第33話 獅子王陛下と星降る巫女 光の下、王子の隣で新たな世界を歩き出す
視線を向けたのは――氷の王子、アーシェス。
彼は一言もないまま、柚葉の髪をじっと見つめていた。
その眼差しは冷徹な分析ではなく、一瞬だけ深い湖の底に沈む影が揺らめくようだった。
「……その髪の“揺らぎ”。どこかで見た気配だ」
アーシェスの脳裏に浮かぶ。
王妃セレーネ――母の肖像画。そこに描かれた星光の波紋。その残滓。
柚葉の髪に宿る淡い輝きは、その“記憶”と奇妙に似ていた。
彼はほんの少しだけ視線を逸らし、抑えるように、静かに呟く。
「……あの時の光と、同じ“色”だ」
(ちょ……待って……なんかめちゃくちゃ重いセンシティブな記憶に触れちゃった感じ!? わたし、ただ転んで前髪跳ねただけなんだけど!?)
柚葉の心のツッコミが暴れまわる。
しかし、その一方で、ガルディウスはまったく別方向の意味で柚葉の髪を凝視していた。
瞳の奥が、獣じみた好奇心でぎらりと光る。
「こうやって“ほんの一部”だけでも……夜の加護そのものを見るとよ。――はっ、ぞくっとするな。面白ぇじゃねぇか」
「兄上?」
「異界の力ってやつが、戦場でどう働くのか……ちょっと考えてみたくなっただけだ」
声は軽い。だが、その奥に潜むのは生粋の“武の血”だ。
豪快な笑顔の端に、ぞくりとするような影が見えた。
(え、やめて!? それ完全に“新しい戦術思いついた”の顔!! ルシエルに兄は戦闘狂って聞いてたけど……これ遺伝レベルで戦闘脳なんじゃない!?)
柚葉の動揺を感じ取ったのか、ルシエルがすっと前へ出た。
動きは静か。でも、その一歩に宿る意志は強い。
「兄上。ユズハを戦の道具のように見るのは違います。彼女は誰の所有物でもありません。まして、武器などでは絶対にない」
ふだん穏やかな声が、珍しく鋭く響いた。
「ユズハは“光”です。戦うためじゃなく……国を照らす側の存在だと、ボクはそう思っています」
ガルディウスが面白そうに目を細める。
「へぇ……黒曜の主を討伐して帰ってきたら、少しは王族らしい面も出てきたじゃねぇか」
「必要なので。……彼女を守るためなら、強くもなります」
(うわ、ルシエル……いや今の普通にかっこよっ……!? でもそれどころじゃない!! 会話が怖い方向に進んでるんだってば!!)
そこへ、イリスが静かに言葉を落とした。
「……黒の加護。“夜の契約”の証……本当に、伝承が現れるなんて」
その瞬間、王――レオハートの瞳が鋭さを帯びる。
「黒髪の加護が現れし時、神の秩序が揺らぐ――古き言葉にもあったな」
静謐な王の声が、謁見室の空気をさらに張りつめさせた。
「ルシエル。お前が連れ帰った少女が、その“兆し”を宿す者だというのか」
「はい、父上。ユズハは……“光”の中で“夜”に輝く力を持っています」
空気が凍りつくように張りつめる。
ステンドグラスの光が淡く揺れ、柚葉の足元に星のような影を落とした。
(うそでしょ……? なんか急に世界の命運みたいな話になってない!? 私そんな大層な者じゃないから!! ただの一般人だから!!)
