第11話/99話 「矛盾 抱えたまま」
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アタシは宗教が嫌いだ。
アタシの家は、とある新興宗教に一家で入っている。
口に出すのも、文字に起こすのも嫌なので、名前は出さないが。
貧しく生活が苦しかった祖父母が、救いを求めて入信したのがきっかけである。
当時幼かったパパの将来を案じたのも、大いにあるかもしれない。
困窮するほどの貧しい家に寄付を強請る宗教ではなかったし、つらい境遇に打ち克ちましょう、という教えの1つも我が家にはハマっていたのだろう。
祖父は小卒だけれど、パパは大卒である。パパの世代の学歴は半分くらいは高卒止まりだから、立派なものだと思う。
ママもパパに言われて入信したし、アタシとシュンは生まれたときから、一般的な言葉で言えば『信徒』である。
そんな一家であるし、宗教の本も、文字が多くて分厚い本や写真集から絵本に至るまで多くが家に存在し、アタシはそれらに囲まれて育った。
幼い頃は何も思わなかったが、成長するにつれて少しずつ現実との間にずれを感じる。
絵本に描いてある人や動物はみな優しく、自分に対していじわるをする人にも優しいのに、その宗教に入っている大人たちは、みな他の宗教のことを悪く言う。
勝敗以外に大事なものもある、と口では言うくせに、機関誌に載っている言葉はいつも「勝利」「勝利」「大勝利」だ。
信徒が集まる建物は豪華で、ぴかぴかで、入り口なんか大理石を使っていたりする。
桜山団地の住民たちはみな裕福ではない家庭であったが、その宗教の信徒たちも似たような生活レベル。集まる建物は、その信徒たちが寄付した金で建てられたものであるのだが。
細かい矛盾が積み重なって、いつしかアタシの心はすっかりその宗教から離れてしまった。
アタシは両親が大好きで、自慢のパパとママだったし、表立って文句を言ったり反抗することはしなかったが、少なくとも朝と夕方に仏壇の前に座ることはしなくなった。
そのパパとママも近所の人と仲良くしていたし、笑ってしまうくらい非の打ちどころのない庶民。人のいい両親だったから、好かれているのは間違いなかったが、「あの宗教に入っていなければね」という目で見られているのが、子供のアタシにわかってしまうのも嫌だった。
いつからかその宗教は、信徒にならなくても『教友』みたいな名前で、その宗教に理解がある人、みたいな名前で名簿を作ったり了承の署名をもらったりしていた。我が家で一番その宗教の教えに熱心なのはアタシの祖母だったが、アタシの友達の親にその署名を頼んでいたのが判明したときは、あまり怒るのが上手でないアタシもさすがに考えた。
祖父母の寝室の窓ガラスを叩き割って「次やったらまた割るから」と言ってやったのだが、何の罪も無い祖父には悪いことをしたかな、と思っている。
その後、アタシや友達に祖母が宗教関連で迷惑をかけることはほぼなくなった。ちょくちょくアタシの知らないところで、やらかしていたりすることもあるのだが。
とは言え、その宗教の矛盾が許せないアタシの小さな正義感や道徳心は、間違いなく、パパやママがその宗教の教え――理想――を幼い頃からアタシに植え付けた結果である。
それに気づける程度にアタシを教育してくれたのも、その宗教を信じる我が家の教育方針である。宗教の信徒なんてアホな方が良いのに、貧困と戦うにはどうしたって教育が必要であるから、貧乏人を信徒に多く持つその宗教は、教育の大事さを説いていた。
祖父母の代には、親戚の家の庭にある離れを住居として、食う物にも困る程度に困窮していたらしい我が一家。その一家が、子供のアタシに三食不自由なく食べさせて、他の家族にプライバシーを侵害されないあったかい寝床まで用意できているのは、祖父母やパパとママが、その宗教の教えを基に頑張ったからに他ならない。
祖父母や両親が毎日頑張れるのは、その宗教の信徒が世間に顔向けできないことはできない、恥ずかしい立場になることはできない、というのが動機付けの中に多分にあるのはアタシだって理解している。それが支えになる人はそれで良いのだ。
自分の中のある、家族が好きだという想いと、その家族が信じている物がどうやっても好きになれないという矛盾した嫌悪感。
整理しきれない理性と感情がいつもアタシを苦しめる。
アタシは宗教が嫌いだ。
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7月18日(日)
「ねえちゃんもいこうよ」
「行かない」
月に一度、アタシの一家が入っている宗教では、小学生の集会を行う。
桜山と近くの新牧と、その周辺。地域の中でも大き目の家にみんなで集まる。
うちにある仏壇だって黒檀で出来た立派なものだと思うけれど、その家にある仏壇は黒塗りの本体と扉に、大きな金メッキの飾りがいくつもついた、うちにあるそれよりふた回りは大きなものだった。
