幕間 狼河原サトミ①
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幕間 狼河原サトミ
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大好きな人がいる。
一緒にいたいと思える人だ。
初鳥シオリ。
彼女は私の親友だ。
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シオリに会ったのは、おそらく2歳か3歳の頃。
物心つく前の、思い出せないくらいの歳。
保育園で育った私たちは、いつも一緒にいたような気がする。
親が迎えに来るのがいつも遅くて保育園で『お残り』していた私と、いつもは夕方定時に親が迎えに来るのに、なぜかその日は迎えが遅くて残っていた彼女。
保母さんが事務仕事かなにかで外していたため、二人きりになった部屋のガラス窓から、シオリは、真っ暗になった保育園の中庭を見て「いつもとおなじところなのに、くらいと、ちがうばしょみたい」と言い、ニコニコしていた。
私は『お残り』が好きではなかったので、「くらくて、おそいじかんは、みんないなくなっちゃうから、さびしいよね」と言った。彼女はそれに対し「さびしいかな? こんなにひろい、にわとへやが、アタシたち、ふたりだけのものでしょ。ぜいたくなかんじする~~!」といい、その印象的な大きな目をキラキラさせていた。
そんな風に考えたことはなかったので、私は少し驚き、その日以来、『お残り』の時間があまり嫌ではなくなった。
それが、私が彼女を認識した一番古い記憶だ。
彼女は少し変わった考え方をする人だったが、そのどれもがポジティブであるように私には感じられた。
シオリには弟が一人いて、体が弱かったから何度も病院へ運ばれていたらしい。迎えが来ずに『お残り』の時間に彼女が残っているときは大体そんな時だった。
「シュンくん、しんぱいだねえ」と私がいうと「まあ、だいじょうぶでしょ」とあっけらかんとしていた。あまりにドライなものだったから、私は思わず、「しんぱいじゃないの? おとうと、かわいくないの?」と聞いた。「かわいいよ。かわいいけど、アイツうまれてから、ママもパパも、アイツのことばっかりなんだよね」とこぼしていた。不平や不満をあまり言わずニコニコしている子だったから、『この子にも後ろ暗い感情があるんだ』と、当たり前のことなのに意外に思ったのを覚えている。
体は小さいけれど気は強くて、私が他の子に苛められていると、すぐに味方になってくれて助けてくれた。
助けてくれた後、私を苛めていたはずの子が、シオリと仲良くなっていて、私もその子と一緒に遊んで仲良くなったこともある。仲が悪い子同士でも仲良くさせてしまうような機転があった。
本人の魅力も多分に影響していたかもしれない。
男の子をやっつけて泣かせているのも見たことがあるが、その泣かせた子もいつのまにか友達になっていた。
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小学校に上がった後、彼女はすぐに友達がいっぱいできて、みんなの輪の中心、人気者になった。
頭がよくて、運動は少し苦手だけれど、気が利いて、曲がったことが嫌いな子だ。そうならないわけがない。
外でグループを作ってみんなで遊ぶ時にも、ほぼ一番初めに指名され、グループに入って、と言われている。繰り返しになるが、彼女は運動が得意ではない。
不思議なのは、一緒にいると、何をするにも絶対大丈夫だと思わせてくれるところだった。
日頃から誰でもシオリを頼ったし、彼女は他人の頼みを断らない。そんな人だった。
ユミはその頃できた友達だ。
同じ町内に住んでいても、他の団地の子とは少し違って品があったし、育ちのよさが伝わってきた。ただ、悪い意味で少し浮いていたから、友達はいないように見えた。
シオリはユミを私の知らないうちに仲間に誘い、いつの間にかいつも一緒にいる友達にしてしまった。付き合いは短いはずなのに、昔から一緒にいる雰囲気を作り出すのもシオリはうまかった。
