表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/31

第10話/99話 「始まり 気の進まない」 

 〇

   7月17日(土)

「これ、楽譜(がくふ)。楽しみにしてるから」

 先週の終わり、アキにそう言われて渡された数枚の楽譜(がくふ)を前に、朝からアタシは憂鬱(ゆううつ)だった。

 五線譜(ごせんふ)に手描きで描かれた物をコピーしたような、目の前の楽譜(がくふ)は4年生の音楽の教科書に()っているものと難易度(なんいど)はそう変わらないように見える。

 しかし吹けもしないフルートのための楽譜(がくふ)なのだ。

 ママに話さなくてはいけない。

 教えてくれるとしたらママだけだから。


 〇


 疲れた。

 主に腕が。

 ついでに頭が。肩が。


 正直に、フルートがやりたい、というとママは快諾(かいだく)してくれた。

 学生の頃、ママが自分で()ったというバッグに、ビロードかなにかの布に包まれた銀色のフルートはとてもきれいで、大事に使わなくては、という気持ちにさせる。

 ママは学生の頃に使っていた教則本(きょうそくぼん)を引っ張りだしてきて、基礎(きそ)のやり方から教えてくれた。

 各音の出し方を教えてくれた後にロングトーン。

 フルートは1本しかないから、交互(こうご)に使うしかない。

 よく見て唇を同じようにしているはずなのに、アタシの音はママの音と違って、なんだかカスレて聞こえる。

 それを言ったところ、ママは「アンブシュアっていう、口の形の訓練(くんれん)もあるから、後でやりましょうね」と言った。まずは指の形を覚えるところから、と。


 指の形を覚えて、音を出しているだけであっという間に時は過ぎる。

 楽譜(がくふ)を見て曲を演奏するのははるか先に思えた。


「毎日10分とか15分とかでも良いから、続けるのが大事よ。少しずつうまくなればいいんだから」

 

 昼食のフレンチトーストを食べた後、再度ロングトーンの練習をするアタシに、ママは言う。

 少しずつではなく、すぐにでも吹けるようになりたいのだが。

 

「今日はそれだけやって、明日はスケール、音階(おんかい)の練習もしましょう」

 

「おんかい?」

 

(おさ)える穴、指の方で順番に音を変えていくの。音で階段を作るみたいなイメージだから音階(おんかい)って聞いたわ。簡単な曲くらいすぐ吹けるようになるから、まず基礎(きそ)が大事よ」

 

「今日教えてよ」

 

 ママがわざわざ、指の方で、と言った理由をアタシはまだ知らない。

 

「指の形覚えてからね。それと、メトロノーム探しておかないと」

 

「メトロノームなら、ピアノの上にあったじゃん」

 

 居間の、インテリアの役割しかしていないアップライトピアノの上に。

 アタシが、先生が厳しいから行きたくないと言って、やめてしまってからは、あまり誰も触らないピアノの上に。

 ママもパパも弾けるけれど、なにせ忙しい家族だ。まとまった時間がないと中々(なかなか)触らなくなっている。

 

「こないだ、掃除のときにどかしちゃったの。どこ行ったのかしら……。とにかく今日はロングトーンだけ」

 

「はぁい……」

 

 焦っても良いことは無いらしい。仕方がない。

 

「それと、1年生から3年生までの音楽の教科書と、副読本(ふくどくほん)資料集(しりょうしゅう)っていうのかしら? 探しておきなさい」

 

「すぐ見つかると思うけど、なんで?」

 

「やることはリコーダーと同じ。基礎(きそ)をやったら、簡単な曲をやるの。基礎(きそ)と曲と、繰り返してうまくなるの。基礎(きそ)比重(ひじゅう)が、ほんっっっっの、すっこっし、だけ、多っい! ただそれだけですからね」

 

 ほんの少し、そんなに力を入れなくてもいいのに。

 ママはいつも大げさだ。


 〇

 

「それにしても」


 夕食を終え、教則本(きょうそくぼん)を眺めながら、手に持ったフルートの復習(ふくしゅう)をするアタシにママは言う。

 

「どうして突然(とつぜん)フルートをやる気になったの?」

 

 そりゃまあ、気になるよね。

 逡巡(しゅんじゅん)するアタシに、ママは続ける。

 

「ピアノやめちゃったのに。私、あれでシオリは音楽なんて嫌いになると思ってたわ」

 

 まあそうだ。今でもピアノは好きじゃない。楽譜(がくふ)の読み方と音楽記号(おんがくきごう)を覚えるのは楽しかったし、学校の音楽の授業が楽になったけど。

 

「ピアノは先生厳しくて嫌だった。音楽が嫌いなわけじゃない」

 

 好きでもないけど。

 

「へえ。それなら良かったわ。音楽は素敵だもの」

 

 全然その感覚は理解できない。

 

「……学校で、一緒に吹こうって言われたの。……楽器やってる子に」

 

「へえ。クラスの子?」

 

「うん。楽譜(がくふ)渡されて。見る?」

 

 アタシは楽譜(がくふ)をママに見せる。

 

 ママは1枚1枚を、ふんふん、と言いながらじっくり見ていく。

 

「1曲じゃなくて、いくつもあるのにちょっと驚いたけど、どれも吹くだけならそこまで難しくないわ。こっちの3つは私もやったことある。どれも楽しい曲よ」

 

「ふうん。どのくらいで出来る?」

 

「人によるからわからないわ。早くできるようになるより、楽しんでやる方が大事」

 

 吹けなければ、出来るようにならなければ、楽しくないのではないか。アタシは内心(ないしん)ちょっとだけ反発(はんぱつ)する。

 

「ん。がんばる」

 

 口には出すが、嫌いな言葉だ。

 

「発表会とかするの?」

 

「そんな予定ない。個人的(こじんてき)に吹くだけだって」

 

 アキはクラスの人気者である。一緒に吹くことを考えるだけでも少し気後(きおく)れする。

 人前でなんか吹けるものか。

 

「せっかく練習するのにもったいない。でも他人と合わせるのは楽しいわよ。どんな子なの?」

 

 学生時代、吹奏楽(すいそうがく)をやっていた母には『練習=発表で誰かに聞いてもらうもの』なのだ。

 どんな子、と聞かれてアタシは返答(へんとう)に困る。アキとはそんなに親しくない。

 話の流れで、楽譜(がくふ)をいわば押し付けられただけだ。

 

「……背の高い、トランペットやってる子」

 

「楽器まで違うの!てっきりフルートだけで合わせるのかと思ってたわ。ますます楽しみね」

 

 ママに冷やかされたくなくて、男子であることは言えなかった。

 ママはいつも優しいけど、異性(いせい)の話になると、すぐ彼氏彼女に、とか、好きな子がどう、とかいう話を始める。

 大人にそういう話をされるのは昔から嫌いだった。まあ親戚(しんせき)のおじさんおばさんもそういう話を子供にする人ばかりだから、大人というのはそういうものなのかもしれない。

 コイバナが好きな子供にでもしてやればいいのに。相手を選べ。


 (さいわ)い、ママは『他の楽器と合わせる』という部分に興味(きょうみ)がいったらしく、楽譜(がくふ)を見ながら、ふんふんふふん、と楽しげに鼻歌(はなうた)を鳴らし、それ以上の追及(ついきゅう)はしてこなかった。


 〇


 第10話/99話 「始まり 気の進まない」 終


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