第18話/99話 「賞賛 言えない」
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9月24日(金)
「ねえ、アタシ思ったんだけど」
アキとの合奏はこれで3回目。
今日もアキのトランペットに優しく引っ張られるように、アタシのフルートからは、家での練習よりずっと良い音が鳴っているように感じていた。
スタジオに心地良い音が流れる合間。
下校の放送を入れる時刻、クラブ活動で当番が遅くなる相方のヨリコちゃんが来るには、まだ少し時間があった。
アタシはふと、前々からの疑問を口に出す。
「アタシばっかり大事な方、吹いてない? アキも、その、メロディー吹きたいって思わないの?」
そう。
アキの持ってくる、アキの先生が書いた楽譜は、アタシに渡される方ばかりがいつも主旋律だった。
何枚もらっても、アタシのフルートばかり主役でやっている気がする。
トランペットの楽譜は見てないけれど、追従にしろハモリにしろ、アタシの演奏に挟まる合いの手みたいなフレーズにしろ、とにかくアキの演奏は伴奏なのだ。
「……そりゃ、そういうものじゃないの? 楽器は違うけど、僕の方がうまいんだから」
アキはいつもの穏やかな笑顔でそう言った。
まあそりゃそうだけど。言っていることは正しい。違う楽器でもレベルの差は歴然だ。
「うまいと、なんで、主役になっちゃいけないの? 伴奏しか吹いちゃいけないの?」
アキは少し考え込む。
やがて、ゆっくりと、口を開いた。
「同じくらいのレベルの人同士とか、一定のレベル以上の人なら、どう組んでもいいんだって。でも、シオリはまだうまくないじゃん? 先生にそう言ったら、こういう組み合わせでやりなさいって。僕が伴奏で支える方が気持ちよくなれるからって」
「ふぅん……」
なんだか釈然としない。
つまり、下手くそなうちは主役になっておだてられておきなさい、ということだろうか。
「それにさ、大事な方ってシオリは言うけど、大事じゃない方なんて無いよ。主旋律が上とか、それ以外が下とか、そういうんじゃないよ」
「……なんだか、あれみたい。」
アタシはモヤモヤしながら、素直な感想を口に出す。
「保育園の発表会で、子供たちはみんな主役の劇、みたいな」
ままっ子扱いの味噌っかす。
つまりアキの中で、アタシは、アタシのフルートは保育園の幼児と同じなのだ。
「……あ~~。確かにそうかもね。言いたいことわかるよ」
アキは少し困ったように笑う。
「でしょ?」
「でも仕方ないんじゃないの? これでうまくいってるんだから、このまま続けようよ」
アキのいうことは分かる。
それでも。
「……アタシは嫌だ」
はっきりと口に出す。
自分の扱いや、アキとその先生の考えがわかってしまったから、おそらくこのモヤモヤは消えない。
フルートを吹く間、このモヤモヤがつきまとうのなら。これから先、これまでのように、純粋に合奏を楽しむのは難しかった。
おそらく吹いている間も、練習を、準備をしている間もずっと考えてしまうだろう。
これはアキが主役にならないことを本人が納得しているかではなく、アタシ自身が自分の扱いを納得できるかの問題だった。身勝手なことは理解している。
「……う。え~っと……」
少し困った様子のアキに、アタシは提案する。
いや、素直な疑問を口に出す。
「あのさ、アキってどのくらい上手いの?」
「……え。どのくらいって言われても……」
質問が悪かった。
音は重さや速さと違うのだ。重さも速さもあるけれど。
上手さに具体的な数値や指標があるわけではない。
「その、一人で出る大会、みたいなの? そういうの出たりするの?」
「……先生が出ろって言うから、今度初めて1つ出るよ。全日本楽器コンクールって言うやつ。当たり前だけどトランペットの単独部門で。トロンとかと一緒になってるコンテストとかもあるんだけど、トランペットだけで評価されるんだって」
「ふぅん」
「うち、そんなにお金ないから、大会出るのも、少し難しいんだけど、先生がこれは出なさいって。将来につながるからって」
「お金?」
「エントリー料っていうのがかかるんだ。全楽の場合、ジュニアは1万5000円」
知らなかった。
音楽を評価してもらうのにも、お金がかかるんだ……。
大会を運営するためには、人も会場も時間も必要なのだから、金がかかるのは当然なのだが、この時のアタシにその発想はなかった。
「……1万5000円」
大金である。
アタシのおこづかいで大体40ヶ月分だ。
「ジュニアは15歳までの人がエントリーできるから、年上も多いし、だから高いのかなあ? 先生は、絶対結果出せるって言うんだけど」
「勝つと何かあるの?」
