第15話/99話 「雨 終わらない」②
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「枝豆、終わっちゃった」
「アタシ、ゴミ捨ててくるよ。ジュースまだ入ってる? 終わりなら一緒に持ってく」
「え、一緒に行こうよ」
「アタシ、トイレにも行くから。待ってて。戻ってきたら、そろそろ帰ろう?」
「わかった。待ってる」
ゴミ箱、ゴミ袋は校庭のテント下に点在している。
雨の中、大事な友達を歩かせたくなくて、屋根の下に残したまま、アタシは一人で少しぬかるんだ校庭に戻る。
どうせ帰る時は濡れてしまうのだろうけれど、帰宅は舗装された地面だけ通ることができる。土の校庭はこれ以上歩かせたくなかった。
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ばっしゃばしゃ、と。
サンダルと足が濡れるがあまり気にならない。帰ったら拭くか洗えばよい。
雨は降り続いているが、トイレから戻るアタシの足取りは軽かった。
すっきりしていたし、戻ればサトミが待っているのだ。
足が軽くならないわけがない。
と、アタシの足はサトミが待っている渡り廊下の入り口手前で止まる。
心臓が跳ねる。
入り口には、サトミだけでなく、彼女と談笑する数名――7、8名の同級生女子がいた。
呼吸が荒くなる。心拍数が上がるのがわかる。
同じクラスのユミちゃんと、あとは大体いつも一緒にいる子たちのグループ。カーストで言えば上位層。
アタシがいない間に会ったのだろう。
もちろんみんな話したことはある。
悪い子や、意地悪されたことのある子もいないし、1人1人は別に苦手というわけではない。友達かそうでないかと言われればみんな友達だ。
でもなんとなくアタシは気圧されて、近づいて行けなかった。
げっそりとでも言うべき気分になり、アタシの体が冷えていくのを感じる。
降りしきる雨と同じ勢いで、アタシの体中の血がすべて足元へ落ちて行ってしまうような。
さっきまで知り合いとは会わずに、今日はサトミと2人だと思っていたから、気が抜けていたというか、少し、どうしていいかわからなくなる。
気が抜けていた――そう、アタシは気が抜けていた。安心しきっていた。夏休み前に教室にいる時は、いつも少し張りつめた気分でいたような、そんなことを実感する。教室にいる時と、サトミと2人きりの今日は、明らかにアタシの精神は違ったのだ。
どうしていいかわからないのも当然だ。
少し気を張りつめていないと夏休み前のアタシは動けなかった。
アタシは、友達の集団が苦手だから。とっさのアドリブも苦手だから。
サトミはみんなの人気者だったから、あそこにあるのは、再会を喜び合っている雰囲気の幸せの場だし、必然の光景に見える。
アタシは、大事な友達が旧友たちとの再会を喜ぶ、この当たり前の光景を見たならば、混ざって一緒に喜ぶ、あるいは暖かい目で見守るべきなのだ。
サトミは大事な友達なのだから。
わかっている。
頭ではわかっているのだ。
わかっているのに、アタシの足は前に進んでくれない。
すっかりすくんでしまっている。
理性は今すぐ前に行くべきだと言っている。本能は拒否していた。
友達と談笑するあそこで、笑顔のサトミがアタシの陰口を言っていたらどうしよう。笑いあうあの場の話題が、サトミがいない間のアタシの悪口だったらどうしよう。そんな考えまで脳裏をかすめ、必死に打ち消す。そんなわけがない。サトミがそんなことをするわけがない。
息が荒い。下を向いて深呼吸する。地面に落ち続ける雨が見える。
考えを整理する。
このまま無理にでも歩いて混ざる。決心を固める。口から出る言葉は……。
『今日はアタシと来たんだから、ずっとアタシと一緒にいてよ』
『なんでみんなと一緒にいるの。そっちに行かないで。アタシと2人きりでいて』
息が荒い。呼吸が乱れる。
ダメだ。こうじゃない。わかった。アタシの本音。いいたいことはわかった。
アタシはサトミを独り占めしたいのだ。他の人と一緒にいてほしくないのだ。
でもそれじゃダメだ。
サトミは喜ばないし、アタシだけがサトミを独占していいわけがない。独占できるわけがない。
言えるわけがない。本音を言っていいわけがない。
