第68話 幻想は、世界の理から外れた異物か、もう一人の最強護衛登場
……正直に言えば。
その瞬間、柚葉は――自分が何を見ているのか、まったく理解できなかった。
(……え?)
王城・西棟の回廊。
歴代王の治世を刻んだ重厚な石壁。
天井近くの高窓から差し込む淡い光が、磨き上げられた床に反射し、静謐な輝きを生んでいる。
柱列は寸分の狂いもなく並び、歩くだけで背筋が伸びるような、王城特有の厳かな空気。
――その、ど真ん中に。
“それ”は、いた。
(……え、え??)
思考が、完全に停止する。
まず目に飛び込んできたのは、黒と白を基調とした、ふわりと広がるフリルスカート。
布の重なりが軽やかに揺れ、歩くたびに柔らかく波打つ。
ウエストはきゅっと引き締まり、幾重にも結ばれたリボンが飾られ、動きの中で光を反射する。
上は透け感のある黒のブラウス。
肩口には繊細なレースがあしらわれ、王城の石造りの厳かさとは対照的な、儚く幻想的な存在感を放つ。
胸元には、小さな十字のアクセサリー。
祈りの象徴であるはずのそれは、装飾的に輝き、神聖と可憐の、危うい境界に立っている。
足元は厚底の編み上げブーツ。
ヒールの高さに歩行の安定など二の次の意匠。
(……絶対、実戦向きじゃない……)
膝上には、左右で異なる意匠のニーハイソックス。
一方は白、もう一方は黒。
レースとリボンが、遠慮なく自己主張している。
そして――淡いピンクベージュの髪。
毛先はくるりと巻かれ、ハーフツインにまとめられている。
柔らかな色合いが光を受け、淡く透ける。まるで絵本の挿絵から抜け出したかのような質感だ。
前髪はやや重めで、目元ぎりぎり。
その隙間から覗く瞳は大きく、無垢で――
いや、それ以上に。
(……メイク……)
柚葉はそこでようやく気づいた。
涙袋はぷっくりと強調され、アイラインは軽やかに跳ね、唇は艶やかに彩られている。
それは、明らかに。
(……この世界の基準じゃ、ないよね……?)
荘厳な回廊。
歴史と権威の象徴たる王城。
祈りと誓約が交錯する神聖な空間。
その中心に立つ“それ”は――あまりにも柔らかく、あまりにも可憐で、そして、あまりにも場違いだった。
だが同時に。
不思議なことに、空間そのものが拒絶していない。
まるで、この異物を――
「幻想の一部」として受け入れているかのように。
(……え、なにこれ)
笑うべきなのか、拝むべきなのか、それとも目を逸らすべきなのか。
柚葉は、判断がつかないまま立ち尽くしていた。
しかも。
その“幻想的異物”は、王城の回廊の壁に――ものすごく気だるそうにもたれかかっていた。
磨き抜かれた石壁に、遠慮という概念を一切置き去りにして。
肩を預け、片脚に体重を逃がし、そして――
「……はぁ……ねむ……」
欠伸をひとつ。
実に、だるそうに。
実に、生活感たっぷりに。
荘厳な回廊に、緊張を削ぐ音が落ちた。
その瞬間。
柚葉の脳内で、確信めいた何かが、ぱちん、と弾けた。
(…………あれ?)
(あれあれあれ?)
(……え、ちょっと待って)
視界の端で、記憶が一気に再生される。
――秋葉原。
駅前の雑踏。
週末の人混み。
派手で雑多な看板群。
――池袋。
サンシャイン通り。
推し活バッグを肩にかけた女の子たち。
量産型、地雷系、メイク研究会みたいな空気。
(……見たこと、ある……)
(めっちゃ……ある……)
というか――
(これ……完全に……)
心の中で、言葉が自然に完成してしまう。
(量産型地雷系女子じゃない……!?)
胸が、きゅっと高鳴った。
(や、やった……!?)
