第52話 触れた指先に宿る絆、ふたりで踏み出すとき神託の扉はひらかれる
神託の間へ続く、王族だけに許された静寂の回廊。
その奥にある控えの間の扉が、重い音を立てて開いた瞬間――
気配が変わった。
白銀の空気を切り裂くように、鋭い眼光が二人を迎える。
そこに立っていたのは、レオハート・レガリア・ヴァルハイト。
ヴァルハイト聖王国の“現”国王。
壮年のはずなのに、まるで若獅子がそのまま年を重ねたような威圧を持ち、普通の騎士なら視線を合わせるだけで息が詰まる程の覇気をまとっている。
――ルシエルの実父であり、この国の王。その存在を意識しただけで、柚葉は自然と背筋が伸びた。
二日前、謁見の場で言い渡された言葉が脳裏に蘇る。
『ゆえに命ず――そなた、ルシエルの傍にあれ』
あの瞬間、王の眼が確かに柚葉を見据えていた。
レオハートはゆっくりと歩み寄り、まずルシエルへ短く頷く。
だが、その鋭い視線はすぐに柚葉へと移った。
「異界の少女よ。二日ぶりだな」
声は重く、だが決して冷たくはない。
柚葉の喉がきゅっと細くなる。
「は、はい……レオハート陛下」
ルシエルが一歩前に出て、柚葉を庇うように位置を取る。
そのさりげない動きに、柚葉は胸の奥がじんわりと熱くなる。
レオハートはその様子をちらりと見やり、微かに口角を上げた。
「……ルシエル。お前がそこまで他者を庇うのは珍しい」
王の声音は静かだが、含むものは大きい。
ルシエルは一瞬だけ目を伏せ、次に柚葉へ向けるそれよりわずかに硬い“王族の顔”で応じた。
「陛下。……彼女はボクが導きます」
その言葉を聞いた瞬間、レオハートの眼差しがほんの一瞬だけ穏やかな色を帯びた。
――この二人、やっぱり親子だけあって似てる……柚葉は思わずそんなことを感じてしまう。
だが次の瞬間、王の気配が一変した。
若き頃の冒険者の名残を思わせる獅子の気迫が、控えの間に満ちる。
柚葉の背筋にぞくりと電流が走る。
「ユズハ、と呼んでよいか?」
「は、はい……!」
レオハートは静かに目を閉じ、一拍置いて告げた。
「我は願っている。――そなたが“真の星降る聖女”であってくれることを」
柚葉の胸が強く跳ねた。
まるで、その言葉がこの世界の重力そのものを変えてしまうかのように。
「虚邪の穢れ……あれは、ただの魔の災いではない」
レオハートの声音が低く落ちる。
言おうとして、言葉が止まる。
喉の奥で、何かを噛み殺すように沈黙が生まれる。
ルシエルの表情も緊張に引き締まった。
「……陛下。虚邪の正体については、まだ……?」
「ああ。まだ語るには……場が悪い」
王は目を開く。
その眼光は鋭く、獅子そのものだった。
「だが必ず、暴く。虚邪とは何なのか――なぜこの国を狙い、蝕むのか。そして、その影で糸を引き、虚邪を動かしている“真の黒幕”が誰なのかも、必ずだ」
柚葉の目を真っ直ぐに捕らえる。
「共に、あやつらを根絶する。そなたが聖女であるならば……いや、聖女でなくとも。この国と、ルシエルの傍に立つ覚悟を見せよ」
柚葉の心臓が痛いほど脈打った。
怖い。
でも――
ルシエルが隣で、そっと指先を触れさせてくる。
“大丈夫だよ、ユズハ。ボクがいる”
言葉にしなくても、確かに伝わってくる。
柚葉は小さく息を吸い、震える声を押し出した。
「……はい。あたしにできることなら、全部……この世界のために」
その言葉を聞き、レオハートは満足げに目を細めた。
「よい返事だ。……では、行くがいい。大聖女が待っている」
ゆっくりとかけられたその言葉は、祝福であり、戦いの始まりの合図でもあった。
王の低く厳かな声が静寂に溶けた瞬間、神託の間へ続く扉が、音もなく――光のように開いた。
白金に染め抜かれた空間から、ひとつ、まるで風が形を持ったかのような気配が流れ出す。
聖なる香が淡く揺れ、床に敷かれた紋章が星の瞬きのように脈動した。
――呼ばれている。
そんな感覚が、柚葉の胸をふっとつかんだ。
ルシエルがそっと、横に立つ。
その気配は以前よりもずっと近く――頼もしかった。
「大丈夫だよ、ユズハ。ここは君を拒まない。むしろ……歓迎している」
優しい声が、張りつめた胸の糸をひとつほどく。
彼の言葉に背中を押され、柚葉は一歩、また一歩と光の中へ踏み込んだ。
神託の間は、外界とはまるで別世界だった。
天井は見えないほど高く、そこには夜空を逆さに流し込んだような星々が漂っている。
だが不思議と暗さはなく、星光そのものが淡い布になり、空間を満たしていた。
中央に――白月の紋章を背に、彼女はいた。
静かで、圧倒的で、どこまでも清らかな存在。
白月の大聖女、リディアーヌ・ルミナリア。
長い銀白の髪が、光と共にふわり揺れ、彼女がわずかに視線を上げた瞬間――
空間の星々が、一斉に小さく震えた。
「……来ましたね。星の記憶をゆらす方」
その声音は、水底から響くように静かで、それでいて慈しみに満ちていた。
柚葉の心臓がきゅっと鳴る。
(……星の、記憶……? あたし、そんな……)
戸惑いが胸を満たしかけた――が。
隣のルシエルが、迷いなく一歩前へ出る。
その姿は、国王の前よりもさらに王子らしく、凛としていた。
「大聖女様。ユズハをここへ導いたのは、僕の意思でもあります」
「ええ……理解していますよ、ルシエル殿下。あなたの“絆”は、すでに星の流れさえ変え始めている」
ルシエルの指が、かすかに動く。
柚葉の袖の端を、そっと確かめるように触れる。
その仕草はどこまでも慎重で、そして――優しい。
(……ごめん。本当は、あなたより年上なのに……)
胸がちくりと刺さる。
けれど彼は、気づかないまま前を見つめていた。
リディアーヌは静かに立ち上がる。
その動きだけで、星光がはらはらと舞い落ちた。
「ユズハ・ツキシロ。あなたは“虚邪”の波動に触れ、その影に怯える心すら持っている……けれど」
その眼差しは、夜明けの光のように温かかった。
「それ以上に――あなたは、深く優しい光を抱えている。神獣が選び、王子が惹かれ、星々が道を開くほどのものを、ね」
「っ……」
まるで息を奪われるようだった。
ルシエルが、柚葉の手をそっと包んだ。
その指先は、ほんの少し震えている。
「大聖女様……ユズハを……どうか……」
「案ずる必要はありません。あなたが思うよりずっと――彼女は強い。そして……特別です」
星光が柚葉を包み、肌がすこし熱を帯びる。
「ようこそ、“真なる星の聖女”よ。あなたの旅は――ここから始まります」
その宣告と同時に、神託の間全体が柔らかく脈動した。
星の海がゆらぎ、光が柚葉の足元へそっと降りてくる。
新しい運命の幕開け――それを告げる光だった。




