第1話/99話 「迷い 放課後の」
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桜山小の音楽室からは、放課後になるとラッパの音が聞こえてくる。
多分宇宙で一番うまい。
その音を吹いてるのは、美雲アキタカっていう同級生の男の子で。
アタシが彼を知るのは、もう少しあとだ。
それまでは――。
アタシみたいな、なんだかよく分からない4年生の毎日と、
「うまく生きられない感じ」の話が続く。
きっと期待は裏切らないから、そのつもりでお願いしたい。
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4月27日(火)
重く大きな扉を開く。
5時間目の授業と帰りの会を終え、トイレに寄った後のアタシは、放送室へと向かった。
ギイイッ……
実際に音はしていないのだが、なぜか鳴るように感じる重い扉を開け、独特のにおいがする部屋に入る。
1人の女の子が椅子に座り、膝の上に本を広げて読んでいるのが見えた。
アタシが部屋に入ってきたのに気付いたその子は顔をあげ、にっこり笑うとひらひらと手を振る。
「こんにちは。今日はシオリちゃんがいっしょなんだ。よろしくね」
「こんにちは。ヨリコちゃん」
4年生になって入った放送委員会。顧問の先生から最初に教わったのは「あいさつは大事だからきちんとするように」であった。
アタシは出来ている。笑顔で挨拶されたのだから、きちんと笑顔で返せている。多分。
やるべきことをやれているか。
言葉にすれば多分そうなるアタシの自問をよそに、ヨリコちゃんはずっと笑顔で言葉を続ける。
「6年生は放送室にいなきゃいけないけど、4年生はどこで待っててもいいのに。まじめだねえ」
「教室とかいてもヒマだし。図書室は今日開いてなかった」
ランドセルを置き、近くの椅子にアタシも座る。
「何読んでるの?」
「セブンティーン。見る?」
ヨリコちゃんは膝の上の本を開いたまま表紙と裏表紙を見えるように上げてくれる。
表紙が美人な女の人の顔だから、多分ファッション誌だ。
「わかんない。あんま見たことない」
「へえ。一緒に見よう。いろんな服がのってるし、モデルさんみんなかわいいし、楽しいよ」
そういうと、ヨリコちゃんはアタシにも見えるように、スイッチが並んだ机の上に雑誌を広げる。
雑誌とアタシを交互に見ているヨリコちゃんの目は、とてもきれいだ。
分厚い眼鏡のアタシの目がヨリコちゃんにどう見えているのかは知らないけれど。
このモデルが先月からの新しい人で――、このパンツが今はやりの――、もうすぐ夏の服を売り出すからそうしたらこういうページを参考に――、この色とこの形の組み合わせが相性がいいんだって――。
ヨリコちゃんは一生懸命説明してくれるが、アタシは「うん、うん」と相槌を打つだけで精一杯だ。
なんせその雑誌には、小学生のアタシでも知っている単語ばかり書いてあるのに、それが文章になった結果、全然意味が分からない、はっきりとしないキャッチコピーが並んでいる。
(生地がデニムだからいつもの形でも着こなしイメージがぐーんとアップ、ふーん……)
ドデカい写真の上に半分乗った文字の列。
それを心の中で復唱したりしてみても、今一つピンとこない。
それよりも気になったのは
「ねえ、ヨリコちゃんはお金あるの?」
「えっ、どうして?」
「だってアタシ、こんな、5000円のシャツなんて買えないよ。こっちのセーターなんて12000円もするし」
話すアタシが着ている服は、ママが知人から段ボールいっぱいに詰められた古着を譲り受けた、そのときの一着であるフード付きのトレーナーとよれよれのジーンズ。
胸には、『初鳥シオリ』と書かれた名札の安全ピンを、何度も通してほつれた穴まで開いている。
ジーンズは丈が合わないから裾を何度も折って止めてある。
女子のものとは思えない黒い無骨なベルトがなかったら、ずり落ちてしまうシロモノだ。
もっとも、この小学校にはそんな子ばかりだし、むしろおしゃれな恰好をしている子の方が珍しい。
だから、服装が原因でからかわれたりいじめられたりはしないし、そんな話も聞かない。