私はシオリがユミを仲間に入れるまで、ユミがあまり好きではなかった。けれど、一緒に遊ぶようになってからは、私と同じくらいシオリを好きなことが伝わってきて、自然と仲良くなってしまった。
少し頑固で、意地っ張りなところもあったが、マイナスに働くことはなかった。
1年生の夏休みのことは特によく覚えている。
当時、夏休みのプールは、子供会の地区ごとに入って良い時間が割り振られて、それが規則的に組み合わされていたから、地区の違う私とシオリは1週間に1度しか一緒にプールに入れる日がなかった。
授業ではなく、休みでも一緒に入れるのがお互いうれしかったので、夢中になって遊んだ。私もシオリも泳げなかったから、腕に浮き輪をつけたり、ビート板を使ったりしてプールを楽しんだ。
プールから上がって、着替えて帰ろうとしたところ、とある男子がシオリをからかった。「シオリ、お前、スイミングすぐやめちゃったから泳げないんだろ」とかそんな風に。
シオリは即座に反論した。「泳げるし。本気出してないだけだから」と。売り言葉に買い言葉だったと思う。
うそつけ、うそじゃあないもん、と押し問答の末、じゃあ本当に泳げるところを見せてみろ、と言われたシオリは「次のプールで見せてやる!」とライオンみたいなすごい顔で吠えていた。
別れた後、「どうするの、シオリ泳げないじゃん」と言った私に、彼女は、普段のタヌキみたいな愛嬌のあるニコニコ顔からはかけ離れた、歪んだ顔で「ちゃんと考えるから心配しないで」と言っていた。怒りを込めたその声は力強く、彼女の決意を感じさせた。
翌週、シオリをからかった男子と、他数人の子供らで、シオリが泳ぐのを見守ることになった。ほんとに泳げるのかよ、と言われたシオリは、男子をひと睨みして、25メートルくらい余裕、と吐き捨てた。
飛び込みは怖いから、とプールの水に入ったシオリは、そのままバーをつかんで壁に張り付いた。
先週まではたしかに、私と同じく泳げなかったはずなので、どうするつもりかと見ていたら、彼女はそのまま反対側の端に向かって壁を蹴った。私は泳げますよ、みてなさい、とでも身振りで示すように、自然に。
そのまま、水をひとかき、ふたかき、バタ足を繰り出す。不格好なクロールで泳ぎ始めたシオリを見て、私は少し驚いた。いちおうの形になっている。これはもう、泳げると言ってもいいのではないか。
だが、遅かった。カメがのっそり歩くような速度だった。カメが泳ぐ速度ではなく。
バタ足も水をかく手もすごいスピードで動き、彼女が必死に泳いでいることは伝わるが、今にも前に進まなくなってしまいそうだった。
一応前に進んではいるものの、今にも沈んでしまいそうで、息継ぎで見える顔はスタート早々に苦しそうだった。
25メートル泳げるなんて言わなければよかったのに。私は少しそう思った。泳げる、だけにしておけば、と。
それでも彼女は、少しずつ前に進んでいた。全力で動かす足と手の速さに、進む速度は全く見合っていなかったけれど。
どうにかプールの半分くらいまできたシオリに、私は大したものだと思った。だって、先週は本当に泳げなかったのだから。彼女は泳いでいたけれど、フォームはもう崩れてめちゃくちゃで、今にも諦めてしまいそうに見えた。
――と、私の隣で、シオリをからかった男子が、がんばれ、とつぶやいていた。がんばれ、がんばれ、とその子は何度もつぶやく。
とうとう、つぶやくだけでなく、がんばれーと大声をあげていた。私も気づけば同じように、いけえ~、と大声を出している。事情を知って見ていた子も、途中から見ていた子も、なぜか、みんな、がんばれ、がんばれと大声で応援していた。事情どころかシオリのことを知らない子も大勢いるはずなのに。
今にも沈みそうだったシオリは、応援の歓声に後押しされたか、そのまま半分をすぎても沈まず、めちゃくちゃなフォームのまま、バシャバシャ水しぶきをあげながら、本当に遅いスピードで、端に手をつき、ゴールした。おおおー!、と歓声が上がる
おめでとう、とかよくわからない声すら聞こえていた。
シオリは少しぷかぷか、ふらふらと漂っていたが、やがてサイドの梯子をつかんで上がってきた。
