第31話 謁見前夜 ― 月光の密談 名前で呼ぶたび、距離が近づく
王都ヴァレンティアの夜は、昼よりも明るい。
光晶石の街灯が星のように並び、夜風には白百合と香草の香り。
高台から見下ろす街は、まるで大地に広がる天の川だった。
離宮の客間。
柚葉は、お風呂の余韻と、晩餐の幸福感と、ニャルディアとの女子トーク、そしてルシエルのだだ洩れ甘々攻撃で精神が限界を迎え、ベッドに転がり込み、布団に飛び込んだ。
そして、ふかふかの布団にくるまりながら敢えて忘れていた事実にぐるぐると思考を巡らせていた。
(明日、国王陛下に謁見って……どういう顔すればいいの!?)
(しかも、ルシエルってこの国の“第三王子”……つまり正真正銘の王子様じゃん!)
(あれ? 私、もしかしなくても場違い度とんでもないのでは……!?)
(はぁぁ~~!! 無理~!! そもそもただの一般人を王様の前に出すなぁぁ!!)
(それに、何度も呼び捨てでいいよって言ってくれたけど、王子様を敬称つけずに名前だけで呼ぶのって、結構ヤバくない?)
思考がぐるぐると飛び回り、ベッドの上でバタバタともがく。
そのとき――扉の向こうから、静かなノックの音が響いた。
「……ユズハ、起きてる?」
「ひゃっ!? ル、ルシエル……様!? は、はいっ!? お、起きてます!!」
慌てて布団を整え、寝癖を手で押さえながらドアを開ける。
月光を背に、立っていた彼は――
白い外套を羽織り、金糸の髪を風に揺らしていた。
それだけで空気が、柔らかく光を帯びる。
「……眠れないのかと思って」
「う、うん……明日、国王陛下と謁見? って聞いたら、さすがにちょっと……」
ルシエルは少しだけ微笑む。
「怖い?」
「こ、怖いというか、もう……胃が痛い、みたいな?」
小さく笑う声。
それは夜の静けさをほぐすような、優しい音だった。
彼は、柚葉の隣に静かに腰を下ろす。
窓から差し込む月光が二人の間に淡い光の輪を作っていた。
「ねぇ、ユズハ」
「な、なに?」
「今もだけど、今日……君の名前を、何度か呼んで思ったんだ」
「え、え? な、なんですか急に……」
「“王子”とか“様”とかじゃなくて――ただのボクとして、君に呼ばれたら、きっと嬉しいなって」
「……!」
息が止まった。
その声音は、冗談めかしているようでいて、どこか真剣だった。
「で、でも……そもそも王族の方を呼び捨てにしたら不敬罪とか……死刑とかになるんじゃ……!?」
「うん、なるね」
「なるんだ!?」
「まあ罰としては、優しいとこで”苦いお薬でころり”、普通で”こんがり全てがロースト”、重いと”市内観光引き回し、ただし鎖での刑”、かな?」
「ひええええええええ!?!?!? めっちゃオブラートに包んだ言い方だけど! 内容!?」
顔を真っ青にして慌てふためく柚葉を見て、ルシエルは肩を震わせて笑った。
「冗談だよ」
「......この前に聞いた王族詐称の罪といい、じょ、冗談のスケールが本気レベルなんですよぉぉ!」
「まあ、詐称は本気で重罪だけどね」
「でも――」
と、彼は少しだけ声を低めた。
その眼差しが、ふと真剣な色を帯びる。
「二人きりの時は、いいんじゃないかな。“王子”でも“殿下”でもなく、ルシエルとして、君に呼ばれたい」
「……そんなの、ずるいですよ」
「ずるい?」
「はい。そう言われたら……呼びたくなるじゃないですか」
頬が熱くて、視線を逸らす。
けれど、ルシエルはそっとその視線の先に手を伸ばした。
彼の指先が、柚葉の髪に触れる。
「黒い髪……この国では“夜を繋ぐ加護”の象徴なんだ。闇を恐れず、光へ導く者の印。君の髪も――きっと、神に選ばれた証だ」
静かな声が、胸の奥に落ちる。
彼の瞳が月光を映して、宝石のように輝いていた。
「ユズハ。ボクは君に会ってから、変わった。光は、ただ照らすだけじゃない。――誰かを、包むものなんだって」
「ルシエル……」
言葉が喉で震える。
呼びかける声に、彼は少しだけ微笑んだ。
「うん。そう呼ばれるのが、一番嬉しい」
その瞬間、心臓が跳ねた。
まるで胸の奥の“何か”が、世界と繋がる音がした気がした。
窓の外、遠くに鐘の音が響く。
夜の王都に、静かな祈りの旋律が流れた。
柚葉は小さく息を吐き、彼の肩に寄り添う。
――これは、運命に繋がる前夜。
“光の王国”で始まる、新たな試練と恋の夜だった。
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