第45話 何気ない仕草と笑顔、焼き立ての香りが王子の世界を優しく満たす
昼食後。
子供たちはそわそわしながらキッチンを覗き込んでいた。
「お菓子、本当にできるの……?」
「こんなに少ない材料で……?」
柚葉は微笑む。
「大丈夫。弟と妹が小さい頃も、野菜が食べられなくて困ったから……こうやって作ってたんだ」
じゃがいもや人参、玉ねぎの端っこ、それに余っていた果物の切れ端。卵と小麦粉、そしてほんの少しの蜂蜜。
(弱火でじっくり煮て甘みを凝縮……香りを立たせるなら、この順番だね)
柚葉は手際よく野菜と果物を潰し、混ぜ合わせ、ニャルディアに森から採ってきてもらった、大きな薬草の葉っぱを折り曲げて、カップ状にしたずらりと並ぶ小さな型に生地を流し込む。
葉から立つほのかな香りが、なんとも温かい雰囲気を生んでいた。
炉の中でふくらんだマフィンと、自由気ままに焼き上がったクッキーが同時に「ぱきっ」と音を立てて仕上がる。
扉を開くと、マフィンはふわりと黄金色にふくらみ、クッキーは……星みたいなの、丸みたいなの、謎の何かみたいなのがごちゃっと仲良く並んでいた。
「お、おれのクッキー……なんか、足生えてるんだけど!?」
「ぼくのは……あれ? ドラゴンにしたのに……羽どこ行ったの……?」
「ひ、姫さま! これ成功? 成功っでいい!?」
ワイワイと騒ぐ子どもたちの背後から、気配ひとつ立てずにルシエルがぬるっと現れる。
「……ふふ。すごく可愛く焼けてるね。ユズハがいっしょに作ったからだ」
「ひゃっ!? い、いつの間に……!」
柚葉が肩をびくっと揺らすと、ルシエルは優しく笑い、皿に乗ったクッキーの“ぐにゃぐにゃ星”をひょいっと摘んだ。
「ほら見て。こんなに愛らしい形になるなんて……君の魔法だよ」
「ちょ、ちょっと王子さま、それ褒めすぎ――」
「褒めすぎなんかじゃないよ?」
ルシエルは子どもたちには聞こえないくらいの声で、そっと囁く。
「君が笑って作ったものは……何だって、僕には宝物に見える」
子どもたちは焼けたクッキーを見て大騒ぎしているのに、ルシエルと柚葉のあたりだけ、ぽかぽかと甘い空気が漂っていた。
その甘さに気づいた最年長の子が、「うえぇ……なんか甘い匂いがすると思ったら、そっちか!」と叫び、みんなが一斉に笑い出す。
炉から立つ甘い湯気と、子どもたちの声。
そして隣で柚葉を見つめ続ける王子の甘い視線。
孤児院の小さな台所は、お菓子の香りより甘く、どこか照れくさいくらい温かい空気で満たされていった。
(……弟と妹も、こうやって喜んでくれたな……)
小さな頃の記憶が、柚葉の胸を温かく揺らす。日本の家族の台所。父は遠くから様子見、母の優しいけど的確な指導の下で作ったお菓子、兄が模型を作る横で手伝った思い出――異世界にいても、その感覚は鮮明に蘇る。
その瞬間、柚葉の髪の隙間からふわりと黒い蝶が舞い降りる。星銀の微光を散らしながら、マフィンとクッキーに優しい光を添えるように揺れる。
その光景を目にした子どもたちは、息を呑んで見入る。
「わあ……綺麗……!」
「柚葉お姉ちゃん、あの蝶、触ってもいいの?」
でも、みんな前に聞かされていた――「見たいからって、怪我をしちゃダメだよ」の言葉を思い出す。
「う、うん……触らなくても、じっと見てるだけでいいんだ……」
「……はぁ、でも触りたいなぁ……」
小さな手をぎゅっと握りしめながらも、目を輝かせて蝶を追う子どもたち。
柚葉はにっこり微笑み、優しく髪を撫でると、蝶はさらりと羽ばたきながら、その光を少しずつ子どもたちに向けて舞った。
「ねえ、ちゃんと見えた? 無理して怪我はしちゃだめだよ」
柚葉の声に、子どもたちは小さくうなずきながらも、目はまだ蝶に釘付けだ。
マフィンとクッキーの上で、黒い蝶の光は、子どもたちの無邪気な瞳に映り、小さな台所は、さらに柔らかく温かな空気に包まれていった。
黒い蝶の光がすっと溶けるように消えたころ、柚葉がぱんっと手を叩いた。
「さあ、みんな――食べよう!」