祖母は、いつかあんな立派な仏壇が欲しいと言う。
実利になんら影響しない、それが欲しいと思う感覚はアタシにはわからない。
「シオリ、あなたも行ってくれるとお母さんうれしいんだけど」
「行かない」
アタシがずっと行ってないことはママだってわかっているはずなのに。
朝からイライラさせないで欲しい。
「いこうよ。としうえのひとたちもみんなやさしいよ。おかしだってもらえるし」
「行かない」
「めんどくさいの?」
「行かない」
「シオリ、行かない理由くらい教えてくれてもいいじゃない」
「行かない」
お菓子がもらえようが、ありがたい話がきけようが、奇跡のような体験談が聞けようが、アタシはなるべくそれに関わりたくないのだ。
「おかしもらっても、ねえちゃんにはあげないからね。ママ、いこ」
「はいはい」
ママの車でシュンは出かけて行った。
姉のアタシが行かないなら僕も行かない、とか言い出さなくてよかったと思う。
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ヒュロロロロ……
ママとシュンが出かけてしまったのでアタシは一人で昨日の復習、ロングトーンを繰り返す。
今日出る音も、昨日ママが聴かせてくれたそれとは違い、なんとなくカスれた音だ。情けないと言ってもいい。
早くうまく吹けるようになりたい。
でも今できることはこれしかないのだ。
ママが今日は違うことを教えてくれるといったから、それを楽しみに繰り返す。
昼になればママは帰ってくるから、それまでの辛抱で。
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「ずいぶん頑張ってるじゃないか」
少し休んでいたところ、パパに話しかけられる。
「ん。早く吹けるようになりたいから」
そうとしか言いようがない。
始めたことができないのは、なんとなく我慢ならなかった。
性分なので仕方がない。
「今日は家にいるの?」
「仕事は午後からだよ。娘が頑張って吹いてるところ見ると、なんかうれしくなるな」
「恥ずかしいからあんまり見ないで」
「トランペットの子と合わせるんだって? なんでそんな話になったんだ?」
「なんか、放送室でトランペットの練習してる子がいて、話の流れで、うちにフルートがあるって言ったらそうなった」
「うちになら、父さんのホルンだってあるじゃないか」
言われてみれば。そういえば。
パパとママの出会いは大学の吹奏楽部だったので、当然のようにどちらの楽器もある。
「忘れてた」
ごめんなさい。心の中で謝る。
「ホルンって言ってくれれば俺が教えたのになあ……。せっかくのチャンスだったのに」
「もう言っちゃったからしょうがないじゃん。シュンにでも教えたら」
「あんまり小さい子だとラッパは無理なんだよ。歯が生え代わって、口がしっかりしてないと」
「ふぅん」
「でも、フルートで良かったかもな。フルートとかピアノは日中なら家でも練習できるし。ラッパは中々そうもいかないぞ。近所迷惑になるから」
「あ~……。フルートでよかった。……へへっ」
「冷たい娘だなあ……」
そういえば、アキは今頃どこでやっているのだろう。
音楽教室とか行っているのだろうか。
あれだけ放課後熱心に練習してるやつが、休日に何もしてないとも思えない。
機会があったら訊いてみよう。
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午後、ママに教わった口の形――アンブシュア――の練習は難しかった。
教則本に描いてあるのと全然違うような。
できるやつが見ればこれでわかるんだろうか。
「変なクセがつくとダメだから、しばらくはママが見てるときにやりなさい。時間作ってあげるから」
「はぁい」
「そういえば、パパが、ホルンやらないのかなって昨晩言ってたわよ」
「さっき聞いた」
「やってあげてもいいんじゃない」
「フルートが吹けるようになったら、やろうかな」
吹けるようになったら、の意味をアタシはまだ知らない。
「そうしたら。パパ喜ぶわよ」
「でもホルンは重そうだからやだな」
正直、フルートだってアタシが持つには重い。
昨日、今日でもう肩は凝るし腕はだるい。
「そうね。あと、ホルンを選ばなくて良かったかもしれないわ」
「なんで?」
「ホルンとか……クラリネットの楽譜は難しいもの。リコーダーと大体同じフルートで良かったでしょ」
「ふうん。楽器ごとちがうんだ。めんどくさいね」
「楽器ごと違うから、合わせたとき面白いのよ」
ママも時々よくわからないことを言う。
吹けるようになればわかるだろうか。
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第11話/99話 「矛盾 抱えたまま」 終