「1番になればトロフィーくらいはもらえるんじゃない? ……ああ、それと、音楽で勝ちとか負けとは言わない方が良いって先生言ってた。そういうんじゃないって。勝ちたいとか思っちゃダメなんだって。一生懸命吹いて、それが評価されるか、されないかだって」
そういうものなのか。
1番になったらそれは勝ちじゃないのか。
音楽の世界のことはわからない。
「そうなんだ」
「あ、それで……なんの話だっけ?」
「んーと、そうそう。その大会のために練習してる曲があるでしょ? それを吹いてみてよ。今度初めて大会に出るんだから、例えば市内で何番目とか、そういうのはわからないけど。上手いってどういうものなのか、音を聞かせて」
「ああ、なんだ。そんなことか。じゃあ予選の曲の方、吹くよ。結構、自信あるんだ」
アキはなんだかほっとしたような様子を見せる。
アタシが少し苛ついて困らせてしまったし、あまり好きではないだろうお金の話もした。
アキにとって嫌な時間を少し過ごさせてしまったかもしれない、と反省する。
「本気で吹いてよ。何分くらい?」
「6分以内。そのくらいでおさまるよ。少し、あっちの方まで離れて」
そういうと、アキはアタシに、自分の立っている場所と反対側の壁を指し示し、足元の雑巾をきれいに並べ直す。
ピストンリングをかちゃかちゃとして、顔つきが変わり、集中する様子を見せた。時々見る様子だ。癖なのかもしれない。
「はいはい」
言われたとおりに壁ギリギリまで離れる。
改めて正面から見ると、アキのトランペットを持つ姿は、空から重りを付けて糸を垂らしたような自然な真っ直ぐさ。背筋がピンと伸びて本当に綺麗だ。
背が高いせいもあり、同い年の子供なのになんだかサマになっていた。
トランペットを口の前に構えたアキと目が合う。アイコンタクト、目くばせされたような気がするので、吹いてくださいな、とうなずく。
トランペットのベルから音が出た瞬間――。
世界が、消えた。
アタシ以外の世界が消えた。
そんなわけはない。アタシは確かにスタジオに立っている。床が消えたのは錯覚だ。
音を吸収するためのコルクの壁に、はね返ったようにも、無限にはね回るようにも感じるほどに部屋を満たすアキのトランペットの音。
すきとおったそれは、肌が泡立ったアタシの体を突き抜けて、広い広い世界のどこまでも突き抜けていく。
確かにアタシは立っているはずなのに、確かにアタシの肌はスタジオの少し冷えた空気を感じていたはずなのに、確かにアタシの目はアキとトランペットとコルクの壁を捉えているはずなのに、トランペットの音以外はアタシの認識する世界に存在していない。
時間も、重力すらも忘れるほどに、今アタシがいるのは聴覚以外の何もない、上下左右すらない広大な空間であるというほどに。
それほどにアキの音の存在感は圧倒的だった。
「……どうだった?」
「……ひゃっ」
音にどこか別な世界に連れていかれたアタシは、少しの間呆然としていて、こちらへ無造作に近づいてきたアキの呼びかけに思わず間抜けな声を出してしまう。
「……あの……」
「あ……う……」
アキが感想を求めていることはわかるのだ。
期待を込めた熱っぽい目で、しかし不安と困った様子も少し見える微妙な顔からは、懸命に吹いた、積み上げた日頃の鍛錬の成果を、それを初めて聞く相手から評価されたい、そんな意思が見て取れる。
しかし言葉が見つけられない。
なんとも情けないことだが、アタシの卑小な語彙では、感想にどんな言葉を使っても、この場でアタシの気持ちは伝えられない。下手に感想を伝えると過少な評価となって、アキを傷つけるような。
恥ずかしさすら感じていた。
伝えられないアタシは、別に言いたくもない的外れな言葉を発してしまう。
「……アキの演奏を主役として支えるために、アタシが伴奏するとして、合奏するにはどのくらいかかるのかな……?」
やっとのことでひねり出したその答えは、間違いなくアキの求めるものではなかったはずで、なぜそんなことを言ってしまったのか、アタシは後で悔やむことになる。
素直に『すごい』と言ってやればよかったのだ。純粋に、ささやかで粗末な言葉で良いから、褒めてあげるべきだった。
「それは二人でって意味?」
なんだかすこしがっかりした顔のアキが尋ねる。
「うん」
無遠慮にアタシは肯定する。
本来そんなことが言いたいのではない。合奏なんかどうでもいい。
感動を伝えたいのだ。こんなのは、伝えられないアタシのごまかしだ。
「……そうだなあ。ずっと後かなあ」
アキは少し遠慮がちにそう答える。
「ずっと……って?」
1年とか先だろうか。アタシは訊き返す。
アキの答えは予想外のものだった。
「大人になったら、とか、もしかしたら、一生無いかも、とか、そのくらい先」
カチンときた。
「……なにそれ。アタシは上手くなれないって言いたいの?」
アキの物言いはそうとしか聞こえなかった。
