第8話/99話 「凍結 いつもの」①
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アタシは学校の授業が嫌いだ。
教科書を読めば書いてある簡単なことしかやらないのに、やけにイライラする人を見ることになる馬鹿馬鹿しい時間だから。
教師も子供も。
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6月24日(木)
「あなた、どうしてそんなに反抗的なの!」
給食後の社会の時間。
静まり返った教室で、長尾先生の怒号が飛ぶ。
「なにかおっしゃい!なんとかいいなさい!」
そんなにキンキンとした声で怒鳴らなくてもいいじゃないか、こういうのが金切り声というのかな、と考えてみたりする。別に言葉には出さないけれど。
そもそも口が動かないので。
授業の前半に前回の復習として、長尾先生は問題を出して生徒に答えさせることがある。
わかる人、と聞かれて子供の手が上がる時もある。手が上がらない日もある。
今日は後者だった。
「誰もわからないなら……そうね、じゃあ初鳥さん」
ハイ、と返事をして立つ。
誰もこんな簡単なものがなぜわからないのか、不思議に思いながら答えを言おうとする。まあアタシも手を上げてないしな。みんなもわからないわけではなくて、恥ずかしいとかいろいろ事情があるのだろう、と頭をよぎる。
突然、言葉が出なくなる。
みんなの注目を浴びながら、喋ろうとしているアタシを『げっそり』とでも表現すべきか、なんとも言えない感覚が襲う。
顔の筋肉が動かない。言葉を発する寸前の半開きの口が動かない。元々そこまで発達していない表情筋が死ぬ。のどの奥から、みぞおちのあたりから、空気が出てこない。
しっかりと立っているはずなのに、肩の上から何かに体を押さえつけられているような、全身の血が頭の上から全部足元に落ちていくような感覚。
アタシの脳裏に浮かぶ言葉は『またか』である。
動けず、言葉も出ない、金縛りにあったようなこの感覚をアタシは何度も経験している。先生に指名されて答えられないこの教室で。同様に3年生の時の教室で。友達の家で。大勢の友達がいる場所で。
「なぜ黙っているの? わかるの? わからないの?」
簡単なことなのだ。
〇〇です、と答えを言うだけなのだ。
一瞬前まで頭にあった単語を言うだけなのだ。
その答えも、小学生なら誰でもわかるもので、アタシも例外ではない。
「先生、シオリ、わかんないみたいだから、オレが代わりに答えます」
隣のイサオが助け舟を出してくれる。いつもの流れだ。
ただ、今日は様子が違った。
「駄目です。先生は初鳥さんに聞いているんです。あなたが答えたのでは意味がありません」
長尾先生は許さなかった。イサオはそのまま黙ってしまう。
「初鳥さん、あなたがわからないはずないでしょう。なぜ答えないの?」
教壇の先生をアタシは見る。
見るというよりは視界に入っているだけだけれど。
数瞬前まで浮かんでいた答えはすっぽり頭から抜け落ちているし、質問すら覚えていなかった。
何を言えばいいのか、そもそもなぜ自分が立っているのかもわからない。
「あなた、どうしてそんなに反抗的なの!」
冒頭。静まり返った教室で、長尾先生の怒号が飛ぶ。
「なにかおっしゃい!なんとかいいなさい!」
そんなこと言われても。言葉が出るならそうしている。
「授業に参加する気がないなら、廊下に出ていなさい」
固まるアタシに業を煮やしたのか、先生はそんなことを言った。
ふっと体が動くようになる。
のろのろと。席を離れたアタシはそのまま扉を開けてふらふら廊下へ出た。
「あなたたちも、授業に参加しないなら出て行ってもらいますからね」
長尾先生のヒステリックな大声が中から聞こえる。
廊下に立たされる子供はこの時代珍しくない。
忘れ物をしたクラスメイトが、授業に参加させてもらえずに追い出されているのをアタシは何度も見ている。
アタシ自身が教室から追い出されるのは初めてだけれど。
ふと顔をあげれば、教室と反対側の窓から、遠く、山の斜面のスキー場と裾野に広がる森が見える。
晴れていれば、それはもう綺麗な景色なのだが、あいにくと曇りに少しの雨だ。
歩き出す。廊下に出ろとは言われたが、教室の前にいるように言われたわけではない。
とは言っても、他のクラスは授業中だし、行く当てもないので、この時間の終わりまで時間をつぶそうと図書室へ向かうことにした。
図書室は好きだ。誰の目もなく集中できる。
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「それにしても。先生のアレはひどいよね?」