途端に子どもたちはわぁっと歓声をあげ、焼きたてのマフィンとクッキーへ駆け寄る。
まだほんのり熱いそれを、そっと手に取って――大きくかぶりついた。
「……! あっつ……でも、甘い!」
「これ、中の果実のところ、ジュワってしてる!」
「オレがまぜた野菜のやつ、ちゃんと味ある! すげぇ!」
素朴な材料だけのはずなのに、みんなの顔が一斉にほころぶ。
「ねえねえ、なんでだろ……なんか、おいしい……!」
「当たり前だよ。みんなで作ったんだもん!」
ひとりがそう言うと、子どもたちは照れながらも笑い合い、焼きたての湯気の向こうで、頬を赤く染めてもぐもぐと食べ続けた。
柚葉はそんな子どもたちを見て、胸の底まで温かくなる。
まるで――この小さな台所の空気そのものが、甘く優しい光で満たされたように。
シスターはそっと目尻を押さえる。
「……本当に……ありがとうございます……」
ニャルディアは尻尾を揺らし、ブレンナは半分かじったまま。
「にゃぁ……これ、端材の甘さじゃないにゃ……!」
「姫っこ、どこで修行したんだ!? 菓子職人かよォ!?」
「日本の家庭の台所だよ! 弟と妹のために……だから姫じゃないって!」
ルシエルも一口かじると、じっと柚葉を見つめる。
(料理に集中していた柚葉の横顔、微かに紅潮した頬、手際よく生地を扱う指先……なんて真剣な顔…………すべてが光をまとっている)
心臓が、高鳴る。
魔法も戦も関係ない、ただ彼女が料理をしていただけなのに、胸をぎゅっと掴まれる感覚。
思わず視線をそらし、息を吐いた。
「……君は本当に、光だね」
その声に、柚葉は顔を赤らめ、手を胸元に当てる。
「そ、そう……かな……?」
(恥ずかしい……けど、ちょっと嬉しい……)
「......この味を知ってしまったら……毎日作ってほしくなる......君の光を、ずっと守りたい」
──どっ。
庁舎が揺れたかと思うほどの衝撃。
子供もニャルもブレンナもシスターも、再び即・顔真っ赤。
「な、な、な、なっ、なんてこと言うにゃ!!?」
「甘いにも程があるんだよォ王子ィィ!!」
ニャルディアとブレンナがブリッジ並みにのけ反る。
なにも聞こえていないルシエルは、まっすぐに柚葉を見つめ続ける。
「君の作った料理やお菓子は……心を満たしてくれる。王宮のフルコースより、何倍も贅沢だ」
触れたら壊してしまいそうで、抱きしめずにはいられない。そんな危うい想いが、そのまま瞳に宿っていた。
「人は時に、救いにも似た光に出逢ってしまう……ユズハ、君がこの慈光院に置いていった“味”も“笑顔”も、もうボクには手放せない光だ……君がいない世界なんて、ボクには耐えられない」
──胸がぎゅっと掴まれ、息が止まる。
「ひいいいいいいいいい!!?」
「王子~~! コロス気か俺たちをォ!!」
ブレンナは頭を抱えて叫ぶ。
「血糖値が言葉だけで跳ね上がってんぞ!!」
「やかましいわ!!」
柚葉は顔を真っ赤にして頭を抱える。
(なんで真面目に言うのこの人……羞恥で死ぬ……)
ニャルディアは額を押さえ、
「この王子、愛にステータス極振りにゃ……回避不可攻撃多段ヒットすぎるにゃ……」
ブレンナは両手を天に放り投げる。
「だからシスターたちが祈るんだよォ! この言葉の殺傷力、物理攻撃もびっくりだ!!」
シスター長が立ち上がり、慈愛に満ちた声で柚葉を抱きしめる。
「巫女さま……とても……尊い試練を与えられているのですね……」
「恋愛を“試練”扱いしないでぇぇぇ!!」
天窓から差し込む光が二人を優しく包む。
シスター達は祈り、ニャル&ブレンナは脱力し、柚葉はぷるぷる震える。
ルシエルはその光景すべてを、穏やかに微笑みながら受け止めていた。
(この人……自覚がないのが一番強い……!)
厨房でお菓子を作る手元、黒髪の間から零れる黒い蝶、マフィンとクッキーの香り……それらすべてが、ルシエルにとってたまらなく愛おしい光景だった。
──そして今日の慈光院は、湯気ではない、それは甘い空気に満たされていた。




