第5話 燃ゆる聖域で、彼は風となり――私は奇跡を呼ぶ
轟音。
大地が裂け、土と火花が竜巻のように舞い上がる。
柚葉は反射的に目を閉じ、腕で顔を覆った。
「ルシエル様ぁぁっ!」
その叫びと同時――視界の端で、金色の残光が揺らめく。
煙の中、盾を前に、瓦礫の下の子どもへ腕を伸ばした姿勢で膝をつくルシエルがいた。
髪は焦げ、頬に伝う血は炎の光で紅く染まり、それでも彼は――穏やかに、優しく微笑んでいた。
「大丈夫だよ。泣かないで――もう、誰も傷つけさせたりしない」
その声は炎すら静めるように柔らかかった。
柚葉の胸の奥で、ぎゅっと何かが熱を帯びて広がっていく。
恐怖が、焦りが、そして、知らなかった感情が――胸の奥を鮮烈な炎に変える。
(……この人は、本気で命を懸けて民を守ってる……。だったら――あたしも……!)
――その瞬間だった。
柚葉の足元に、淡い光が渦を巻く。
朝霧をすくい上げたような輝きが輪となり、幾何学の光陣が静かに広がっていく。
空気が震え、風が生まれる。
聖紋が右手に淡く浮かび、皮膚の下で脈打つように光が流れた。
――そして、奇跡がはじまった。
視界が白に染まり、胸が焼けつくほど熱くなる。
(お願い……誰か……誰か、助けて――!)
思考より速く、指先が動いた。右手が、光を払うように前へと伸びる。
「お願い……! 助けて――!」
その叫びに呼応するように、地面に光の文様がはしった。
幾重にも重なる紋章が、炎を押し返すほどの輝きを放つ。
一瞬、炎も、叫びも、すべての音が消えた。
そして次の瞬間――
ガガガガガンッ……!
鋼鉄が世界に“着地”したような衝撃が、村全体を震わせた。
光がほどける。
現れた影に、柚葉は息を呑む。
「……えっ……?」
そこにあったのは――彼女が徹夜で組み上げ、胸の奥にしまいこんでいた“思い出”。
独立軍主力戦車・九十二式改。
けれど、これは模型ではない。
机に置いた1/72の、愛おしくも、ちいさな世界ではない。
世界に存在する、一対一の現実。
鋼鉄の巨体が、朝の陽を反射して重く輝く。
砲塔がゆっくり旋回し、油圧が低く唸り――その振動が、まるで心臓の鼓動に共鳴した。
「な……なんで……どうして……1/1……?」
柚葉は震える声で呟いた。
戦車は、生き物のようだった。
キャタピラが土を踏みしめ、柚葉へ向かってわずかに身を低くする。
まるで――
主を守るため、呼ばれて世界へ降り立った“守護獣”のように。
光陣の中心で、鋼鉄の巨体が脈動する。その動きは、確かに柚葉の鼓動と重なっていた。
「……ルシエル様を――助けて!!」
その叫びは、光をまとった祈りとなって世界へ放たれた。
次の瞬間、キャタピラが大地を蹴る。
鋼が吠える。空気が震え、炎すら押しのける怒涛の質量が前へ走る。
そして――
ドォォォォォン!!
砲口が閃光を吐く。
光の奔流に貫かれ、オークの群れがまとめて吹き飛び、爆風が灼けた空気を巻き上げる。
「な、なんだ……あの鉄の獣は……!?」
「神の兵器……いや、聖獣の顕現か……!」
騎士たちは目を見開き、ただ世界の“異常”を見つめていた。
戦車は唸りを上げ、ルシエルの前へと躍り込む。
聖域を守る盾のように、その巨体で彼を覆い隠した。
「まさか……これが……君の……」
炎の粉塵の中、ルシエルの瞳が震えた。尊さと驚愕が混じった、息を呑むような色。
――しかし。
地を割る咆哮と共に、オークジェネラルが棍棒を振り下ろした。
鈍い衝突音。
装甲が火花を散らし、鋼が軋む悲鳴を上げる。
そして、その衝撃は――召喚した柚葉の身体へと、容赦なく逆流した。
「――っあ……っ!」
胸の奥が灼けるように痛み、視界がぶれる。
熱い痛みが心臓の裏から突き抜けて、意識が瞬間とびそうになった。
唇が震え、赤い滴がこぼれる。
加護の共鳴――呼び出した“存在の傷”は、召喚者へと返る。
「……ユズハ!!?」
ルシエルの声が、炎を裂いて飛んだ。
彼が振り返る、その一瞬の表情に、焦りと、守りたいという切実な想いがあふれていた。
「や、やだ……! まだ動いて……! お願い、“九十二式”!」
足元が揺れ、視界の端が白く滲む。それでも柚葉は手を前へと突き出した。
指先から走る光が、裂けた装甲へ吸い込まれていく。
ギィン――。
戦車の砲塔が低く鳴き、焦げた鋼が再生するように光を帯びた。
「壊させない……! あたしの、初めての“本気の子”なんだからぁぁ!!」
叫びに応えるように、“九十二式”が再び砲口を向ける。
次の瞬間、世界を揺らす光弾が解き放たれた。
ドオォォォン!!
火線が空を裂き、ジェネラルの胸を正面から貫く。爆炎が破裂し、黒い肉片と炎が舞い上がった。
その一撃の空白を、ルシエルは逃さなかった。
「――今だッ!!」
金の光が、疾風のように駆け抜ける。
剣に白炎をまとわせ、その跳躍はまるで天を裂く流星。
「ッはああああああああああっ――!!」
閃光が走り、空気が震える。
ルシエルの剣がジェネラルの喉元を断ち、黒い血が弧を描いて飛び散る。
巨体が崩れ落ち、地面が重く揺れた。
爆風の余韻だけが、遅れて村外れに届く。
静寂――。
柚葉の足元で、九十二式が役目を終え、霧のように淡く溶けていく。
光が散り、残されたのは冷たい風だけだった。
「っ……」
力が抜け、柚葉の身体が傾く。
「柚葉っ!」
駆け寄るルシエルがその身を抱きとめた。
柚葉の唇は血の気を失いながら、わずかに震える。
「……やった、ね……九十二式……」
そう呟いた口元に、かすかな笑みが浮かんだ。そのまま意識が遠のき、まつげが沈んでいく。
炎の残光に照らされながら、ルシエルの青の瞳が揺れた。
「……本当に、君は……何者なんだ」
焦げた大地を、風が静かに吹き抜ける。
戦いの終わりを告げるように、二人の呼吸だけが残っていた。
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