わがまま言って。悪かった。ごめんなさい」
「……っ、え、あ、うん」
虚をつかれたような反応を見せるアキ。
なんだよ、アタシだって謝罪くらいできるんだからな。
「……アタシ、フルート、がんばるからさ」
頑張るの意味は知らないけど、ここ最近のパパとママの反応を見るに、上達するために練習することがそれにあたるらしかった。なんとなく、『頑張る』には、少し苦痛が含まれていなければいけないもの、と思っていたがどうやら違うらしい。
アタシは楽しく吹いているだけだから、後ろめたかったが、アタシのこれも『頑張る』で良いらしい。
アタシは続ける。
「……教室にも通うことにした。パパが先生見つけてくれて。だから、……だから、またいっしょに合わせよう、合奏しよう」
「……うん。……うん!」
ほっとしたような笑顔のアキが見える。
あ~~、言えた。スッキリした。
さっさとこうすれば良かった。
何を意地張ってたんだろう。アタシはいつも感情に流されて失敗している。
「それで、次の楽譜、ちょうだい? アタシの先生も見たいって」
「あ、うん。先生からもらってるやつがあるから、明日すぐ渡すよ。次はいつやろうか」
アキの声は弾む。
コイツ、音楽の話をしてるときは楽しそうだな。
「ああ。……しばらく、課題曲やるから無理だよ」
「え……課題曲って」
「アタシも『全楽』出ることにしたから」
全日本楽器コンクール。
……正式名称で言うより、マユコ先生が言うように、略した方がそれっぽかった。
ただのかっこつけである。
「そう。……そう! そうなんだ、がんばろうね!」
コイツ、音楽の話をしてるときは本当に楽しそうだな。
「あのさ、アタシ……絶対、うまくなるから」
「うん!」
「……そしたら、アキも全力で吹けるようになって、合奏楽しくなるから」
「うん。……楽しみにしてる。……本当は、僕こそ、あやまりたくて」
「いいよ、そういうのは」
悪いのはアタシなんだから。
普段曖昧な、穏やかで大人びた笑顔がデフォルトなアキは、今この瞬間、表情を崩して本当にうれしそうにしている。
後ろめたい思いはさせたくなかった。
「そのうち、アタシが伴奏で、アキが主役の曲も吹けるかもね」
そう言ったところ、アキは、年相応の笑顔でニヤリといたずらっぽく笑った。
「え~~……、それはどうかなあ?」
「……この野郎」
「あはは、冗談。うん、お互いがんばろうね」
雨上がりのはずだが、風は湿気もなくさわやかだった。
夕焼けがアタシたちを包んでいた。
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第20話「小村咲マユコ」 終




