第79話(後パート) 静かな晩餐、噂が追いつかない剣、最強は静かにそこに在る
やがて。
クラウスが、ふっと息を吐く。
「……なるほど」
視線を柚葉へ向け、どこか感心したように言った。
「よく見ているな」
そして、ヒジカタへ。
「だが――」
魔剣を構え直す。
「あの者には、これで十分だ」
ヒジカタも、鼻を鳴らした。
「問題ないでござる」
むしろ、誇らしげに。
「この刀で、足りぬなら」
「――それは、拙者の修練不足というだけの話」
その言葉に。
柚葉は、背筋がぞくりとする。
(……この人)
(本気だ)
本物の刀ではない。
相手は、名のある魔剣を持つ王国でも有名な剣士だとルシエルに聞いた。
それでも、勝つ前提で立っている。
――模擬戦、とは?
そう心の中でツッコミを入れながらも。
柚葉は、なぜか目を離せなかった。
この二人が交わすのは、ただの勝負ではない。
剣士としての在り方。
そして――“隣に立つ者”を巡る、無言の問い。
夜の中庭で、静かに、剣が語り始めようとしていた。
「……始めるぞ」
低く告げると同時に、クラウスが踏み込んだ。
迷いはない。その一歩には、戦場を知る者の重みがあった。
次の瞬間――
柚葉の視界が、わずかに歪む。
ヒジカタの姿が、半拍早く、そこに“在った”。
剣が振り下ろされる前に。いや、振り下ろすという意思が完全に形になる、その直前に。
――間合いが、消えている。
金属音が、夜気を震わせた。
だが、それは激突ではない。力と力がぶつかる、重たい音でもない。
ヒジカタの刀は、最小限の角度、最小限の動きで、クラウスの剣筋を“ずらした”。
刃と刃が触れ合った時間は、ほんの一瞬。
(……速い)
柚葉は、思わず息を詰める。
派手な踏み込みもない。剣圧を誇示するような力任せの一撃もない。
それなのに。
クラウスは、一歩も前に出られない。
攻めれば、受け流される。退けば、間合いを詰められる。
剣が触れるたびに、主導権だけが、静かに、確実に奪われていく。
数合。
その間に、クラウスの表情が、ほんのわずかに変わった。
余裕が消える。
目の奥に、戦友としての敬意と――純粋な闘争心が灯る。
「……っ」
短く息を吐き、剣を振るう速度が一段、上がる。
魔剣が応えた。
刻印が淡く光り、刃に魔力が巡り、空気が、ひと呼吸分、重くなる。
(……本気に、なった)
柚葉は、はっきりと感じ取った。
――それでも。
ヒジカタは、変わらない。
足運びも。構えも。呼吸の深さも。
ただ、淡々と。
流れに逆らわず、剣に剣を当て、“勝てる形”だけを選び続ける。
そして――
次の一合。
ヒジカタの切っ先が、ぴたりと、クラウスの喉元で止まった。
紙一枚分の距離。
それ以上、近づく必要はないとでも言うように。
沈黙。
夜風が、中庭を抜け、二人の間を通り過ぎる。
月明かりの下で、魔剣の光だけが、ゆっくりと静まっていった。
「……参った」
クラウスは、深く息を吐き、ゆっくりと剣を下ろした。
その表情に、悔しさはない。あるのは、戦友としての納得と、晴れやかさ。
「噂以上だな」
一拍置き、
「いや……噂が、追いついていない」
ヒジカタは、すっと刀を収める。
「拙者の得意分野でござっただけ」
控えめな言葉。だが、その響きに、虚勢は一切ない。
その瞬間、柚葉は、はっきりと理解してしまった。
(……違う)
(この人……)
視線が、ヒジカタの刀へ向く。
あれは、本物の日本刀ではない。
材質も。反りも。重心も。
“侍”として見れば、不完全だ。
――制限付きだ。
それなのに。
(これで……あそこまで……)
胸の奥が、じわりと熱くなる。
道具に頼らない。力を誇らない。
積み上げた技と経験だけで、当然のように、相手を制する。
それを、特別だとも思っていない。
(……最強って)
(こういう人なんだ)
クラウスは、剣を収め、深く頭を下げた。
それは領主としてではなく、一人の戦士としての礼だった。
「貴殿がいるなら、明日も安心だ」
「護るのが役目でござる」
短く答え、ヒジカタは踵を返す。
月明かりの中、その背中は静かで、揺るぎがない。
柚葉は、その姿を見送りながら、そっと思った。
(……最強って)
(派手じゃなくていいんだ)
静かで。
ぶれなくて。
それでいて――圧倒的。
クンナ村に待つものが、災厄であろうと、異端であろうと。
この護衛がいる限り。
そして、この人が“本気を出す必要がない限り”。
簡単には、崩れない。
そう、確信できる夜だった。




