第82話(前パート) 剣を抜く理由はただ一つ、生きていると信じるために
――星は、分かれて動きながら、必ず交わる。
その思考が終わるより先に。
南方山脈のさらに奥。地脈が暴れ、魔獣すら近寄らぬ断崖の向こうで。
炎のような気配が、地を蹴った。
「ははっ! 最高だなァ……!」
岩肌を砕きながら現れたのは、獣の笑みを浮かべ、巨大な剣を肩に担ぐ男。
第二王子、ガルディウス。
――本来、彼は赤手空拳を好む。
拳で砕き、蹴りで潰し、肉体そのものを武器として戦うのが、彼の流儀だった。
理由は単純だ。
弱い敵に刃は要らない。
だが今、彼の肩にあるそれは――“剣”と呼ぶには、あまりにも異様だった。
人の背丈を優に超える、分厚く歪な大剣。刃というより、もはや鉄塊。
振るうたびに風ではなく、衝撃そのものが生まれる代物。
それは、ガルディウスが本気で敵を殺しに行く時だけ、携えるもの。
魔剣 《グリム=バルムンク》。通称、“神殺し”。
彼が十六歳になった年。王国中の冒険者と騎士が挑み、ことごとく屍を晒した滅びと葬りを司る“虚ろなる宮殿”と恐怖された高難易度ダンジョン《滅葬虚宮》。
その最奥で待ち受けていた、“神の失敗作”とまで呼ばれた異形の守護存在。
それを――同年代のメンバーで構成されたパーティーの中で、その力を持って真正面から叩き潰したリーダーの少年がいた。
血に濡れた祭壇の中心で、その死骸から引き抜いたのが、この魔剣だった。
以後、王都では囁かれる。
――あの王子は、拳を使っている限り、まだ遊んでいる。
――だが、あの大剣を担いだ時は、世界が壊れる。
「おいおい……」
ガルディウスは、楽しそうに肩の剣を鳴らす。
「久々だぜ。“これ”を使うのはよ」
剣の切っ先が、地面を叩く。
大地が、悲鳴を上げた。
「腐った神の残りカスども……」
獣の笑みが、さらに深く裂ける。
「――今回は、逃がさねぇからな?」
その言葉に応えるように。
空気が、歪み、風が止まり、音が削ぎ落とされる。
世界の“裏側”が、軋む感触。
「……来たな」
ガルディウスは、心底楽しそうに剣を構える。
それは戦闘態勢ではない。
処刑の構えだった。
彼は探らない。測らない。星も、地脈も、読むことはしない。
ただ――“引き寄せる”。
虚邪に汚れたものは、破壊を嗅ぎ取る。ならば、自らが最大の破壊となって、呼び寄せればいい。
「おいおい……静かすぎるぞ?」
剣の切っ先で地を叩く。
「腐った神の残りカスなら、もっと騒がしく群がってくるもんだろ?」
挑発の声が、山を震わせた。
――だが。
次の瞬間。
空気が、歪んだ。
風が止まり、音が削ぎ落とされる。代わりに、世界の“裏側”が、静かに軋む。
それは敵意ではない。殺気でもない。
仕事の気配だった。
カサリ、と。
月光の縁で、影が“裂ける”。
音もなく降り立った黒衣の一団――迅月衆。
その先頭に立つのは、三日月のように細い片目を持つ男。
ミカヅキ。
無言、無表情、無温度。ただ、ガルディウスの背後――死角を塞ぐ位置に立った。
続いて、影のさらに奥から一歩遅れて現れる人影。
白銀の髪を束ね、感情の起伏を一切表に出さぬ男。
シラツキ。
彼はガルディウスではなく、歪みそのものを見ていた。
「……あぁ?」
ガルディウスが、楽しげに口角を上げる。
「来てたのかよ。護衛って柄じゃねぇだろ、お前ら」
返事はない。
ミカヅキは一歩も動かず、ただ剣の届かぬ距離を、完璧に管理している。
シラツキが、淡々と告げた。
「前線は若が引き受ける。迅月衆は“不測”を切る」
「ははっ、要は保険だな?」
「……そう解釈して構わない」
その瞬間。
歪みの奥で、何かが“応えた”。
ガルディウスは、即座に剣を構える。
「……来たな」
心底楽しそうに。
その背後で、ミカヅキの影が、さらに細く研ぎ澄まされる。
まるで、ガルディウスに辿り着く“可能性”そのものを、最初から切り捨てるかのように。
――その頃。
遥か離れた王都外縁、スラム街。
崩れかけの孤児院の屋根に、グレイヴは腰を下ろしていた。
「……ちっ。派手にやりやがって」
遠くで感じる、地脈の震え。
虚邪が“動いた”合図。
だが、彼は向かわない。
足元から聞こえる、子どもたちの寝息に視線を落とす。
「安心しろ。今日は俺が張り付いてる、ってここんとこ毎日だけどな」
独り言のように、低く。
「虚邪の穢れが来るとしたら、戦場じゃねぇ。こういう、守りの薄い場所だ」
屋根の縁で、指を鳴らす。
「だから今回はよ……旦那の暴れ役は任せた」
口元に、いつもの不敵な笑み。
「俺は俺で、ガキどもとこのボロ屋を守る仕事だ」
闇の中で、何かが動いた気配がする。
グレイヴは、剣に手をかけた。
「……来るなら来いよ、虚邪」
その声は、軽い。
だが、その背中は――逃げ場を作らない位置に、確かに立っていた。
彼の背後。
瓦礫の陰に潜む、スラムの孤児たちと、古びた孤児院。
虚邪の穢れは、弱い場所から喰らいつく。
ならば、そこに“破壊されぬ壁”を置くだけだ。
(……ここは俺が引き受ける)
グレイヴは振り返らない。
王子たちが前に出るなら、自分は“後ろ”を守る――それでいい。