よほど汚い服を着ているとかでもない限りは。
こんな雑誌に写るぴかぴかの服というのは、アタシたちとは無縁の、とても遠い世界の話に思えた。
ヨリコちゃんはアハハと声をあげて笑うと、
「私だってないよ」
と言い、言葉を続けた。
「でもね、いつかは大人になってきれいな服を買うようになるし、今からこういう雑誌を見て勉強するの。すぐに目は慣れないから、買えるようになった時のために勉強するの。ダサいとかイモとか言われないように」
いつかがいつかは分からないけど、そんな風に言ったヨリコちゃんは、なおもぼんやりした顔をしているであろうアタシに言う。
「それにね、古着屋さんで欲しい服見つけられたら、これにのってる値段よりずっと安いし、形が多少違っても直せばいいんだよ。そういう方法だってあるんだから」
そう言うと、同じ雑誌の、服の形の変え方がのっているページを開いて見せてくれた。
「おさいほう得意じゃないとダメじゃない?」
「5年生になったらミシンの使い方習うから大丈夫だよ! 私、お父さんの要らないズボンからバッグ作ったんだから」
「えっ、ヨリコちゃん、ミシン使えるの?」
「ズボン切るのも生地おさえるのも大変だから、お母さんに手伝ってもらってるけどね。シオリちゃんだって来年習ったらすぐできるよ」
ヨリコちゃんはそう言い切ったけど、ミシンを使ったことがないアタシには想像もできない。
難しそうだと感じる。
ヨリコちゃんは続けて言う。
「おしゃれする方法はいくらでもあるんだよ、お金がなくても、子供の私たちが知らない方法だってきっといっぱいあるよ」
なんとなくそういうものかと納得したアタシは、その後ヨリコちゃんと一緒に、ファッション雑誌に夢中になって時間を過ごした。
ヨリコちゃんはアタシの知らないことを教えてくれる。
それに、勉強してるというだけはあって、アタシの持っているのと似たようなシャツやスカートでも、アタシとは見た目の印象が全然違う気がする。
素材――服の素材ではなく、着ている本人――がかわいいからかもしれないけど。
肩まである髪だって、毛先がシンプルに真っ直ぐではない。
前髪から後ろにかけて斜めにすっきり切られていて、全体のまとまりとして整ったシルエットになっている。
美容院とかに行っているのだろうか。町の床屋さんで、「後ろで2つにまとめやすいようにしてください。前髪は眉毛より上くらいにしてください」とだけ言う、くせっ毛のアタシにはイメージできない。
6年生というのは遠い存在だと、なんとなくアタシは考えていた。
〇
「あ、時間だ。機械の操作もうできる?」
「うん、大丈夫。」
放送機材のスイッチを入れ、校内放送向けに切り替える。
マイクの前でヨリコちゃんがアナウンスをする。
ポーン
『5時です。下校の時刻になりました。校内と校庭に残っている人は忘れ物に注意して、速やかに帰りましょう。下校の時刻になりました。校内と校庭に残っている人は忘れ物に注意して、速やかに帰りましょう。』
ポーン
チャイムを校内に流し、アナウンスを2回、チャイムをもう一度。
今日の委員会の仕事はこれで終わりだ。
「じゃあ、私、鍵返してくるから」
「うん」
「またね。さようなら」
「サヨウナラ」
挨拶は大事。
もう少し話したかったなと思わないでもないが、さようならと言われたら、同じ言葉を返してしまう。
アタシはそういう生き物だ。
それにヨリコちゃんの家はアタシの家とは方向が違うから、いっしょに帰るわけにもいかない。
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部屋を出て、真っ直ぐ下駄箱へ。
南北に2つある校門のうち、北側の方へ。
もうすぐ初夏とはいえ夕方の外は少し肌寒い。
日はまだ沈まないから、さっき下校のアナウンスをしたにも関わらず、校庭でサッカーをしている子たちが見える。
夕焼けはないから、明日は曇りだろうか。
そんなことを考えながらアタシは歩く。
家に帰るのは好きではなかった。
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第1話/99話 「迷い 放課後の」 終




