第65話 邪神復活を目論む秘密結社に取り込まれた王子、聖女の光を闇へ捧ぐ
第二の理由は、より静かで、より残酷なものだった。
かつて、ヴァルガの身を本気で案じた者たちがいた。
侍医。
近習。
幼少期から仕えていた従者。
そして、彼に剣を教え、言葉を交わした配下の騎士たち。
彼らは皆、異変に気づいていた。
――王子は、何かに怯えている。
――誰かの“声”に、追い詰められている。
だが、その声を口にした者から、順に王宮から姿を消していった。
ある者は、些細な不正を暴かれ罪人となり、ある者は酒に溺れ、職務を放棄したとして追放され、またある者は、薬に手を出し、心を壊していった。
事故。
失脚。
自滅。
どれも表向きは“個人の問題”として処理された。
だが共通していたのは――彼らが皆、ヴァルガの名を口にしようとした者たちだったということ。
それが意図されたものか、あるいは闇に引き寄せられた結果だったのか。
真実を知る者は、もういない。
やがて人々は学んだ。
――あの王子の話題に触れてはならない。
――あれは、口にするだけで身を滅ぼす“禁忌”なのだと。
そうしていつしか、ヴァルガを心配していた者の記憶ごと、その名は王宮から消えていった。
第三の理由は、王家としての判断だった。
邪神に囚われた王族の記録は、威信を守るためだけでなく、邪神の“依り代候補”に再び目を付けさせないため、神殿の禁忌文書として厳重に封じられた。
ルシエル本人が、光の資質を持つ以上、闇の存在を近づけるわけにはいかなかった。
そう――ルシエルは、王族の中でも極めて稀な、その母である陽光の聖女セレーネの血を受け継ぎ、“光を極めて強く宿す魂”を持って生まれた者だった。
闇に狙われやすい体質だったヴァルガとは、正反対に。
だからこそ、教団が彼に気づかぬよう、あえて“余計な縁”も、“王家の不吉な影”も、記憶にも環境にも残さぬよう、徹底して守られていた。
結果として、三人の王子たちは――
「叔父という存在が、この世にいた」
という事実すら知らぬまま、成長した。
それは、多くの沈黙と、犠牲と、破滅の上に成り立った、王家が選んだ、最も静かで、最も痛みを伴う“愛”の形だった。
(……奪うことなど、造作もなかった)
唇がゆっくりと歪む。
大神殿には“外敵”のための厳重な結界が敷かれていたが――王族の血を持つ彼に対しては意味を成さなかった。
王族権限で入れる最奥。
大神官すら立ち入れぬ禁域。
彼は、ただ扉に手を触れただけで通れた。
(兄上は……知らなかったのだ。結界の全てに“王家の魔力”が通用するということを)
幼い頃から、いつも兄が先に称賛され、自分は“影に隠れる者”として扱われてきた。
兄ほど強くない。
兄ほど優秀でもない。
兄ほど民に愛されず――
そして、兄ほど誰かに強く望まれることもなかった。
そんな彼に“意味”を与えたのが、あの男。
――虚邪の教祖・《ルーグ・ヴェルミオン》
初めて会った時、教祖は言った。
『王の弟よ。お前は“不要な影”ではない。王家の血を持つ唯一の“鍵”だ』
その言葉に、ヴァルガのすべてが焼かれた。
劣等感、屈辱、嫉妬、渇望……誰にも見せなかった黒い炎が、一気に色を持って燃え上がった。
そしてヴェルミオンは囁いた。
『お前の義姉……セレーネは、王を愛した。だが……理解しているか? “陽光の聖女”の魂は強すぎる。その強さは時に――夫の光を曇らせるほどに』
ヴァルガは初めて気づいた。
兄でさえ、あの輝きには追いつけなかった。
大陸を救い、祈り続けた巫女の光は――“英雄”である兄を圧倒するほど純粋で、強かったのだ。
そして――教祖はさらに囁いた。
『だからこそ……大聖女の座は脅威なのだ。王よりも、“聖女”が国の象徴になってしまう。王は……無意識にそれを恐れていた』
ヴァルガは思わず息を呑んだ。
兄の心の中の、最も触れてはいけない影。
誰よりも強く、誠実な王でありながら――唯一、セレーネの光にだけは勝てなかった。
(……では、兄上は……セレーネ様を……)
『殺してはいない』
教祖は微笑む。
『ただ……“治癒が追いつかぬほどの疲弊”を放置したのだ。彼女は長年、大陸全土の瘴気を祈りで抑えていた。心も魂も、限界を超えていたのに……王は止められなかった。いや、止めなかった』
ヴァルガの胸が、冷たく熱を帯びた。
兄は国を守る王。
セレーネは民を守る聖女。
二人の選択は、時にすれ違い、そして――その隙間を、死が飲み込んだ。
(兄上……あなたは……セレーネ様を救えなかった)
だが――自分は違う。
ヴァルガは棺にそっと手を置き、囁く。
「……セレーネ様。あなたの光は、王国のために消えた。だが……今度は“我らのため”に使わせてもらう」
棺の中の女性は静かで、凛として、美しい。
死してなお、大陸一の聖女。
「あなたの魂は……今も微かに灯を残している。それは……邪神復活の“最初の火”となる」
彼の声に、闇が応える。
神殿の奥から、穢れの黒がざわりと波立つ。
(兄上……あなたが“光”なら、私は“影”でいい。光が強すぎるほど、影は深くなる)
そして、影が深ければ深いほど――
そこには“闇の神”が宿りやすい。
ヴァルガはゆっくりと目を開き、教団の紋が刻まれた指輪を撫でた。
「兄上……あなたはまだ知らないだろう。あなたが愛したセレーネ様の身体が……この闇の奥で眠り続けていることを」
そして、ゆっくりと笑う。
「――その闇を開く鍵が、王家の血であることも」
その血を引く彼こそ、邪神復活を成し遂げるための“真なる鍵”。
兄の背を追い続けて、追いつけなかった弟。
その劣等感が、今や闇の中でゆっくりと“神”へと変わろうとしていた。




