第17話/99話 「階段 百段の」①
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桜山団地は市の人口拡大に伴って、南から北へ拡大されてきた地域であり、アタシの住む桜山7丁目は最後に開発されたブロックになる。
桜山7丁目には、アタシの住む少し高台になった部分のさらに北に、高台からすとんと崖のように切り落とされて、低くなった部分がある。呼ぶとすれば桜山7丁目の低地区画。
地形の関係で少しごちゃごちゃとした、団地の最後に開発されたにしては、整理されていない桜山7丁目の低地区画。
ごちゃついた住宅地の他には、一応舗装されてはいるもののただ広いだけの駐車場に、隣接するように複数の店がある。いついっても人がほとんどいないスーパーマーケット、怪しいアジアの雑貨屋、何の料理を出すのかよくわからない複数の飲み屋、中古のCDやカセットテープやビデオなんかを売る店。アタシがすぐにやめてしまったスイミングスクールも近くにある。送り迎えをするには駐車場は便利だ。徒歩で買い物に来る人がいないからスーパーマーケットに人がいないのかもしれない。
南から低地区画へ行く方法は、大きく分けて3つ。1つ目は、団地で一番南の1丁目の方からつながる、桜山の外周の坂をぐるっと通っていく。2つ目は、桜山小学校と隣接する桜山中学校の、北側にある開発されていない山と湿地帯の傍にある、やはりなだらかで遠回りな坂を下っていく。3つ目は、近道ではあるが、7丁目高台部分へつながる通称『百段階段』と呼ばれる――実際は100段以上ある、大雨時には冠水して濁流が流れる、崩れた過去が何度もある急な――階段を降っていくか。
いずれにしても、毎日通学の往復をするには、子供の足では少し大変な区画、それが桜山7丁目の低地区画である。
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9月14日(火)
「今日、当番じゃないよね」
「ん。あ、渡された曲ならまだ吹けないよ」
「うちに遊びに来ない?」
「うちって、アキの家? いいけど……。場所どこなの」
帰りの会の後、笑顔のアキに話しかけられた。
いつも思うが、どこか楽しそうだ。
いつもどこか閉塞感のあるアタシとは真逆の存在に感じる。
アキはアタシの家を知っているけれど、アタシは逆を知らない。アキと一緒に帰る時は我が家の前で別れるからだ。
「シオリの家寄ってから一緒に帰ろうよ。こないだ言ってたアニメ、あたらしいやつ先生から渡されたから」
「そう。じゃあトイレ寄ってから帰るから待ってて」
「うん」
そういえばそんな話をしてたっけ。
まだ他に下校するみんながいる時間に、アキと2人で帰るのは少し嫌だったけれど、外は朝から雨だったので、みんな傘を差している。目立つことはない。
まあいいか。そもそも意識しすぎかもしれない。
家に帰ると祖母はおらず、入れなかった。
チャイムを鳴らしても誰も出ず、シュンもいない。
「アキ、電話番号教えて」
「うん。どうするの?」
「書き置きしないと」
『友達の家へ行ってきます。TEL〇〇〇―××××』とノートに書いてランドセルと一緒に玄関に置く。これでよし。
「行先ちゃんと書いていくんだ?」
「そりゃね。めんどくさいけど。アキはこういう時どうするの? 家に帰っても家族がいない時」
「僕、カギ持ってるから、やったことないな」
「まあ、普通はそうか」
当たり前だが、家にいない可能性がある大人は普通、子供に鍵を渡すものだ。
あ~~……ババァ、死なないかな。
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「階段おりるから気をつけてね」
「あ、百段階段おりるんだ」
アキの家は、百段階段と言われる、町はずれの急な階段を下りた先の地区にあるらしい。
崖に掘りつけられた、雨の時は水が溢れる階段である。
今日もあまり雨は強くはないが、石で出来た階段は一面水浸しだし、側溝からところどころ水が溢れて噴き出している。
長靴で良かったな、とちらと思った。
百段階段を下りた辺りの地区は、区画の雰囲気が暗くあまり好きではない。
アタシの住む住宅地と同じような場所のはずなのに、夜になると、路上に、見たこともない汚い車が止まっていたりする場所だ。
ママはこの地区のスーパーマーケットによく買い物に来る。他の人がいないし安いから良いのよ、なんて言っているけど、アタシは人気のないスーパーはちょっと怖い。
アキの足はその中の5階建てくらいの集合住宅――マンションへ進む。
県営住宅ほどではないけれど、クリーム色の外壁は汚れてあまりきれいではない。今日は雨で少し暗いから、そう見えるのかもしれない。
クラスで人気のカースト上位の王子様は、広い一軒家に住んでいるものと思っていたので、少し意外だった。
マンションといっても、居住区と外との間に扉がはなく、多少の段差がある程度だ。
アキはマンションの居住区一階廊下を進むと、ある扉の前で足をとめた。
表札に『MIKUMO』と書いてあるのでここが家らしい。
首から紐を下げた、『鍵っこ』のアキは、服の裏から2つ鍵のかかったリングを取り出すと、あ、という顔をし、言った。
「母さん、寝てるかもしれないから、静かにしてね」
「ん」
かちゃかちゃ、と。
アキが玄関の扉を開け、中に入るのに、続いて入る。
「……ただいま~~」
アキが小声で言う。
と、奥から、背の高い女の人が出てきた。
白い長そでシャツにGパンを履いていて、それぞれ、肌にぴったり張り付く細身のスキニータイプ。スタイルが良いのがわかる。
「あら、アキ。帰ってきたの。お友達?」
「あ、うん。同じクラスの――」
「初めまして。初鳥シオリです。おじゃまします」
きれいな人だな。うちのママと全然違う。
