第40話 慈光院の朝が普通に戦場より危険すぎる件~ドワーフ娘の物理教育方針~
馬車は森の奥へゆっくり進み、朝靄が車輪の跡に淡く流れ込んでいく。
先ほどの不穏な気配に、空気はどこか張りつめていた。
だが、柚葉はその重さに気づいた様子もなく、窓の外を覗き込みながら、木々の間を跳ねる小動物を目で追っている。
風に揺れた黒髪がその頬をくすぐり、彼女は小さく笑った。
――その無邪気さに、ルシエルの胸がふっと緩む。
ほんの刹那、世界が静かになったように思えた。
先ほどまで胸の奥で冷たく光っていた決意も、彼女の笑みで柔らかく溶かされてしまう。
この子は、本当に……自分がどれほど危うい光を抱えているのか気づいていない。
傷つけたくない。
けれど、この無垢さに触れ続ければ、守りたい衝動はさらに強く――際限なく深く入り込んでしまう。
柚葉の肩に落ちた朝の光を見つめ、ルシエルはそっと息を吸う。
そして、柔らかい声音で口を開いた。
「安心して。君を危険な目には遭わせない。今日行く《慈光院》は森の端でも静かで安全な場所だよ。僕が子供のころから通っていた、いちばん大切な場所なんだ」
「……大切、なんだ」
「うん。母上が最後まで守りたがった場所だからね」
その言葉には、揺るぎない想いと、喪失した光への深い敬意がにじんでいた。
柚葉はそっと胸に手を当て、強く息を吸う。
その姿を見つめながら、ルシエルは心の奥で静かに誓う。
(闇が何者だろうと――彼女の光を奪わせはしない)
外の森は、荘厳で、どこか祈りを拒まない静けさをまとっていた――しかし今、その奥底がわずかに揺らぎ始めていることを、柚葉はうっすらと感じた。
「……あ。ほら、見えるよ。森を抜けるとすぐだ」
馬車がゆるやかに坂を上がると――朝の光に淡く照らされた、白石の小さな建屋が姿を現した。
「ここが、母上が残してくださった《慈光院》だよ」
馬車を降りたルシエルの声は柔らかく、どこか誇らしげだった。
柚葉は思わず息を呑む。
白石のその院は小さく慎ましい。
けれど外壁に刻まれた祈りの紋様が淡く輝き、まるで建物そのものが“母の光”を記憶しているようだった。
花壇には淡い桃色や黄色の小さな花が咲き誇り、朝露を受けた花弁がきらりと光っている。
その中を――
子供たちの笑い声が、弾む鳥のさえずりと混ざって駆け抜ける。
「すごい……こんな場所が王都に」
「母上が生きていた頃、家を失った子たちを引き取っていたんだ。僕は……その続きをしているだけだよ。光に選ばれた母上が、誰かを置き去りにしないように」
言葉に飾り気はなかった。
けれどその声音は、深く、静かで、あたたかかった。
言葉は飾り気がないのに、とても優しかった。
「……優しいよね。ルシエルって」
「優しくなんかないさ。母の背中を追いかけるのに、必死なだけだよ」
照れたように視線を逸らす。
(いや、それが“優しさ”なんだよ……)
柚葉は心の中で深く頷いた。
その、わずかな静けさを破るように――
「ルシエルさまー!」
「おひさしぶり!」
「きれいなおねえちゃんいるー!」
「くろい髪のお姫さまだ!」
子供たちが駆け寄ってくる。
「ひ、姫じゃないよ!? 一般庶民! ただのモケジョ!!」
柚葉が全力で否定すると――
「にゃははっ! そのテンパりかた、もう可憐なお姫さまにゃ!」
先行して来ていた、ニャルディアが灰銀のポニーテールを揺らし、にゃははと笑う。
俊敏さを思わせるしなやかな動きだが、笑みはふわりと柔らかい。
そして。
「おぉっ、ひさしぶりだな、ガキども! 元気にしてたかァ!?」
