第15話/99話 「雨 終わらない」①
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アタシは未来とか将来という言葉が嫌いだ。
否が応でも毎日迫ってくるそれは、アタシに、大人になる頃には絶対に何者かにならねばならないと追い立ててくる。
未来に何があるのか、どうしたいのかもアタシはわからない。
別に今が楽しいわけではない。
抑圧された自分を感じる今は辛いことの方がずっと多い、
このダメなアタシの現在のずっと先に、何か希望だとか輝かしい未来があるとはどうしても思えないのだ。
未来にたどり着けるかも不安なのに、反対に、確実にそれは来る。
得体のしれないその感覚は小さな恐怖だった。
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8月21日(土)
「浴衣持ってきたけど、どうしよっか」
「うーん……。泥跳ねそうだしなあ……」
3日前から断続的に降り続く雨を窓から見ながら、アタシとサトミは憂鬱だった。
本日は桜山地区の夏祭り。
小学校の校庭に出店が出たり、花火を打ち上げたりするのだが、今日も朝から雨である。強くなったり弱くなったりはあるが、とても止みそうにはない。天気予報も午後から夜にかけては、ますます雨が強くなると言っている。
この夏、サトミと会うのはこれで4回目だ。
家に遊びに行って、映画を見に行って、市民プール、そして今日。
市民プールに行った日は、曇りで寒い日だったにも関わらず、せっかく来たから、とサトミが言ったのでそのまま入った。
プールの客はアタシたちしかおらず、貸し切り状態に胸が躍ったが、水温が氷のように冷たかったので心臓麻痺になるかと思い、ものすごく後悔した。
一緒に行ったシュンは体調を崩して熱を出した。同じくユキミちゃんも熱を出したらしい。
市のコミュニティセンターにある屋内の温水プールにしておけばよかった、と思っている。ただ、あそこは解放感がないし、プール部屋全体に塩素のにおいが立ち込めていて息苦しく感じるので、好きではなかった。
夏休みの間にプールに5回以上入らなければならない宿題が出ているのに、今年は雨ばかりだから、行けていないのは気になる。学校のプールに行けない分は校外のプールでも良いというから、極寒のプール分もママにハンコを押してもらった。
「やっぱり、アタシ、今年はいいや。このまま行くよ」
「じゃあ私もこのままで」
Tシャツ短パンで過ごす宣言をすると、サトミも乗ってくる。
背が伸びないアタシの浴衣は1年生の時から同じものだからかまわないけど、サトミがもし新しい浴衣を持ってきていたら気の毒だな、と雨が恨めしく思えた。
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祭りの資金としてママからもらった1000円を、財布に大事に入れる。月のお小遣いを使わず貯めておいた金もあるから、今日使う分は問題ないと思う。
(去年までは、わざわざお祭りだからって、ママにお小遣いもらわなくても良かったのにな……。)
そんなことを思って少し心が痛む。
毎年夏休みに遊びに行く母方の祖父は、信賞必罰といえば大げさすぎるが、成績の良い子が好きだった。
もちろん自分の孫は全員、かわいがってくれるし優しいのだが。
祖父は毎年、通知表を見せると大変喜んでくれた。
アタシは祖父にとって初孫だったし、そのアタシの成績はとても良かったから。
『よくできた』の数に応じて小遣いをくれる、そんなことをしていた。
今年、アタシは通知表を持っていかなかった。見せられるものではなかったから。
終業式の日、『よくできた』が一つもないアタシの通知表を見てパパとママは、何かの間違いではないのかと、アタシに色々聞いてきた。
説明するのも面倒くさかったので、アタシは、「よくわからない、二学期からはがんばる」とだけ言って突っぱねた。
面倒くさかったので。
……違うかもしれない。多分、恥ずかしかったのだ。現状が。
ママはそれでも、祖父のところへ遊びに行くとき通知表を持っていこうとした。『一学期頑張った結果だから』と。
アタシはママのカバンからこっそり抜き出して、家に残置した。
通知表を持って来なかったアタシに、祖父は少しだけ顔を曇らせたが、それでも小遣いをくれようとしたので、アタシは全力で固辞した。小さなプライドが邪魔をしたと言えば聞こえはいいが、意地を張っただけである。
シュンは通知表の結果がとても良かったので、それを見た祖父はお小遣いを喜んであげていた。アイツは計画性がないからすぐ使ってしまうだろうけど。
初鳥家の面目は弟が守ったのでそれで良かろう、アタシはそんな風に考えている。