ゆっくり、あたりを見回したシオリは、そばに私たちがいるのに気付いて私と目が合った。
私の隣にいた、事の発端となった男子は「シオリ、すげえな! うそとかいってごめん!」と言っていた。
シオリはその子の肩をつかむと「どうだ、みたか」とものすごい形相で言った。眉間にしわを寄せたまま笑うような、あまり見ない表情だった。ああいうのを、鬼気迫る表情というのかもしれない。鬼気迫るというのは物事に取り組んでいる最中の言葉だろうから、厳密に言えば違う。鬼と言われれば、そうも見えた。
私はついこう思ってしまった。『かっこいい』と。
誰かにときめいたことがそのまま初恋になるならば、幼い私の初恋は、この日の鬼のような顔で笑ったシオリだ。
なお、「泳げるって、言った、でしょ」と、言いながら、言葉の途中でシオリはその子をつかんだまま、押し倒すような体勢で倒れこんだ。元々体力のある方ではないし、それで限界だったのだ。
ぶっ倒れたシオリは、そのまま監視員に運ばれていった。
後日「なんであんなことしたの?」と訊いたことがある。泳げなかったはずなのに、わざわざ無理して、と。
少し考えたシオリはこう言った。
「泳げないのは良いんだけど、それとスイミングをやめたことをつなげられてムカついた」と。
「確かにスイミングに行った後、何度も熱を出したからママにやめるように言われたけど、それを泳げない理由にしたくなかった」と。
よくわからないので、詳しく、何度か訊き返していると「何か、過去のアタシの行為とか選択が間違っていたって言われたみたいな。間違った過去が原因で、今のアタシが罰を受ける結果になってる、みたいなのは嫌」とかそんな風に彼女は言った。
「でも、泳げなかったのは事実でしょ?」と私は尋ねた。「うーん、まあそうなんだけど」シオリは続けた。「だったら、泳げることにしちゃえばいいって思ったんだよね」と。
「たとえばさあ、絶対間違ってることってあるじゃん。んーと、理由もないのに教室の窓ガラス割ったり、突然人をなぐったり、とかさ」シオリのたとえ話は、いつも話と遠いところから入る気がして分かりづらい。それでも理解しようとして、うんうん、と相槌を打つ私に彼女は続ける。
「でもどっちでもないものもあるじゃん? あの時、アタシの体を考えれば、スイミングやめさせたママの気持ちもわかるよ。でも、やめてなかったら、体が丈夫になって、今頃アタシは水泳の授業でヒーローになってたかもしれないじゃん。だからどっちが正解とか、わかんないけど。」と。他人にその過去が間違っていたと決めつけられることや、その過去のせいで今が辛いと思ってしまうのは嫌だ、と。そんな話らしかった。
あまり納得はできなかった。シオリの考えはいつもどこか変わっていて、私とは視点が違うように思えたが、一つだけ理解した。彼女は出来ないことを出来るとは言わないのではなく、出来ないことも出来ることにしてしまう人なのだ、と。
どうやって泳げるようになったの、と訊いたところ、「まあ、がんばって練習してよかった。息つぎと腕と足だけ覚えれば、あとは根性でなんとかなるって思ってたけど、あってた」と、ニカっと笑った。男女問わず虜になってしまうような輝く笑顔で。
最後に帳尻があっていればいい、どんな困難も乗り越えるブルドーザーのような人だと私はずっと思っていた。まあ、彼女は正攻法のやり方しか選ばない人だったから、ズルをしてでも合わせようとする『帳尻』という言葉は嫌いだろうけれど。
目的地まで正攻法で真っ直ぐ進む王道と、早く着く近道があったら、王道を真っ直ぐ進んだうえで、近道を行った私よりも早く着いてしまうような。シオリはそんな人だった。
いつも全力で前に進む。
たったの25メートル泳いだだけで、精根尽きて倒れてしまうくらいに。
本人は、そのことを「1回泳げたんだから、次は何回でも泳げるよ」とうそぶいた。つらかった、キツかったとは一言も言わなかった。
私は彼女が泣きごとを言うのを聞いたことがない。
実際、言葉通りに泳ぎはどんどんうまくなっていったけれど。
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