こちらは、一緒に来ていたオレンジ髪のドワーフ娘、ブレンナが巨大ハンマーを背に踏み込む姿は、まるで小さな嵐の到来。
「わぁ、ハンマーねえさんだー!」
「きたえてくれるの?」
「こわいけど楽しみ!!」
ブォーンとハンマーが音を立てって振り回されるのを、子供たちはキャッキャッと逃げまわる。
柚葉は、ハラハラしつつも口を挟む。
「えっ!? ちょっと待って! そんな本気で振り回して当たったらどうするの!!」
「へっ、手加減? オレにそんなもんあるか!」
ブレンナは豪快に笑い、ハンマーをこれ見よがしに振り回す。
「ぎゃー! でも面白ーい」
「きゃー! や、やめ......! なんかちょっとワクワクしてきたーかも?」
そのやり取りに、子供たちもくすくす笑う。
「ルシエルさま、今日は長くいてくれる?」
「おねえちゃんも遊んでくれる?」
「ねえねえ、姫さまって何する人!?」
「だから姫じゃないんだってばー!!」
柚葉の声が朝の修道院に響き、花壇を舞っていた綺麗な蝶が驚いたのかその場から離れていった。
そして――ブレンナの脳内ギミックが突然動き出した。
「よーし、久々に“アレ”やるか!」
彼女はどこからか革の手綱と頑丈な縄を取り出し、巨大ハンマーの柄に手際よく巻きつけていく。
「……ブレンナ、何それ?」
「安全装置だ! あと命綱! こいつをハンマーにくくって――」
地面にいた子供二人を、スチャッと手綱で固定。
「さぁ乗りな! “飛天ハンマー回転号”出発だァ!」
「きゃあああ!!」
「楽しそう!!」
子供たち、大歓喜でハンマーにぶら下がる。
ブレンナがハンマーを持ち上げ、豪快に――
ブォォォン!!
回転開始。
もはや小型の竜巻。
「ちょ!? 危なっ……!!!」
柚葉が止めようと駆け寄るが、
「なぁに見てるだけなんだ、姫さま! お前も乗るんだよ!」
「なんでそうなるのーーーー!?」
気づけば柚葉も腰に命綱を括り付けられていた。
ルシエルが一歩だけ前に出たが、ブレンナに笑顔(圧)で止められる。
「王子は見てろ。《体験》は本人がしなきゃ意味ねェ!」
「いやそういう教育方針なの!?」
ブォオオオオン!!!
柚葉、発進。
「ひいぃぃ――――!!!? 今地面見えた!? 空見えた!? 王城の屋根見えた気が――――ッ!?」
子供たちは大爆笑。
「姫さま顔真っ白ー!」
「目が回ってるー!」
ルシエルは、柚葉がハンマーの軌道ですれ違うたび、手を伸ばしつつ悩む。
(止めるべき……止めるべきなんだが……今助けたら後で“恥の記憶”になって刺さりそうだ……!)
「ルシエル!!! 助けてぇぇえ!!!」
(……いま助ける!)
ルシエルが飛び込もうとした瞬間――
ブレンナが満面の笑みで締めの一撃。
「――最大出力!!」
ブンッ!!
「ぎにゃああああああああああ!!!???」
柚葉、星が飛ぶ。
子供たち、拍手喝采。
「姫さま強いー!」
「もう一回!!」
「ちょっと待っ……今やったら普通に魂抜ける!!」
柚葉が地面にへたり込み、目を回してプルプル震えている。
ルシエルが慌てて抱き起こし、内心ツッコむ。
(……うん、あとでブレンナには“教育的説教”をする)
ブレンナは親指を立て自慢げに笑った。
「へっ、死人は出てない! 今日も安全運転だぜェ!」
「基準が色々おかしいーーーー!!」
慈光院の庭に、朝から元気すぎる悲鳴と笑い声が響き渡った。
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