そんなことを思いながらあいさつをする。
「女の子連れてくるなんて珍しいじゃない。ゆっくりしていってね」
長いウエーブのかかった前髪を顔の両脇に垂らしたアキの母は、にっこり微笑んでそう言った。
「アキ、私、今日はもう出るから。晩御飯はジャーに入ってるご飯と、冷蔵庫におかず分けておいたからチンして食べて。朝は遅いかもしれないから、待ってなくていいからね」
「うん、わかった」
「あ、台所に、貰い物の箱に入ったお菓子があるから、開けて友達と食べていいわよ」
アキの母はそれだけ言うと、アタシに、それじゃね、と言い、玄関にあった長いブーツを履いて出かけて行った。
「お母さん、今からお仕事?」
「うん。母さんのパート、夜だから」
「そっか。雨だから大変だね」
アタシの祖母の妹は街中に住んでいて、飲み屋をやっている、らしい。
性格がねじ曲がっている祖母と違い、優しそうな雰囲気の良い人だ。
年齢は全然違うが、アキの母も似た雰囲気を感じた。
洗面所を借りて、手洗い、うがいをする。
アキが案内するままに居間に通される。
奥にTVとそれにつながったゲーム機があり、座卓をはさんで反対側に大人が寝転がっても大丈夫な大きさのソファがあった。
促されるまま、ソファに座る。
「お菓子あるって言ってたけど、食べる? あと飲み物、なにか要る?」
「ん、水でいい。お菓子はいいや。コップ貸してね」
アキが水の入ったコップを置いてくれる。
勝手のわからない家だから、なんとなく手持無沙汰で、やることがない。
「よいしょっと」
ちょっと待っててね、と言ったアキは奥からビデオテープの束を両手で挟み込んで抱えるようにして持ってきた。
「ちょっと、何本見る気? 帰れなくなっちゃうじゃん」
「へへ、先生が貸し出してきたやつ、全部持ってきちゃった。今日全部見れるわけないのにね。30分のと60分のがあるって言ってたけど、どっち見る?」
「じゃあ、30分の方。つまんなかったら1話見て終わりにするから」
「了解」
アキはTVの下にあるビデオデッキをパチパチと操作してテープを入れていく。
「そういえばさあ、なんでトランペットの先生が、アニメのビデオなんか持ってるの?」
「劇伴がいいから買ってるって言ってたよ」
「ゲキバン?」
「アニメのBGMのこと。知ってる曲、クラシックが多いから好きなんだって」
「ふぅん。大人はアニメなんか見ないのに。変な人だね」
はるか未来の令和とか呼ばれる時代より、オタク――当時ならマニアとか呼ばれる人たち――への風当たりはずっと強い時代である。
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「……どうだった?」
「ん。続き見ないとわかんない。止めないで次見せてよ」
30分の小さな上映会が終わり、こちらの反応をうかがいながら、テープを止めて巻き戻しを始めたアキが聞いてくるのでそう答える。
評価は難しい。続きもので、見ないと話がわからない。
「わかった。じゃあ次ね」
そう言ったアキは、ビデオテープを入れ替え始める。
「え、テープ1本で30分しか入ってないの?」
「そうなんだって。短いよね」
てっきり4話分くらい入っている物だと思っていた。
アタシの知っているアニメのビデオテープでそんなに短いものは無い。まあ大人の買ったアニメだからな。色々とおかしいところもあるのだろう。
そう思うことにした。
「……どうだった?」
「はっ」
2話、3話と見た後にアキが再度訊いてくる。
アニメに引き込まれていたアタシは、思わず変な声を出してしまう。
そうか、上映中は無言だったから、声を聴くのは1時間ぶりか。久々に感じる。
ふとそんなことを考える。
アタシはすっかりアニメに集中していたらしい。
見せられたアニメは、アタシの知っているアニメと全然違っていた。
金髪の偉そうな若者と、青髪の垂れ目のナヨナヨした青年が戦争をするアニメは、アニメと言われてイメージする、動きの多いものではなかったし、登場人物が大人ばかりだった。
固有名詞は多かったし、言葉遣いもなんだか難しく、古臭かった。理解するのに頭を使った。
ただ、そのせいなのか、良いものを見ている感じがした。頭がよくなった気もする。
端的に言って。
「面白かった。続きも見たい」
素直にアタシは答える。
落ち着いた雰囲気のそのアニメは、続きを見たくなるそれだった。
「あと、エンディングの曲、好き」
劇伴の良さというのはよくわからなかったけれど。
「そっか」
アキはにっこり笑ってそう答える。
いつもの、何を考えているかいまいち読み取れない笑顔だ。
「あ、アタシ、そろそろ帰るね。夕飯の前に少しだけフルート練習したいから」
アニメを3本も見ていたから、16時をとっくに回っていた。
夜は近所迷惑なので、練習ができない。
基礎練習だけでもしておきたかった。
「ん、わかった。じゃあ、またきてよ」
アキはそう言ってテープを片付け始める。
あ、今の会話はよくなかったな。そう思ったアタシは口に出す。
「あの、面白いって言ったのは、お世辞とか、社交辞令じゃなくて、本当に面白いって思ったからで……。面白さはうまく説明できないけど、すごいよかった。続き見たいって言うのも、本当で。だから、また、一緒に見よう?」
少し、アキの笑顔が寂しそうに見えたアタシは思わずそう言ってしまった。
準備した言葉ではないから、うまく伝えられたかはわからない。
本心だが、なんだか気をつかったように聞こえたかもしれない。
そんなアタシの心配をよそに。
「わかってるよ。顔見ればわかるって。また時間ある時呼ぶからさ。今度、続き一緒に見ようね」
アキはにやっと、さっきと違ういたずらっぽい笑顔でそう言った。
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