帰り道。いつも穏やかなスズちゃんにしては珍しく語気が強い。
今日は委員会も何もないのでまっすぐ帰る。
のだが、帰りの会の後、スズちゃんからなぜか「一緒に帰ろう」と言われたので、一緒に帰っている。
「何もしてないシオリちゃんに外に出てなさい、なんて」
少し目が怖くなっていてもやっぱりかわいい。
日光がなく、いつもよりうす暗い雨の中でも、傘の下にある黄色いランドセルがよく似合っている。アタシや他の子の赤とは違う、少し特別な感じがする。
「ほんとそれ。別にシオリが騒いだとか、授業の邪魔したわけじゃないのにね。」
なぜかユミちゃんまでついてきている。
スズちゃんの家は同じ7丁目だから、帰る方向も、2つある校門のうち出る門も同じ。
でもユミちゃんの家は違う。北門ではなく南門の方から普段は帰っているはずだ。
まあいいか。こっちに用事でもあるのだろう。スズちゃんと遊びでもするのだろうか。
途中で別れるはずの角でなぜか別れずに、スズちゃんはアタシの家の前までついて来た。ユミちゃんも一緒に。
「じゃあ、アタシ、ここだから、また明日ね」
「うん、またね」
「ん。また明日」
別れの挨拶をしたはずなのに、二人は玄関の前まで進むアタシを門の前から見ている。
なんだかよくわからないけど、見張られているようでむず痒い。
ピンポーン。ピンボーン。
何度チャイムを押しても、誰も応えない。
祖母がまたどこかへ遊びに行ってしまったらしい。
1年生で、先に帰っているであろうシュンがいてくれれば出るのだろうが、祖母がいないからそのままどこかへ行ってしまったか。あるいは、シュンが帰宅してどこかへ行ってから祖母が家を出たか。
どちらにしろ、アタシが家に入れないのは変わらない。
困った。
今日は帰りの会の直後に、スズちゃんに声をかけられてしまったから、トイレに寄ってきていない。今はまだ平気だけど、肌寒い雨の中だとお腹が冷えたりして心配だ。
と、門の方に目をやるとまだそこにいる二人と目が合った。帰ればいいのになんでまだ立っているんだろう。
家に入れない自分を見られていたようで、見られているようで気まずい。
にへら、とあいまいに誤魔化し笑いをして二人のところへ行く。
「あの、今日まだ誰もいないみたい。アタシは誰か来るのを待ってるから、二人ともそこにいないで帰ったら?」
「え、シオリちゃん鍵持ってないの?」
「家に入れないってこと?」
「うん。まあ、そう」
顔を見合わせる二人。
そりゃそうだよね。家に誰もいない日があるのに、鍵を持たされてない子供はあまりいない。
「シオリちゃん、私の家に遊びに来ない?」
「え、いいの?」
スズちゃんの家には行ったことがないけれど、そう遠くないのは知っていた。
「うん、よければ、だけど」
正直、助かる。寒空の下、暇を過ごすのかと思っていた。
「あ、じゃあ、私も行っていいかな」
「うんユミちゃんも来て。3人で遊ぼう」
てっきり、ユミちゃんは何か用事があるとか、スズちゃんと遊ぶからついてきてるんだと思っていた。意外だ。
「そういえばさ」
スズちゃん家への道すがら、アタシは切り出す。
疑問は早めに解消しておきたい性分だ。
「なんでユミちゃん、今日はこっちに来たの? 家の方向違うじゃん」
「なんでって、私、学級委員だもん」
「学級委員だと、なんでこっちに来るの?」
「クラスメイトの面倒見るのが仕事でしょ」
答えがいまいちピンとこない。
もう少しわかりやすい子だったと思うのに。
「シオリちゃん、ユミちゃんは今日廊下に立たされてたシオリちゃんのことを気づかって付いてきたんだよ。普段あんなことないから心配なんだよ」
「えっ、……そう、なの? マジ?」
アタシとスズちゃんを交互に見やった後、軽く頷くユミちゃん。肯定、らしい。
全然わかっていなかった。アタシは確かに廊下に出てるように言われたけど、校内をぶらっと散歩して図書室へ行っただけだし、そもそも授業自体をそんなに受けたいとも思っていなかったから。
「スズ、いいよ。こいつ、全然わかってないわ」
「……もしかして、スズちゃんが今日家まで付いてきたのも?」
「当たり前でしょ。あんなことあったら、ショックを受けてるんじゃないかと心配して来てみれば、これよ。私とスズの心配なんか、てんで意味なかったんだわ」
「いいじゃない。シオリちゃんが元気なら、それで」
「元気って……。元気とは言わないわよ、こいつの場合」
まあまあ、となだめるスズちゃん。
ユミちゃんは怒るほどアタシを心配していたのだろうか。なんだか申し訳なかった。
……ユミちゃん、アタシのこと、どちらかといえば嫌いだと思ってたんだけどな。
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