第69話 興味を持っただけ、それが最悪で最高の合流だった
「じゃあ……名乗るけど……」
だるそうな声のまま、ちらりと柚葉を見た。その視線には、敵意も好奇心もなく、ただ「視界に入ったから見た」だけの自然さがある。
「先に言っとくね……」
「期待しないで……基本、動きたくないから……」
柚葉の胸に、ひやりとした不安が芽生える。
(……護衛……だよね?)
(“動かない護衛”って、なに……?)
その瞬間、彼女はゆっくりと壁から身体を離した。
フリルのスカートを指先で整える仕草には、不思議なほど雑さがない。可憐でありながら、どこか隙のない違和感を漂わせる。だるいだけではない、存在感の強さがそこにある。
「……わたしの名前は」
一拍、空気が張り詰める。
「リリア・ル・フェルメリア」
その名を告げる声は相変わらず気だるげで抑揚は少ないが、確かに場に存在感を放つ。
なのに、柚葉はその瞬間、確かに感じた。
この少女が、王の用意した“切り札”であることを。
壁にもたれたままのリリアが、気だるそうに口を開く。
「一応……王立魔導研究院・第七分室所属……」
荘厳な石造りの回廊に、声は反響するが、それでも驚くほど軽やかで、どこか無頓着に聞こえた。
ほんの一拍。次に、ぼそりと付け足すように告げられる。
「……研究職」
その言葉に、柚葉は無意識に首を傾げていた。
(研究……職……?)
脳内で情報がうまく繋がらない。頭の中で、過去の記憶や世界観が必死に組み合わさろうとするが、どれもすっきりとは合致しない。
(え……魔法使い……?)
(この格好で……?)
目に入るのは、フリルにレース、厚底の編み上げブーツ。歩くたびに揺れる布地の柔らかさと、繊細な装飾の存在感。どう見ても――
(もしかして、魔法少女……?)
それは、現実逃避めいた結論であることも、柚葉自身は理解していた。だが、視界に映るリリアの不思議な佇まいは、理屈よりも先に、そう思わせてしまう説得力を持っていた。
重厚な石壁の間に漂う空気は、神聖でありつつも、どこか日常の気配を拒まず、リリアの軽やかな存在感を自然に受け入れているかのようだった。
柚葉の視線は、無意識に少女の細やかな所作に吸い寄せられる。厚底ブーツで軽く床を蹴るたび、スカートのフリルが揺れ、指先でさりげなく整える動作は、だるそうに見えても雑ではない。
そして、声の主が放つ不思議な余裕に、どうしようもない戸惑いと、わずかな尊敬が混ざった感情が胸に芽生える。
(……なんなの、この人……?)
答えは出ない。けれど、柚葉の中で一つだけ確かな感覚があった。
――ただ者ではない。
リリアは、ふと何かに気づいたかのように視線を滑らせた。
柚葉の――胸元に。
そこには、静かに宿るものがあった。
聖女としての気配。星雫の名を持つ魂の、淡く、しかし確かなざわめき。
本人ですら自覚していないほど微細な“違和感”――それを、リリアは見逃さなかった。
「……あ」
小さな声。だが、その響きは、先ほどまでの気怠げな音とは明らかに違っていた。
眠たげだった瞳が、すっと細まる。焦点が合い、世界を“観測する目”へと切り替わる。
「……ちょっと待って」
一歩、前へ踏み出す。
その瞬間、空気が変わった。背筋が自然に伸び、重心が定まり、気怠さは消え去る。代わりに宿ったのは、凛とした鋭さだった。
「その波動……」
低く、しかし早口で。独り言のように呟きながら、リリアは柚葉の周囲をゆっくりと回り始める。
「え、ちょ……?」
戸惑いの声が漏れる間も、彼女の口は止まらない。
「星霊系……? でも純度が高すぎる……」
指先が宙をなぞり、何もない空間に見えない式を描く。その動きは、自然でありながら計算されているかのようだった。
「いや、むしろ――媒介構造が違う……?」
王城の回廊。荘厳な石壁と、長く連なるアーチの下。聖女と王子が立つその場で、目の前の魔導士は、静かに、しかし確実に解析を進めていた。
(……なにこれ)
(急に、研究者スイッチ入った……!?)
柚葉の思考は完全に置き去りにされ、ただ眺めるしかなかった。
だが、次の瞬間。
リリアは、はっと我に返ったように顔を上げる。
「あ……ごめん」
そして、ほんの少しだけ、照れたように視線を逸らす。
「……興味あるもの見つけると、つい……」
その瞬間の表情は、研究者というよりも、推しを発見して語り出す直前のオタクのようだった。
気怠さは残る。しかし確実に、その目は熱を帯び、好奇心が濃密に漂っている。
ルシエルは、その一連の様子を静かに見つめていた。胸の前で手を組み、わずかに息を吐く。その吐息は、緊張でも驚きでもなく、柔らかな理解を伴った静かな呼吸のように、回廊の空気に溶けていく。
「……なるほど」
言葉の端に微笑が滲む。その柔らかな微笑みの奥には、確かな理解と――ほんの少しだけ覚悟めいたものが隠れていた。
「父上が“強力”と言った理由が、ようやくわかった気がするよ」
柚葉は、思わずその言葉を心の中で反芻する。
(強力……?)
頭では理解できても、胸の奥では思わず叫んでいた。
(強烈の間違いじゃない……!?)
だが、視線を戻すと、リリア・フェルメリアは肩をだるそうに落とし、いつもの気怠げな様子でぽつりと呟く。
「……ま、いっか……」
空気が、ふっと緩む。緊張の糸が、自然に解けていくのを柚葉は感じた。
「面白そうだし……」
その声は軽く、淡々としている。だが、その一語一語の奥に、確かな興味と意志が潜んでいるのが伝わる。
「今回だけは、外に出る理由になるし……」
眠たげな瞳に戻ったその奥で、確かに揺れているものがあった。静かに燃える知の炎。
柚葉は、その微かな光を見て、背筋がぞくりとするのを覚えた。
(……この子)
(絶対、とんでもない人だ……)
頭で理解するより先に、体が危険を察している。
その予感は、もはや単なる“予感”ではなかった。
これから先、リリアがもたらすであろう混乱と、時に切り札となるであろう気配を――柚葉は確かに感じ取っていた。