確かにアタシはフルートを始めたばかり。
評価の絡む大会に出ようとしていて、あんなすごい音を出すアキから見れば、素人の児戯、おままごとに見えるかもしれない。
それでも、この先上達しないなんて、そんなことは分からないではないか。
「ああ、ごめん。怒らないで。僕は、トランペットに憧れて、幼いころからこれのことばっかり考えて、上手くなるためにそれだけやってきたんだよ。お父さんが色々探してくれて、やっとすごい先生を見つけてくれて。それで……、……先生もずっと僕には才能があるって言ってくれて、『ここまで吹ける子は一握りだ』って……」
アキの様子はいつもの穏やかな様子と違い、少し感情的に、熱っぽく説明しようとしていた。
乗せられたか、アタシも感情的に、頭に血が上るのを、眉間に皺が寄るのを感じる。
ああ、ダメだ。喧嘩したいわけじゃない。
それでも口は勝手に心に従い、少し怒気を孕んだ声が出てしまう。
「それで? なんでアタシがアキと同じくらい吹けない理由になるわけ?」
「ずっと吹いてきた僕は、他人に負ける気がしないし、僕の才能はそうそういない、天才だって、先生もそう言ってる。同じレベルの人がその辺にいるとは思わないでって。後から始める人が僕と同じように天才だったとしても、追いつかれるとは思わないし、子供のうちは無理だろうって。先生だって、高いレベルの人がいるステージまでいつか行けるから、そしたら合奏を楽しみなさいって……」
はぁ!?
「なにそれ、アタシとの合奏は楽しくないって言うの?」
考えてみればそりゃそうかもしれない。
ずっと思っていたことだ。感じていたことだ。
アキはすごくうまいし、アタシは素人だ。
それでも言葉にされたくはなかった。
「楽しいよ。でももっと高いレベルでって話で……」
「自分から、やろうって誘っておきながら! ふざけんな! 下手くそなアタシとの合奏は、上手い人がいないからで! 上手い人が合わせてくれないから、我慢して合わせてやってるっていうんでしょ!?」
感情のままに拒絶の言葉を述べてしまう。
「ちが……そうじゃない……」
アキがおろおろとした様子で、こちらをうかがう。
喧嘩がしたいわけではない。諍いが欲しいわけではない。
それでもアタシの体は感情のままにしか動いてくれない。沸騰した脳は、口も心のままにしか動かしてくれない。
大きく息を吸い込んだアタシは、それを吐き出して。
アキの大事にしている何かに触れてしまう。
「だいたい聞いてれば、先生、先生って! アキの先生が間違ってることだって、あるかもしれないじゃん!」
「――っ!!――先生は、間違ってない!」
アタシの癇癪に反応して、これまでよりずっと強い調子で、アキが叫ぶ。
それは、本人がトランペットから出す音量さながらに、とても大きく。
「っ――もうい―― コンコン
アタシの言葉をさえぎって、金属を叩く音がする。
「……あの、ケンカ? 二人ともどうしたの?」
怒りでアキだけを見ていた、狭くなった視界を、その音の方向へ移せば、遅れてきたヨリコちゃんがスタジオを覗いていた。
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帰り道、傘を差して水たまりを踏みながら行く。アタシの足は重い。
ヨリコちゃんに、何があったの、と訊かれたけれども、アタシもアキも、別に、と答えなかった。
ヨリコちゃんのことは好きだったけれども、アタシは、自分が下手くそなのが原因で口論になってしまい、感情をただ相手にぶつけた情けなさを口に出したくなかった。
今日聞かせてもらったアキのトランペットの音は、彼の言う才能とやらは知らないけれど、間違いなく、たゆまぬ努力で手に入れた物だったはずで。
アタシはそれを知っているにも関わらず、素晴らしい努力の結晶を賞賛することもなく、ただアタシの訊きたいことをぶつけ、それに返ってきた答えにも納得せず、ただ癇癪を爆発させただけで。
マジでクソガキだ、アタシは。
賞賛。そうだ、賞賛してやればよかったんだ。つたない言葉でも、ショボい語彙でも、心から、『すごいね』って言ってやれば。
アタシは、相手に求められてるものや、会話の流れを無視して、自分のいいたいことを言ってしまう癖が昔からある。
アキは頭の良いやつだ。心の底からの賞賛ならきっとわかってくれたのに。
なぜそう出来なかった。なぜ言えなかった。きちんとこうして考えればわかるはずなのに。
アキに落ち度は全くないし、あの場で悪いのはアタシの口と……下手くそなフルートだ。
激情に任せた軽率な失敗に、いつもアタシの心は苛まれる。
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第18話/99話 「賞賛 言えない」 終