柚葉は内心で全力ツッコミを炸裂させつつも、表情だけは必死に保つ。
その時だった。
――風が、吹いた。
聖光の間で、決して生まれるはずのない風。
静寂を揺らすように、しかし祈りのように優しく――柚葉の黒髪がふわりと舞い上がる。
ひと筋の風が触れた瞬間、黒髪の揺らぎから、夜空の星がこぼれるみたいに光が散った。
白金の柱がゆっくりと脈動し、天輪のステンドグラスが、まるで“呼吸するように”淡く瞬く。
光でも闇でもない、どこか“境界”の匂いを帯びた輝きが柚葉の周囲を満たした。
ルシエルは息を呑む。
「……っ、これは……神聖力の反応……? でも、黒の加護が……なぜ陽光と――共鳴して……?」
イリスの瞳が震える。
「昼と夜……陽と影……本来、相反するはずの力が……ひとつの流れになっている……?」
王の聖紋が淡い光を放ち、重厚な天輪が柚葉の髪に宿った輝きへ共鳴するようにきらめく。
その光景は、まるで古い神話の“一ページがめくれた瞬間”のようだった。
柚葉は呆気にとられ、ぽつりと漏らす。
「……わたし……ただ風が……? え、え、これ……バグ……?」
「ふふ……ユズハはほんとに、予想外の奇跡を持ってるね」
ルシエルの声は震えていたが、その目は嬉しさを隠しきれていなかった。
玉座の間がざわめき始めた、その直後。
イリスが、胸元の幼子を抱き寄せながら息を呑む。
その瞳は驚愕の奥に――どこか“確信”のような色を宿していた。
「……あぁ……この光は……セレーネ様がよく、夜空へ祈りを捧げた時と……同じ、揺らぎ……」
震える指で胸元の聖印を押さえる。
「昼と夜……光と影……二つが共鳴した時、神はしばし地上へ視線を向ける――その伝承を、本当に目にすることになるなんて……」
(ひぇえっ!? そんな“神話トリガー踏みました”的な顔されたら困るんですけど!?私ただ風吹いただけなんだけど!? え、違うの!? もっとなんか重要な動きしてた!?)
アーシェスは、冷静を装ったままほんの僅かに眉を寄せる。
その表情は硬いはずなのに――柚葉の髪を見つめる目の奥には、凍りついた湖底に一瞬だけ差し込む光のような、揺らぎがあった。
「……黒の加護に、この“星の脈動”……。まるで、母上が最期に残した祈りが……形になって戻ってきたかのようだ」
低く、ほとんど自分に言い聞かせるような声音。
その声に、柚葉は思わず心の中で叫ぶ。
(え、アーシェス様……なんかすごく繊細なとこ見せてくる……!やめて!? その“背負ってます感”と“氷の奥の熱”のコンボ、刺さる人多いよ!? てか私に重ねるのやばくない!?)
一方で――ガルディウスは真逆の方向に反応していた。
完全に目が輝いていた。悪い意味で。
「……なぁ」
「はい?」とルシエルが慎重に返すよりも早く、
「その光……戦場で使ったらどうなるんだ?」
「兄上!?」
「夜と昼をいっしょにぶつけるんだぞ? 絶対ただじゃ済まねぇだろ。やべぇ……胸が熱くなってきた……!」
(ちょ、ちょちょちょ……!?なんでこの人だけ“戦略会議”じゃなくて“戦闘メシの献立考えました”みたいなノリなの!? 絶対なんか危ないほうに方向性ぶっ飛んでる!!)
柚葉の思考がパニック寸前になりかけたその時、ルシエルが勢いよく一歩前へ出た。
「兄上! ユズハを戦の素材にするのは違います! 彼女は……彼女の光は、そんなものじゃない!」
真っ直ぐすぎる声音に、一瞬、三兄弟の空気が揺れた。
(ルシエル……ありがとう……! ほんと心のオアシス……癒やし……精神安定剤……!!)
王は静かに手を上げ、場を鎮めた。
「……見定めねばならぬ。黒の加護を持つ娘が、この国の運命に何をもたらすか」
幼子セラフィオがふにゃ、と眠ったげな声を漏らし、その柔らかな音だけが異様な緊張を少しだけ溶かした。
レオハートの言葉が、重く優しく降りる。
「ゆえに命ず――そなた、ルシエルの傍にあれ」
「えっ……っ、ええええぇぇえ~~!?!? な、なんかあたし、いま完全に“国が動くレベル”の流れに乗せられてない!? ていうか私そんな重要な光出したの!? いや風か!? 光か!? 何!」」
ざわめく玉座の間。
光と影の境界線が揺らぎ、物語の歯車が一つ動く。
柚葉の運命は、逃げ場もなく――しかし確かに、未来へ導かれ始めていた。