結局、ママに遊ぶお小遣いをもらっているので、家に迷惑をかけている。アタシがちゃんとした結果を持ち帰っていれば、祖父もアタシに気持ちよく小遣いをあげられて、それでみんな幸せだっただろうに。
〇
「そういえばユキミちゃんは? 一緒に来たんでしょ?」
サトミと一緒に来たはずの妹、ユキミちゃんを思い出す。
「ユキミは自分の同級生と会ってくるって。帰りは一緒だけど」
ユキミちゃんも春までは桜山小に通っていた。良い子なので友達も多いだろう。
「着いたら、何食べようか」
「とりあえず金魚すくいやりたいな」
「シオリ、金魚は食べられないよ……」
「へへっ」
笑いながら、傘を差して、2人で学校までの道を歩く。
まるで昔に戻って通学をしているかのようでうれしくなる。
サトミの前の家は1丁目の県営住宅で、アタシは7丁目で反対だから、実際には一緒に通学したことはないのだけれど。
〇
県下の小学校で一番広い桜山小の校庭。
複数の白いテントが軒を連ね――単に並べて建てられ、その下に食べ物屋やバザー等が出店していた。テントの下の一角にはテーブルと椅子の飲食スペースもある。
降りしきる雨を除けば、桜山団地、毎年恒例の夏祭りの光景である。
夏祭りの発祥、主催が町内会であり、歴史も古くないので、よその神社や七夕のように、専門のテキヤや露天商はいない。売り物はみな商店街や町内会の人たちがこの日のために仕入れたものばかりである。
雨であるにも関わらず、校庭にはたくさんの人がいて盛況だった。
みな傘を差しているので多く見えるのもあるかもしれないが。
出店の並びとは別に、校庭の真ん中に建てられたやぐらがあり、その隣のイベントスペースでは、近所の高校の吹奏楽部が、誰もが知っている青狸アニメのオープニングソングの演奏を行っていた。
「そういえば、シュンくんから聞いたんだけど、シオリ、最近、フルート吹いてるんだって?」
「ああ、うん。合奏しようって、楽譜無理やり渡されたから仕方なくね」
「シュンくん、グチってたよ。ねえちゃんが朝から晩まで笛ばっかり吹いて、遊んでくれないって」
「あいつはアタシのこと、都合よく使えるおもちゃだと思ってるからね。夏休みの初めの方なんか、あいつの友達の家に電話させられたんだから」
「どゆこと?」
「それがさあ……。あいつ朝から、自分の友達と約束してないからって、遊びに行っても良いか、アタシに電話で聞いてくれっていうわけ。恥ずかしいからって言うんだけど、アタシだってシュンの友達の親とか話したこともないっての」
「で、電話してあげるんだ?」
アタシは、こくん、とうなずくと、咳ばらいを1つして、1段高いトーンの声を披露してやる。
「『もしもし、はじめまして。いつもお世話になっております、初鳥シュンの姉でございます。……うちのシュンがそちらへ遊びにおジャマしたいと申しておりまして、チカシくんはご在宅でしょうか?』」
「アハハハハっ!ははは!」
「ざっとこんなもんよ」
「あははははは……はぁ」
くっくっ、と笑い続けながら、サトミは続ける。
「相変わらずやさしいねえ」
「あいつ、外だと全然物おじしないし、ソトヅラいいくせに、なんでアタシにそんなの頼るかね」
「外でも、お姉ちゃんがいる時だけ張り切ってるんじゃないの」
「そんなタマじゃないよ」
「そうだって。一人の時見てないでしょ。一緒にいると心強いんだよ、きっと」
「うーん、あいつ、アタシをナメてるからなあ…」
サトミが言うならそうなのかもしれないけど、普段の態度からとてもそうは思えなかった。
「とりあえず、何か食べよう。私、りんごアメ食べたいな」
「忘れたの? 桜山にそんなものあるわけないでしょ。ちゃんとしたお祭り行かないと」
別にここのお祭りがちゃんとしてないとは言わないが、無いものは無いのだ。
りんご飴を作る設備なんて、年1回のこれのために用意する人はいない。あちこちのお祭りで使いまわしのできる専門の業者でもなければ。
なお、アタシはりんご飴の存在は知っていても実物をみたことはない。
同様の理由で、型抜きというものも存在しか知らない。
「うーん……」
「あ、玉こんにゃくあるよ。あったかいの、雨だしちょうどいいじゃん」
「おっけ。それからいこう」
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歩いて玉こん食べて、焼きそば買って、雨避ける場所で食べて、歩いて牛タン買って、雨避けながら食べて、とやっていると、腹がもう膨れている。
かき氷も食べようと思っていたのに。いや、この空ではかえって幸いだったか。寒いし。
「友達に会えるかなって思ったんだけど、誰も見ないね」
「雨で少し暗いからね。すれ違っててもわからないかも」
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「アタシ、そろそろ、いいかなって感じだけど、どうする?」
