第79話(前パート) 静かな晩餐、噂が追いつかない剣、最強は静かにそこに在る
クラウス・フォン・ハーゼンは、杯を静かに卓へ戻した。
音は小さい。だが、その所作には、無意識の緊張がにじんでいた。
「……貴殿」
視線は、迷いなくヒジカタ――ユーフェミアへ向けられる。
「王都では、随分と名の通った剣士だと聞いている」
それは、ただの世辞ではない。かつて同じ戦場に立ち、剣を交え、背を預けた者への確認だった。
ヒジカタは肩を竦める。
「噂話でござるよ。拙者は、ただの護衛役に過ぎぬ」
控えめな返答。だが、その立ち姿は、まるで別のことを語っている。クラウスは、戦場を生き延びた者特有の視線で、彼女を見ていた。
無駄のない姿勢。自然に落ちた重心。深く、乱れのない呼吸。
(――変わらんな)
剣を抜く前から、勝負は始まっている。そういう人間だ。
(……そして)
ほんの一瞬だけ。視界の端で、フリルの影を捉える。
リリア。
場違いなほど柔らかな装い。戦場とは真逆の存在感。
(……あれが、許嫁、か)
報告書で読み、頭では理解している。
だが――
(ユーフェミアほどの剣士の隣に立つ者が……)
胸の奥で、言葉にならない違和感が渦を巻く。侮蔑ではない。敵意でもない。
ただ――納得が、いかない。
だからこそ。
「差し支えなければ」
クラウスは、静かに立ち上がった。その動きには、私情を押し殺した冷静さがある。
「軽く、合わせてもらえないだろうか」
それは挑発ではない。確認だ。“今も、変わらず最強か”。
空気が、ぴんと張り詰めるが、ルシエルは止めなかった。
王子として、ではなく、二人を知る者として。
リリアは、むしろ興味深そうに目を細める。そこに遠慮も、不安もない。
ヒジカタは一拍置き――それから、ゆっくりと頷いた。
「……模擬戦であれば」
中庭。
夜気はひんやりと澄み、雲ひとつない空から月明かりが石畳を白く照らしていた。
館の外壁に沿って灯された魔導灯が、二人の影を長く引き伸ばす。
互いに礼を交わし、静かに距離を取る。
まず目に入ったのは、クラウスの剣だった。抜き身になった瞬間、空気がわずかに鳴る。
刃は青白く、月光を吸い込むように鈍く輝いていた。刀身には細かな紋様が刻まれ、柄元には古い魔術式の刻印。
(……あれ)
柚葉は、思わず息を呑む。
(あの剣……ただの軍用剣じゃない)
――魔剣だ。
しかも、装飾用でも、儀礼用でもない。長い年月、実戦で振るわれてきた“名のある刃”。剣が語る重みが、はっきりと伝わってくる。
一方。
ヒジカタが腰に差した刀へ、視線が移る。
一見すれば、反りのある刀身。柄の形も、それらしく整っている。
だが。
(……やっぱり)
柚葉は、無意識に目を凝らした。
(あれ、本物じゃない)
確信は、理屈よりも先に胸へ落ちた。
理由は、経験だ。かつて、模型作りの参考にと、何度か刀匠の工房を訪ねたことがある。
炉の前で聞いた、職人の声。
「刀はね、武器である前に“構造物”なんだよ」
鋼の選び方。折り返し鍛錬の意味。刃文が語る熱と力の流れ。
その後、侍キャラのフィギュアを作るため、何度も刀を観察し、再現してきた。
だから、わかる。
(重心が、違う)
(刃が……“鳴らない”)
本物の日本刀が持つ、あの独特の張り詰めた気配がない。切っ先が空気を裂く感覚が、伝わってこない。
あれは、この世界の素材で――“それっぽく”作られただけの代替品だ。
侍としての力を、百パーセント引き出せる代物ではない。
にもかかわらず。
ヒジカタは、その刀を、何の躊躇もなく構えた。
クラウスもまた、魔剣を下げ、静かに間合いを詰める。
――その瞬間。
(……え)
柚葉の中で、別の違和感が弾けた。
(ちょっと待って)
(これ……模擬戦、だよね?)
思わず、一歩前に出る。
「……あの」
二人の視線が、一瞬だけ柚葉へ向く。
「これ、模擬戦って……言ってましたよね?」
言葉を選びながらも、声に戸惑いが滲む。
「なんで……普通に、名のある魔剣と、刀で……」
視線が、クラウスの剣と、ヒジカタの刀を往復する。
「それ、どっちも“当たったら終わり”のやつじゃないですか」
言ってから、少し早口になる。
「というか、刀って……本来、相手を斬る前提の武器で……」
息を吸い、続ける。
「重心も、刃の角度も、全部“殺すため”に最適化されてるんです」
自分でも驚くほど、熱が入っていた。
「模擬用なら、木刀とか、鈍器化した刃とか……あるのに……」
視線は、ヒジカタの刀へ。
「しかも、それ……本物じゃないのに……」
そこで、言葉を切る。
――本物じゃないからこそ、危ない。
代替品は、加減を誤れば、逆に予測できない壊れ方をする。
それを、柚葉は知っている。
中庭に、短い沈黙が落ちた。