(ついに……地元……!?)
一瞬だけ。
本当に、刹那のあいだ。
柚葉の心は、思いきり跳ね上がった。
(帰れた……?)
(戻った……?)
――だが。
次の瞬間。
「……うるさいなぁ……王城って、石ばっかで落ち着かないんだけど……」
眠たげに目を細め、ぼそぼそと、遠慮なく文句を垂れる声。
その瞬間、荘厳な回廊の空気と“異物”の生活感がぶつかり合い、柚葉の頭の中は、言葉では表せない混乱と驚きでいっぱいになった。
その口調。
間延びした抑揚。
そして何より、この荘厳な回廊においては、あまりにも場違いなテンション。
柚葉の視線は、ゆっくりと現実に引き戻される。ここは、石造りの王城の回廊。神と王権の歴史が染みついた、格式と静謐の象徴のような場所だ。
だが目の前には、その空気に似つかわしくない“異物”が――。
(……違う)
高鳴っていた胸が、すっと冷える。帰るどころか、まるでこの世界に溶け込むかのように佇んでいる。
現実を受け止めた柚葉の視線は、それでも外せなかった。異世界で、あまりにも完成度の高い“異物”がそこにいる。布の質感、繊細なレースの縫製、配色のバランス。どこをどう見ても、「なんとなく真似しました」では済まされない。
(……職人、いるの……?)
(というか、需要……あるの……?)
疑問が頭の中を駆け巡る中、その人物はちらりと柚葉を見た。視線がほんの一瞬、交わる。まるで「見られていることに気づいていない」かのような、ゆるく無防備な顔。その瞬間、柚葉は悟る。
(……この子)
(絶対、ただの一般人じゃない)
理由も、確証もない。だが肌が覚えている。関わると厄介なタイプの気配。見た目の可憐さやだるげな態度とは裏腹に、底知れない何かを持っているのだ。
静かな足音が近づき、ルシエルが一歩前に出た。動きは穏やかで、音ひとつ立てない。それでいて空気の流れがわずかに変わる。
「……君が」
柔らかく、しかし確信を帯びた声。父として、王子としての礼節を保ちながら、逃げ道を与えない問いかけ。
「父上が用意した、もう一人の護衛だね?」
その声に、微かに気配を変える“異物”。彼女はゆるりと背筋を伸ばし、こちらを見据える。その目は強くもなく、弱くもなく、ただ“そこにある”という存在感を放っていた。
その言葉に、彼女はゆっくりと瞬きを重ねた。
一回。
二回。
まるで、今ようやく世界にピントを合わせるかのように。
そして、次の瞬間。
彼女の表情は何も変わっていないのに、回廊の空気だけが一変した。ルシエルの声に反応するまで、ほんのわずかの間を置く。その間も、壁に身体を預け、片足に体重をかけたまま。まるで「立っているだけで十分仕事をした」とでも言うかのような、自然体の姿勢だ。
眠たげな瞳が半分だけ柚葉を捉える。
「……あー……」
気の抜けた声が落ちた。
「それ、今ここで答えなきゃだめ……?」
荘厳な石造りの回廊には、見事にそぐわない一言だった。
柚葉は思わず瞬きをする。
(え……だる……)
(びっくりするほど、だる……)
しかも、そのだるさに遠慮はない。王子相手に、微塵の畏れもなく、完全に自分のペースでいる。
(……強い……別方向に強い……)
だが、ルシエルは動じない。さすがは完璧王子。ほんの一瞬、わずかに困ったように微笑むが、礼を崩すことはない。丁寧に頷き、柔らかく、しかし確信のある声で言う。
「可能であれば、これから同じ任務に就く仲になる」
「……ふーん……」
彼女は視線を天井へ泳がせる。高く連なるアーチ、刻まれた紋章、王城の歴史そのものの装飾を、どうでもいいものを見るように眺める。そして、わざとらしく長いため息をひとつ。




