第8話/99話 「凍結 いつもの」②
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スズちゃんの家は、団地をぐるりと外側から取り囲む斜面、それを少し内側に登った道路の奥にある。
一度、団地の外側の斜面に抜けてからでないと、団地内に入ってこられないから、通学するには少し不便な場所だ。
アタシがこの家から通学するとしたら、「家の裏まで近道があればすぐなのに」と毎日考えてしまうと思う。
スズちゃんが来る前は、山口さんという一家が住んでいた。アタシより少し年上の子がいたのを覚えている。親同士のつながりで家に上がったこともある。
団地の外側の斜面は、雨が降ると、団地内から斜面側に突き出たむき出しのパイプが勢いよく雨水を流す場所がいくつもある。ほとんど近くの大きな側溝へ流れていくが、大雨で水の勢いが強くなることもあり、斜面が浅い川のようになっていることもある。
……通学するには少し不便な場所だ。
スズちゃんの家族がここを中古で買ったのか、貸家なのかはわからない。
「あがって。今日はお母さんがパートだし、妹も出かけてるみたい。ゲームでもしよう。こないだボンバーマン買ってもらったの」
3人で流行りの――といっても、アタシはよく知らないがおそらくは――のテレビゲームをする。2人ともアタシよりうまい。
「それにしても、ほんっとムカつくわ」
ゲームをしている最中も、ユミちゃんの機嫌はずっと悪い。
「シオリが答えなかったくらいで、あんな、見せしめみたいな」
怒っているのは、長尾先生の行為に、らしい。アタシがユミちゃんたちの意図をくみ取れなかったから、ではなくて、ちょっとほっとする。
怒っているユミちゃんはちょっと怖い。それでなくても普段から言葉遣いが粗いけど。
「アタシが何も言わなかったのが悪いんだから、仕方ないよ」
「シオリが前からそうなのは、見てればわかるでしょ。無理に答えを言わせようとしたって無理じゃんね」
「私も、長尾先生はあんまり良い先生じゃないと思う。前も私、長尾先生のクラスだったけど……」
「なに、なにかあったの」
他人の悪口は蜜の味とはよく言ったもので、ユミちゃんはスズちゃんの話に乗る。アタシは陰口が好きではないし、注意するところなのかも知れないけれど、ここで何か言うと話がこじれそうなので聞くことにした。
「私、転校してきたばっかりの頃は友達も出来なくて、ちょっとイジメられたりもしてたの……。イジメと言ってもテレビで見るような、自殺したり、とかそんなひどいことされたりしたわけじゃないんだけど」
無視されたりとか、物を隠されたりとか、くつに砂が入ってたりとか、とスズちゃんは続ける。アタシの中ではそれは十分に『そんなひどいこと』なのだが、スズちゃんには違うらしい。強い。かわいいのに見た目に反してアタシよりずっと強い。ってか誰だ、このかわいい子にそんなことしたやつ。
「ひどい悪口書いた手紙とかが机に入ってたりして、どうしてもムリになったから、お母さんたちに相談したの……」
それを聞いたスズちゃんの両親は何度も学校に相談したが、解決しないので、保護者が集められる懇談会で父親が発言したらしい。スズちゃんの現状を切々と。
スズちゃんのイジメの話を、スズちゃん父が訴えたのにも関わらず、話が終わった後の長尾先生は。
「『はい、次の人』って言うだけだったんだって」
「え、何か答えとか、注意とか、何にもなし?」
「何にも。その後も個別で呼ばれたりとか何にもなし。お父さんが『がっかりした』って言ってた」
「ひどくない? 普通、なんか動きあるじゃない。ほんっと使えないわ、それ」
ユミちゃんの鼻息はますます荒くなる。美人なのに、そんな顔するのはあまりよくないとアタシは思ったりもする。
ふと、アタシは気になる。
疑問がそのまま口に出る。
「そしたら、イジメおさまらないじゃん? どうなったの、それ」
「それがね、なんか、友達とかが増えて。……別なクラスの子がみんなで遊ぶときとかに誘ってくれて、同じクラスの子も自然と友達になってくれて。私にされたひどいことに、一緒に悲しんでくれる子とか、怒ってくれる子とかも出てきて、だんだんなくなったの。」
「へえ。そうなんだ。よかったね、って言っていいのかわかんないけど、よかったね」
結局のところ、イジメというのはいじめられている被害者が弱者だから、というのも原因の1つにある。被害者に対して同情や寄り添う人間が増えれば、それだけその被害者は強くなる。強くなった弱者はもう弱者ではない。
