第89話 奇跡を前に、天才は沈黙し、剣士は誓い、神殿は揺れうごく
村を包んでいた光が、ゆっくりと薄れていく。
だが、消えたわけではなかった。
それは――この地に“定着した”。
芽吹いた大地、息を吹き返した家畜、清冽な水を湛える井戸。それらすべてが、奇跡ではなく“今ここに在る現実”として、クンナ村に残されている。
その中心で。
呆然と立ち尽くしていたのが――リリアだった。
「………………は?」
いつもなら真っ先に考察が始まるはずが、完全に思考停止している。
髪に結んだ黒いリボンが、朝の風に揺れて目元を隠すのも、気づきもしない。
「……いや、待って……待って待って待って……」
小刻みに指を動かし、無意識に数式を空中に描こうとして――途中で止まる。
「土地の死滅状態を、広域・同時・恒常回復……? 魔力残滓の再汚染、ゼロ……?」
声が、だんだん裏返っていく。
「理論が……理論が全部、破壊されてる……!」
がくり、と膝をつきそうになりながら、必死に地面を見つめる。
魔術師としての矜持が、歓喜と恐怖で同時に揺さぶられていた。
「これは……これは“術”じゃない……現象……概念改変……? ううん、もっと根源……」
そう呟いた、その時だった。
――ぎぃ……ぅ、うぉん……
低く、規則正しい回転音。
リリアの耳が、ぴくりと動く。
「………………え?」
ゆっくりと顔を上げた先。
牧草地の端、芽吹いた緑の向こうに――
「……な、なに、あれ……」
見覚えのない建造物が、そこに“完成した状態”で存在していた。
高く組まれた木造の小屋。赤茶色の屋根。
そして――側面から突き出した、四枚の巨大な白い羽根。
風が吹いていないにもかかわらず、羽根は静かに、しかし確かな力をもって回転している。
――まるで、大地そのものの鼓動を受け取るかのように。
「……ちょ、待って……待って……」
リリアは、完全に顔色を変えた。
先ほどまでの呆然とは違う。
研究者としての“本能”が、強く叩き起こされている。
「あれ……構造物だよね……? 召喚陣も、構築過程も、魔力流入の痕跡も……無い……」
ぶつぶつと早口になり、歩きながら距離を詰める。
「素材は木材……でも加工精度が異常……接合部に魔力補強なしで、この耐久性……?」
羽根の回転を見つめ、目を見開く。
「……動力が……ない……? 風圧でも魔力でもない……じゃあ、何で回ってるの……?」
一拍。
そして、はっとしたように、柚葉とルシエルを見る。
「……まさか……」
喉が鳴る。
「大地そのものが“循環を始めた”……? 生命の流れを、構造物が受け取って……変換して……」
言葉が、震え出す。
「……うそ……」
リリアは、拳を握りしめた。
「そんなの……世界設計レベルの話じゃない……!」
だが、その表情は恐怖ではなく――
完全な、研究者の恍惚だった。
「……すごい……」
震える声で、ただそれだけを絞り出す。
――魔術の天才が、再び言葉を失う。
奇跡は、生命を蘇らせただけではない。世界の“理”に、新たなページを刻み込んでいた。
そしてそれを、誰よりも早く理解し始めてしまったのが――
地雷系研究オタク、リリアだったのだ。
一方。
ヒジカタは、ゆっくりと二人の前に進み出ると。
膝をついた。
武人としての作法に則り、背筋を正し、頭を深く垂れる。
「……拙者、不肖ヒジカタ」
低く、しかし揺るぎない声。
「この目で見届けた。聖女殿の慈悲と、殿下の光が重なり、世界を救う瞬間を」
顔を上げた彼の目には、迷いがなかった。
「もはや疑いようもない」
右拳を胸に当て、誓いを立てる。
「拙者、命にかえても――」
一拍。
「星雫の聖女・柚葉殿、そしてルシエル殿下を、お守りすると誓う」
それは主従でも、義務でもない。
一人の剣士が、魂で選んだ忠誠だった。
最後に。
セラフリエル。
彼女は、ゆっくりと片手を胸に当てた。
本来であれば、この仕草は神殿監察官としての正式な所作――
奇跡を前にした際、感情を排し、ただ事実を“記録する者”としての態度を示すためのものだ。
だが。
「…………っ」
その肩が、わずかに震えている。
喉が鳴りそうになるのを、必死に押し殺すように、セラフリエルは一度だけ深く息を吸った。
(だ、だめ……落ち着きなさい、私……!)
(これは監察……奇跡の検分……冷静に、冷静に……!)
そう、彼女は神殿監察官。
奇跡に感動してはいけない立場。ましてや、尊さに悶えるなど、あってはならない。
――本来は。
だが、視界の先では。
柚葉とルシエルが、手を取り合い。光に包まれ。村全体に“生”を取り戻している。
芽吹く大地。
歓声を上げる村人たち。
そして何より――
必死に力を振り絞りながら、互いを信じ、支え合う二人の姿。
「……尊……」
ぽろり。
思わず零れかけた言葉を、セラフリエルは両手で口元を塞いで押し戻した。
(ち、違う! 今のは違う!!)
(尊いとか、可愛いとか、エモいとか、そういう感情論ではなく――!)
必死に理性を立て直し、彼女は背筋を伸ばす。
「……こほん」
咳払い一つ。声音を、できる限り“監察官のそれ”に整える。
「本件における現象は……星降りの巫女と、光の継承者による、複合加護の顕現……」
淡々とした口調。しかし、その瞳は、きらきらの輝きを隠せずにいる。
「理論上は未観測。いえ、未想定です。星雫と王家の光が……あそこまで“寄り添った形”で共鳴するなど……」
言葉が、少しだけ速くなる。
「いえ、共鳴という表現も不足ですね。あれは……信頼。互いを想う心が、奇跡の“形”を決定づけている……」
そして、限界だった。
セラフリエルは、ぎゅっと拳を握りしめる。
「――っ、ああもう……!」
一瞬だけ、監察官の仮面が外れた。
「可愛い……尊い……! なにあの手の握り方!? 視線!? 支え合ってるのに前に出すぎない距離感!? 奇跡の発動条件が“信頼”とか、神殿的に百点満点すぎません!?」
早口で完全に素。
だが、はっとして周囲を見回し、慌てて姿勢を正す。
「……失礼。あくまで、あくまで監察官としての感想です」
誰に向けた言い訳かは、本人にも分からない。
それでも、もう一度だけ、彼女は胸に手を当て、今度ははっきりと宣言した。
「――神殿は、この奇跡を正式に“祝福事例”として記録します」
そして、視線は再び、光の中の二人へ。
声は小さく、だが確かな熱を帯びて。
「……それと個人的に。この尊さは、未来永劫、語り継ぐべき案件です」
神殿監察官としての義務と、可愛いものを愛してやまない一人の女性としての本音。
その両方を胸に抱きながら、セラフリエルは、確かに“奇跡の現場”を見届けていた。
ガルディウス、ヒジカタ、リリア達が出会う短編となります。お時間のあるときにでも、こちらも読んでいただけたら幸いです。
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