第82話(後パート) 剣を抜く理由はただ一つ、生きていると信じるために
そして同じ夜。
南方山脈の奥深くで、世界が一段、深く軋んだ。
それは偶然ではない。
“神殺し”が抜かれたからだ。
巨大な魔剣《グリム=バルムンク》。
ガルディウスがそれを担ぐ時、周囲の理は否応なく歪む。
その異常を、星の下から見逃す男はいない。
(……やはり、持ち出したか)
アーシェスは、遠く離れた歪みの震えを、静かに受け取っていた。
あの剣は、力が過ぎる。
破壊力だけではない。
神性を“殺す前提”で作られた概念武装。
虚邪のような存在にとっては、無視できぬ“毒”そのものだ。
(……ガルディウスが本気を出すほどの歪み、か)
アーシェスは知っている。
弟があの剣を持つということは、そこに“確定すべき敵”がいるという意味だ。
ならば――確認は、終わった。
「――十分だ、ガルディウス」
低く、静かな声が、歪みの縁を切り裂いた。
星の下から現れたのは、外套を翻す、もう一人の王子。
「お、兄貴」
ガルディウスは振り返り、にやりと笑う。
「確認、終わったぞ。ここは“当たり”だ」
「ああ」
アーシェスは頷く。
「虚邪は、無視できない。お前が暴れた時点で、この地点の重要度は確定した」
破壊は、探索でもある。
ガルディウスの役割は、最初からそこにあった。
そして――その破壊を、意味のある戦場へ収束させるのが、アーシェスの役割だ。
アーシェスは、歪みの奥、まだ姿を持たぬ“何か”を、冷静に見据える。
(……ミレフィーオは、生きている)
確信は、予感ではない。
星の配置も、地脈の流れも、そして虚邪の“焦り”も――すべてが示していた。
だからこそ、彼は剣を抜かない。
救うべき者が、生きている戦場では、まだ“王”は前に出ない。
(……やはりだ)
星の配置。
地脈の逆流。
そして、胸元の契約紋。
――今は、安定している。
先ほどまで感じていた、削れるような感覚はない。
それが意味するものは、ただ一つ。
「……生きているな」
その言葉は、独り言のように零れた。
ガルディウスが、眉を上げる。
「……あぁ?」
一瞬だけ首を傾げ、それから、どこか懐かしむように口の端を歪めた。
「……あのガキだろ」
巨大な剣を担ぎ直す。
獣じみた笑みの奥に、ほんのわずかな温度が宿る。
「ミレフィーオ」
名を呼ぶだけで、それが誰のことか説明する必要はなかった。
「あいつ、小さい頃からそうだった」
剣の切っ先で、地を軽く叩く。
「転んでも泣かねぇし、泣きそうになっても、必ず立ち上がる」
ふっと、短く息を吐く。
「兄貴と二人で、何度追っかけ回したと思ってんだ。放っとくと、無茶ばっかしやがる」
一瞬、視線が遠くなる。
「……迷宮でも、同じだった」
岩壁に刻まれた古い裂け目を、無意識に目でなぞる。
「あいつ、後衛だってのに前に出やがってな。魔獣の群れに囲まれても、祈りを止めなかった」
思い出すのは、血と土と、崩れかけた天井の下。
「治癒が一拍遅れりゃ、死んでた場面だって何度もあった。それでも――引かなかった」
低く、確信に満ちた声で言う。
「背中、預けられるって思ったのは……あれが初めてだ」
それは武勇談ではない。
命を並べた者にだけ許される評価だった。
「……だからだ」
ガルディウスは、前を向いたまま言う。
「今も、まだ踏ん張ってる。迷宮で、俺たちと一緒に生き残ったやつだ」
赤金の瞳が、僅かに細まる。
「ああいうのは――簡単には折れねぇ」
アーシェスは答えない。
だが、その沈黙は、否定ではなかった。
だが、胸元の契約紋は、静かに安定した脈を刻んでいる。
(……そうだな)
彼は一歩、前へ出る。
「ガルディウス」
「おう」
「ここは任せる。虚邪は、君に引き付けられている」
剣を握る第二王子の笑みが、さらに深くなる。
「了解だ。――あいつが帰ってくるまで、派手に掃除しときゃいいんだな?」
「ああ」
「なら、遠慮はいらねぇ」
次の瞬間。
炎と鋼が、夜を裂いた。
その破壊の向こう側で、まだ囚われたままの聖女候補が、そして、命を削る聖獣が、確かに“生きている”未来へと繋がっていることを。
アーシェスは、星に誓うように、胸の内で繰り返した。
(……必ず、辿り着く)
この夜、見えぬ糸は確かに張られている。
断ち切るためではなく――再び、結び直すために。