アタシがその場にいて解決できるか、寄り添ってあげられるかはまた別だけど。
「ちっともよくないわよ。結果だけ見ればスズは今もちゃんと学校にきてるけど、さっき言ってた、テレビで見るような自殺とか、また転校とか、あってもおかしくなかったんでしょ。先生たちが何かしてくれなかったのは問題でしかないわ」
ユミちゃんの怒りは治まらない。他人の受けた仕打ちに対してこれだけ怒るのは、なんだか普段のイメージとは違う。クラスで騒いでいる、ノリが軽くて、アタシのような根暗への高圧的な印象とはあまり結びつかなくて。
……アタシは少し誤解していたのかも知れないと思う。
「うーん、まあそういうのは良いよ。私は今元気だし、振り返っても大丈夫だし。私が言いたかったのは、つまり……『長尾先生に何か言われたり、されたりしても、それは先生が間違ってるかもしれないから気にしないで』ってことなの」
「な、なるほど。そっか」
「そうよ、あの先生、ポンコツなんだから」
結局、スズちゃんの話はアタシを励ますためのものだった。自分のイジメの話まで持ち出すのはアタシへの気遣いをとても感じる。アタシは悪い過去はなるべく振り返りたくないし、話をするのも嫌だ。できるならそういうのは忘れてしまいたい。
イジメに耐えた話も、アタシなら他人を励ますためではなく、『自分はこんなに強いんだぞ』という文脈で使ってしまうかもしれない。もしそんなエピソードがあるなら、それを心の支えに、拠り所にしてしまうかもしれない。何も持っていないアタシはそれほどに弱い。
「でも、シオリちゃん、本当に覚えてないの」
「スズ、ダメよ」
唐突にアタシに話を振ったスズちゃんを、ユミちゃんが遮る。
「それはダメ」
「ん、何がダメなの?」
「それよりさあ、スズはそれから友達増えたよね。どこのグループからも引っ張りだこじゃない。モテモテって感じで」
アタシの疑問を気にせず、ユミちゃんは話を続ける。ちょっと気になったのに。
「えへへ、そうかなあ、……そうかも。でも、最近みんな、おおぜいでは遊ばなくなったよね。なんか小さい人数でグループ作って遊ぶ、みたいな。私は人が多い方が楽しくて好きなんだけど」
「まあ、そうかもね。人数増えるとめんどくさいのよ、いろいろ」
同意するユミちゃんの気持ちはわかる。人数が増えると、どの子とどの子が仲が悪いとか、先日喧嘩したとか、好きな男子が同じとか、考えることが増える。視界にいる友達同士が、アタシを陰でどう言っているのかも想像したくない。
「小さいグループで遊ぶと、他のグループの悪口言ったりとか、あの子たちと遊ばないでとか言われるから、なんかヤだな。前みたいに、みんなで仲良くしたいのに」
スズちゃんは人気者だけれど、それを鼻にかけたりしない。
……いい子だな。……友達多いのに、なんでアタシなんかの心配もしてくれるんだろ。
それからアタシたちは、もっと幼い頃はみんなで仲良くできたのに、喧嘩してもすぐ仲直りできたのに、という話をした。成長すると単純に生きられた頃に戻りたいと思う。将来はもっと考えることが増えて、仲の良い友達も減っていくのかもしれない。付き合い方も変わっていく。おそらくは。
〇
スズちゃんの家からの帰り道。いつもの学校への通学路。
十字路でユミちゃんとはお別れだ。そもそもユミちゃんの家は、アタシの家とは学校をはさんで反対側なのだから、学校をもう一度通るか、ぐるっと遠回りして帰ることになる。
「んーと、今日はありがと。心配してくれたのに、全然気づかなくてごめんね」
「いいわよ、シオリはそうでしょ……」
一応、謝っておく。正直、他人を心配して、みたいな人間だとは思っていなかった。
ユミちゃんは何か言いたいことがあるのか、口を少し開いたり閉じたり、アタシを見たり、目をそらしたりしている。
「……シオリ」
「ん」
何か、意を決したというように、アタシの名前を呼ばれたので、なんだろうと答える。
「その……いや、やっぱり、なんでもない、早く元気になってね」
なんだ、はっきりしないな。つくづく、こんなキャラじゃないと思うんだけど。
「気にしてないから、大丈夫だって言ってるじゃん、じゃあまた明日」
「そうじゃなくて……、いや、また明日。……さよなら」
ユミちゃんは、しつこいくらいにアタシを励まそうとしている。
大丈夫だって言ってるのに。意外と心配性なのかもしれない。
クラスメイトの違う一面を見れた気がして、帰りの足取りは軽かった。
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第8話/99話 「凍結 いつもの」 終