みんなに挨拶して、当たり障りのない言葉で、空気を壊さないように取り繕って、サトミとみんなの再会を喜ぶ輪に入る。
もう一度深呼吸。呼吸を整え、決心を固めて、前を向く。
……っと、サトミがこちらに気付き、おーい、と腕を大きく振っているのが見える。みんなも手を振ってアタシを呼んでいる。
ぎこちなくならないように、腕を上げ、返事をする。
動かない棒に感じる足を必死に前に動かし、傘をたたんで、雨を避ける天井下に、みんなの輪に入る。
「みんな、こんちは。きてたんだ。いまきたの?」
アタシはちゃんと出来ているだろうか。ちゃんと、の定義は分からないが。
サトミを不快な気分にさせていないだろうか。なんでこんなことをアタシは考えているのだろう。
「いや、さっき」「みんなで花火の前に集合だったから」「てか、花火中止じゃない?」……、……。
口々に答えが返ってくる。
サトミは自然に返して、みんなと談笑している。
アタシの口は、うまく動かず、貼り付けた笑顔のまま、どう対応していいかわからない。むしろ、上手く笑顔を作れているだろうか。ああ、ダメだ。
目線は誰とも合っていない。
「ね、ずっとこう。こんな感じ」
ユミちゃんの言葉がやけに耳に残る。彼女の声は喧騒の中でもよく聞こえる。
「そう……」
一瞬、サトミがこちらを見る。少し崩れた笑顔をしているのがわかった。
「それじゃ、私たち、そろそろ帰るから」
サトミがそう言ってくれたので、少しほっとした気持ちになる。
そう、『言ってくれた』のだ。
アタシの気持ちをサトミが汲んだかはわからない。ただ、アタシはもう一刻も早くここから離れたかったし、サトミの言葉は、アタシにとって救いだった。だから『言ってくれた』と感じるのだ。
「わかった。それじゃ、また、次は来年かな?」
そういったユミちゃんにサトミは腕をあげて、ん、と応える。
と、そのあげた腕を、ユミちゃんの肩に回してこう言った。
「ユミ、シオリのこと、よろしくね。ほんと、悪いけど、申し訳ないけど、くれぐれも、よろしくね」
「わかってるって。大丈夫だから。私が絶対なんとかするから」
いつも活発で明るい、あるいは軽薄と言い換えてもよさそうな、ユミちゃんがいつになく深刻な顔で返事をしたので、少し気になった。
でも、今からアタシと帰るのはサトミなんだから、ユミちゃんにアタシのことをよろしくとか、なんか言うのは違うんじゃないか。なんだかおかしいような気がする。
だいたい、周りに人が集まるユミちゃんは、普段から公平にみんなに優しい。アタシのことはあんまり好きではなさそうだけど。
別に、よろしく、しなくたって。
心がモヤつく。
「さ、帰ろ。花火上がるなら、またこよう」
ユミちゃんと離れたサトミは、明るい声でそう言った。
2人でみんなに、じゃあね、と手を振り、渡り廊下の天井を抜け、傘を広げて帰宅の途へ。
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「ねえ、本当に良かったの? 久しぶりにみんなと会ったんだから、もう少し一緒にいても良かったんじゃ……」
歩きながらそんな風に聞いてみる。心にもないことを。
欲しい言葉は大体わかっている。
「いいよ。今日、雨の中歩いて疲れちゃったし。みんなにはまた来年会えるでしょ。花火見たかったけど、この天気じゃ今日は上がらないじゃん」
そして、サトミがこう返してくれるだろうと期待してしまっている。
「そうなの? アタシが帰りたそうにしてたから、無理したんじゃない?」
「え、ちがうよ? 帰りたかったのは私の方。シオリは何も気にしなくていいよ」
わかっているのだ。本心がどっちであれ、アタシに気を使っているのであってもなくても、サトミはこう返すに決まっている。
アタシの欲しい言葉をいつもくれるのがサトミだから。
これは、アタシが言わせているも同然の言葉だ。
「ごめんね……」
「なんも。謝ることなんてないでしょ」
夜になりかけのアスファルトの道路には大きな水たまりがいくつもでき、絶え間なく落ちる水滴が、波紋を作る間もなくそれを埋め尽くしていた。
雨はまだまだやみそうもなかった。
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第15話/99話 「雨 終わらない」 終