「私、もう少しなんか入れてきたい。せっかく来たし」
「じゃあ、アタシも付き合うよ。何にする?」
「わたあめ……はべたつくからあんまり……。枝豆……?」
店を見渡しながら、サトミは言う。
他に選べるとしたら……バザーのパンとかたこ焼きくらいか。
「オッサンくさい……。なんていうか、ドラマとかで聞くような、キラキラした感じの物ないのかね、チョコバナナみたいな」
聞きかじった単語を言ってみただけだ。
アタシはチョコバナナの実物も見たことがない。
「まあ無いのは分かってるし。私、枝豆買ってくるから、ジュース買ってきてよ」
「はぁい。集合どこにする?」
「じゃあ、職員玄関のあたりで」
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校舎の前で落ち合い、どこかで食べようと歩いて探していると、体育館への渡り廊下の校舎入り口が目に入る。
雨を避けられるし、校舎から降りる段差に座れそうだ。
「シオリ、あそこにしよっか」
「ん」
促されるままに段差に座る。
今日、誰かが使っていたら泥で汚れていそうだな、と心配したが、幸いコンクリートの小さな段差は乾いていた。
ひんやりとした硬さを尻の下と腿の裏に感じる。
「雨、やまないねえ」
「せっかく来てくれたのに残念だな。このままだと夜の花火も中止だよね」
「ディージェイおじさん、楽しみだったのになぁ」
桜山の夏祭りの夜は、小学校の校庭を観客席として隣にある中学校の校庭から、1時間くらいかけて夜空に花火を打ち上げる。
合間合間に、花火の紹介や町内会のメッセージをアナウンスで読み上げ、盛り上げてくれるのが毎年の名物で、読み上げる人は一部の子供たちの間で『ディージェイおじさん』と呼ばれていた。
ライブハウスにいるDJが元ネタらしいのだが、アタシはライブハウスに行ったことがないので本物のDJは知らない。
また、子供たちは、ディージェイおじさんの顔も本名も知らない。謎の存在であるが、1年に1度の盛り上げ上手なアナウンスは、打ちあがる花火と同じくらい楽しみにされていた。今年の出番はないかもしれない。
「皮、どうしよっか」
「アタシ、ビニール袋持ってる。これにいれなよ」
ぽりぽり、と。
2人で並んでパックの枝豆を食べ、ジュースを飲む。
「つまみに枝豆って聞くけど、大人が飲むお酒ってこんな感じなのかな……。さっき、テントで枝豆とビールの人いたよね」
「うーん、私のお父さんも、今の家になってからお酒飲まなくなったからなあ」
「うちも飲む人いないしなあ」
「大人になったら、将来、一緒に飲もうね」
「ん」
将来。
アタシの将来はどうなっているだろう。
大人になった自分はまだ想像できない。
「サトミは」
「何?」
「将来とか考えてる? 何になりたいみたいな。たまに授業で作文とか書かされるじゃん」
「はあ~~……。なんも。昔みたいに何も考えず、お花屋さんとかケーキ屋さんとか言えたら良かったんだけど」
「何も考えずにアイドルとか言ってる子もクラスにいるよ」
「どうせミキとかでしょ。ああいうアッパラパーみたいなんだったら人生楽よ」
「でも最後になんとかなってそうなのは、ああいう子だよね」
「それ。言いたいことわかる。シオリはなんかあんの?」
「ん?」
「将来。仕事とか、結婚とか」
「働く自分、全然イメージできない。アタシ、テレビみないしさ。世の中にどんな仕事があるのかちゃんと知って、それからかな」
「相変わらずマジメだなあ。まあなんでもできるよ、シオリなら」
「そう? へへへ……だったらいいな」
さっぱりイメージできない未来だけど、サトミがそう言ってくれるなら、なんとかなる気がする。
「結婚は?」
「……全然考えてないけど、とりあえず、金。金でアタシに苦労させない人」
普段はいろいろ誤魔化すが、今は正直に答えてしまった。
サトミは、言いづらい話題の答えを相手から引き出すのがうまくて、つい乗せられてしまう。声色なのか、タイミングなのか、流れの作り方なのか。
なぜか空気がそうなってしまうのだ。
こういうのを巧みな話術というのだろうか。
アタシがサトミのことを単純に好きだというのもあるけれど。
「わかる。すごいわかる」
「他はわかんない。かっこよくて性格良い人が良い」
「そんな人、いてもライバル多そうだねぇ」
「サトミだってそうでしょ」
「まあ、そりゃあ、まあ」
将来は全くわからない。今から考えても仕方ないことで話が続く、多分今この瞬間は幸せだと思う。
こういう話ができる人がいい。なんなら、サトミと結婚できるならアタシはそうする。
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