第18話 方向音痴の私と手を離せない王子様、離宮で始まる距離感迷子の恋
朝の陽光が二人を照らし、王都の鼓動はさらに深く、鮮やかに――柚葉を飲み込んでいった。
「ここが、王都で一番人が集まる場所だよ」
ルシエルが控えめに腕を差し出し、柚葉は「ありがと」と自然にそれを取って歩き出す。
馬車を降りたことで軽く浮き立っていた気分が、賑やかな声や香ばしい匂いにさらに弾む。
エルフの商団が並べる魔樹のアクセサリー。ドワーフの職人が叩き上げた金属細工。さらには、顔立ちは異国風なのに、どこか東の国の所作を思わせる旅人たちが行き交い、柚葉は思わず目を丸くする。
「わぁ……すごっ。全部キラキラしてる……!」
その瞬間だった。
「君、かわいいね!」
「見ない顔だな、お嬢さん。どこから来たの?」
「その髪の色、珍しい!触っても――」
「触らせませんよ?」
ルシエルがさらりと笑って牽制した。
“微笑んでいるのに目が笑ってない”モードに、周囲の男たちがざわりと一歩下がる。
……が、柚葉本人は気付かない。
(わ、王都の人ってフレンドリー……! すごいコミュ力だ……!)
声をかけられる=歓待と都合よく脳内変換されている。
「ゆ、柚葉。人混み、危ないからね。ちょっとこっち寄って」
「え? 大丈夫だよ? ほら、あの耳長さんのピアス、めちゃ綺麗じゃない?」
ルシエルのもやっ……は加速する。
(……大丈夫じゃないんだけどなぁ。なんでこんな人気あるの、柚葉……)
(え、なんでちょっと近いの? ルシエル、道案内ありがとう、ってだけなのに……もしかして――いやいやいや、ないない!)
恋愛指数、柚葉 現在 1(ほぼゼロ)
恋愛指数、ルシエル 現在68(意識すればするほど迷宮入りしている)
そんな温度差を抱えたまま、柚葉は市場の中心へと引っ張っていかれた。
「ねぇルシエル、あっちも見ていい? ほら、ドワーフさんのとこ、火花バチバチしてる!」
「……むしろ離れないで。お願い」
「え? 何か言った?」
「なんでもないよ」
ルシエルはこっそり深呼吸しつつ、柚葉の手をそっと握る。
人混みに紛れないように――という名目で、しかし彼の指先はほんの少しだけ強かった。
(……ほんと、危なっかしいんだから)
(市場すごいな〜! キラキラしてる!)
二人の温度差は、今日も絶妙にかみ合っていない。
市場の中心から少し外れた、木漏れ日のさす路地。人の喧騒がやや遠のき、ルシエルの握る手に柚葉がふと目を落とす。
「ねぇ、ルシエル」
「ん?」
「もしかして……」
ルシエルの心臓が一瞬だけ跳ねた。
まさか、ようやく気づいた――?
「私、方向音痴だってバレた……?」
「………………え?」
「さっきから手、ずっと握ってくれてたから……」
柚葉はしゅん、と肩を落とす。
「やっぱり私って、そんなに歩くの危なっかしいのかなぁ……って」
ルシエルは三秒ほど固まった。
(ち、違う……!危ないのは確かにそうだけど……いやそうじゃなくて……なんでそっち方面にだけ頭が回るの……?)
「ゆ、柚葉。さっきのは、その……」
王太子殿下、説明しかけて――諦めた。
彼女はまっすぐ、濁りなく、純粋で。そして、こういうところだけ妙に“恋愛無自覚スキル”が高い。
「……そうだね。君は確かに危なっかしいよ」
「やっぱり〜!」
(なんで嬉しそうなんだ……)
しかもその後。
「でもねルシエル、心配しなくていいよ? 道間違えても、私ちょっとくらいなら走って追いつくから!」
「……え、誰を追い――」
「ルシエルに決まってるじゃない!」
ぱぁっと笑顔の花を咲かされ、ルシエルは黙って顔をそらした。
耳が赤いのを、柚葉は当然ながらまったく気づかない。
(……ダメだ。ほんとに気づいてないんだ、この子)
(よし!方向音痴克服がんばろ!)
すれ違うにもほどがある二人は、今日も平行線のまま歩き出すのだった。
市場のにぎわいから少し離れた路地に停めてあった馬車へ、二人は戻っていった。
柚葉はまだ名残惜しそうに振り返りながら歩く。
「うぅ……あと三時間くらい見て回りたかった……」
「また来ればいい。ユズハは楽しそうだったし」
「めちゃくちゃ楽しかった!! でも、王城に行くのも楽しみ! あ、馬車乗っていいよね? まだ歩く元気はあるけど、体力ゲージが心配なので!」
「もちろん。ほら、手を」
ひょい、とルシエルが手を差し出す。柚葉は自然にそれを掴んで、馬車へ乗り込んだ。
(ほんと……無意識でやるんだよなぁ……)
ルシエルは小さく息を漏らしつつ、彼女の手をそっと支えたまま自分も乗り込んだ。
御者が手綱を鳴らすと、馬車は王城へ向けてゆっくりと動き出す。
――そして。
王都の中心へ近づくほど、“街の密度”は急激に変化した。
巨大な白金の塔が視界に迫り、王城の外郭が見え始めた瞬間――柚葉はぴしっと姿勢を正し、口をぱかんと開けた。
「……え、えっと……ルシエル。ここ、ほんとに王城……?」
「うん。これでも外側だよ」
(これで外側って何??)
近づけば近づくほど、王城〈ヴァルステラ〉は現実味をなくしていく。
中に入ると――そこはもう“城”というより“国家”そのものだった。
庭園は森のように広がり、城壁の内側に湖があり、離宮が複数並び、軍を抱く区画さえ存在する。
「ちょ……これ……一つの区画から主城まで、徒歩で移動できる構造じゃないでしょ……?」
「だから馬車で移動するんだよ。ここ、僕の“離宮”の区画に入ったところ」
「へぇ~、離宮って……」
柚葉は、馬車の窓から顔を突き出す勢いで眺め――そして、固まった。
「……でっっっっか……!」
光をまとう白い建物が、湖面に反射して神殿のように輝いている。
彫刻はどれも繊細、壁面は魔法陣の装飾が流れるように刻まれ、周囲には結界塔と祈祷庭園が広がる。
「離宮って……普通こんなテーマパークみたいな規模じゃないよね!?」
「テーマパーク?」
ルシエルは少し笑って首をかしげた。
「はは、ユズハは大げさだよ。これでも簡素な方だし」
「どこが!!? 絶対ゆめの国より広いよ!!!」
柚葉の頭上に降り注ぐ陽光が、離宮の白壁で反射してまるで星の粒のように煌めいた。
「わぁ……ここ、ほんとに……住んでるの?」
「うん。きみにも、ゆっくりしていってほしい場所だ」
ルシエルの声音は優しく、どこか誇らしげだった。
柚葉は胸の前で拳をぎゅっと握る。
「よし! 広すぎて迷子になりそうだけど、がんばる!」
「……ああ。僕が手を離さなければ、迷わないよ」
「え? あ、うん、ありがとう!」
(そうじゃないんだけどな……)
ルシエルは苦笑しつつ、それでも嬉しさを隠しきれないでいた。
二人を乗せた馬車は、ルシエルの離宮前――白金の噴水がある円形広場にゆっくりと停まった。




