第32話 聖光の玉座へ、王子の温かな隣で未来を選びはじめる~祝福の都の恋譚~
朝の王都〈ヴァレンティア〉は、夜明けそのものが祝福の儀式だった。
白金の塔が陽光を受けて淡く輝き、鐘楼から流れる旋律が街に染みわたる。
神殿の尖塔には七色の光が駆け、祈りが朝靄に溶けて空へ昇っていく。
そのすべてが、この国の“秩序”を象徴していた。
――そして今、その中心へ、ひとりの異邦の少女が歩いていた。
「うわぁぁ……ルシエル、これ絶対やばいって……。歩くだけで寿命削れてる気がする……!」
豪奢な回廊を進む柚葉は、もう完全に声が震えていた。
大理石の床は鏡みたいで落ち着かず、壁には金糸で織られた聖紋の旗がズラリと並び、至るところから神像が“よく来たな娘よ”みたいな眼差しを向けてくる。
「……ねぇルシエル。ここ、廊下一本であたしの家より高くない?」
「一本って単位が、すでに変だよ」
「だって! 現実味がない世界なんだから仕方ないでしょー!?」
ルシエルはくすっと笑い、柚葉の歩調に合わせて横を歩く。
「いや、だって……比べる基準がもうそこしかないんだもん」
「そんな緊張する必要ある?」
「あるよ。なんか……“入っていいのかなあたしが”って気分になるじゃん」
「ユズハは、聖王国が認めた“客人”だよ」
「うぅ……それを自覚すると余計プレッシャーかかるんだけど」
「大丈夫。ちゃんと隣にいるから」
「……うん。ありがと」
荘厳な空気の中にも、ふたりの会話には穏やかな温度があった。
柚葉はぴたりと固まった。
「……あの扉、生きてない? 呼吸してる感じしない?」
「してないよ」
「してないのに圧があるとか、逆に怖いんだけどー!!」
ルシエルは少し困ったように笑いながら、そっと柚葉の背を押す。
「ほら、大丈夫だって。ユズハならできるよ」
「うぅぅ……励ましてくれるの嬉しいけど、胃がキリキリしてきたぁ……」
そう言いつつも、柚葉は、一歩を踏み出した。
やがて、白金の扉の前にたどり着く。
衛兵が二人、無言で槍を交差させた。
その奥――光が満ちる“聖光の間”。
「ルシエル・レガリア・ヴァルハイト殿下、ならびに客人ユズハ殿。入室いたします」
静かな声と同時に、扉がゆっくりと開いていく。
眩い光があふれ、柚葉は思わず目を細めた。
聖光の間。
床は神代の黄金大理石、天井には七つの天輪を描いた崇高な聖画。
息をするだけで心が正されるような、厳粛と神聖の濃度が桁違いだった。
そして――その中心に座す男こそ、この国の王にして“獅子王”の異名を持つ者。
ヴァルハイト聖王国国王、レオハート・レガリア・ヴァルハイト。
白金の鎧は装飾ではなく、戦場で鍛え直された実戦の光。鍛え上げられた体躯は老いを寄せつけず、金獅子のような風貌は威厳と覇気をまとっている。
その眼光は、かつてAランク冒険者として名を轟かせた“王の中の王”のそれだった。
座っているだけで、空気がひれ伏すような圧がある。
真正面から見ようとした柚葉は、思わず背筋を伸ばした。
「す、すご……なんか、オーラだけで一国守れそう……」
横のルシエルが小さく「父上だからね」とため息まじりに笑う。
王の右側には、一人の女性――側妃イリスが静かに佇んでいた。
銀糸の髪は淡く輝き、聖女にも似た柔らかい光をまとう。彼女がいるだけで空間の角張った威圧がほどけ、まるで穏やかな風が吹き込んだかのようだった。
その腕には幼子――第四王子セラフィオ。
まだ幼いその子は、母の胸で静かに眠っている。
けれど、その小さな額には王家特有の光紋が淡く宿り、ただの幼子ではないことを気配だけで感じさせた。
“この子はいずれ国の運命を変える”そんな未来の影が、どこかに確かにあった。
そして、王の左右に並ぶ二人の王子。
第一王子アーシェス・レガリア・ヴァルハイト。
彼の佇む場所だけ、わずかに温度が下がっていた。陽光を閉ざしたような金髪は静かに肩へ流れ、その瞳は冷えた理性で研ぎ澄まされた刃のよう。
少年の頃に喪った母セレーネの“不審な死”。真相を闇に落とした者たちへの怒りを、彼は決して忘れない。
その怒りを燃やす代わりに、凍らせて抱え込む――だから彼の沈黙は、どこまでも深く、どこまでも鋭い。
“未来を睨む者”の孤独が、その立ち姿に宿っていた。
その対となるように、逆側には第二王子ガルディウス・レガリア・ヴァルハイト。
巨躯。厚い胸板。
炎のように荒々しく揺れる金髪。
ただ立っているだけで、戦場の熱と轟音の匂いがする。
豪快な笑みは眩しく、だが同時に周囲を巻き込まずにはいられないほどの“熱”を帯びていた。
過去よりも今を、陰謀よりも拳を、正義よりも“叩き割るべき敵”を優先する男。
だが裏では帝国との“いずれ起こる戦”を独自に見据え、誰にも言わずその未来を狙っている――危うさと才覚を併せ持つ獣。
アーシェスの沈黙は氷。
ガルディウスの衝動は炎。
正反対の二人が、玉座の間に複雑な陰影を落としながら立ち並んでいた。
「異界の客人、ユズハ」
低く響く声は穏やかでありながら、玉座の間の空気そのものを震わせた。
“獅子王”と呼ばれたレオハートの声には、言葉以上の重みがあった。
「我が子、ルシエルを導いた者。そなたの来訪、神の導きと見た」
「は、はっ……ひ、ひゃい!? い、いえっ、あのっ――お、お会いできて光栄です!!」
柚葉は緊張のあまり、勢いよく礼をしようとして――
ガッ! と膝を床にぶつけ、頭を下げた拍子に前髪が“ぶわっ”と跳ね上がり、おまけに靴がきゅっと滑って半歩前にズレるという、三段コンボのドジを披露してしまった。
(なんで今こんな見事にやらかすのあたしィィィ!?)
玉座の間では通常ありえないその動作に、沈黙がわずかに揺れ――
「ぷっ……あははははっ!!」
ガルディウスが腹を抱えて吹き出した。
「おいルシエル! お前、こんなおもれぇ子どっから拾ってきたんだよ!」
「兄上、謁見の場です。笑い声が響いています」
「だって面白ぇだろ! ほら見ろ、前髪が跳ねて角みたいになってるぞ!」
「兄上っ」
ルシエルが呆れたように眉を寄せるが、レオハートはむしろ興味深げに目を細めていた。
「よい。異界の娘が緊張するのは当然だ。……娘、顔を上げよ」
「は、はいっ……!」
柚葉が慌てて姿勢を正して顔を上げた瞬間だった。
七色の光が、黒髪の奥で淡く揺れる。
夜空を透かしたような微光が広がり、玉座の間の光と触れあって溶け合った。




