第16話 神代の遺構に守られた王都で、運命はそっと、私の手を掴んだ
丘を下り、王都の外縁に近づくほど――柚葉の口は、ぽかんと開いて元に戻らなくなった。
「……あれ……なにあれ……? おっきい……いや待って、こんなの……え、模型じゃなくて“現物サイズの豪華版ディスプレイ”では?」
目前にそびえるのは、白金の巨壁。
塔と塔を繋ぐ大理石のアーチは、まるで古代建築の美術展示。
朝日に照らされるその質感は――“細部をこだわり抜いたハイエンド模型”を間近で見たときのような、異常なリアルさだった。
巨大な白獅子の紋章に、七つの月を象った宝珠。光を受けて淡く輝くその様は、どこからどう見ても“公式が本気で作った限定版アイテム”の風格。
(……なにこれ……女子の心にくるやつ……。手触りとか見た瞬間に分かる……“高級そのもの”って質感……!)
思わず指で触れたくなる衝動を必死にこらえる。
「ここが……王都の外壁……?」
「うん。〈ヴァレンティア〉を守る“聖獅子の城砦”。神代の遺構を使ってるって話だよ」
「神代……遺構……。さらっと言うけど、語彙がファンタジー辞典そのままなんですけど……!」
半泣きになっている柚葉を乗せた馬車は、一般入城門の大行列を脇目に、高位貴族専用の煌びやかな門へと進んでいく。
商人、旅人、冒険者、領民――人、人、人の波。
その中で柚葉は、そっと視線を落とした。
「優遇……って、なんか……ちょっと心苦しいかも……」
ルシエルが柔らかく微笑み、肩を寄せる。
「大丈夫。王族と、それに連なる者の“務め”だからね。民に姿を見せるのも、そのひとつなんだ」
「へぇ……そういうものなんだ……」
「うん。ほら――」
――その瞬間だった。
「ルシエル殿下だ!」
「“光の王子”がご帰還なさったぞ!」
「陽光の王子さま! 奈落の黒曜ワイバンーンの討伐おめでとうございます!」
「きゃああっ!! 殿下ー!!」
「こっち向いてくださーい!!」
歓声がどっと波のように広がった。
特に女の子たちの黄色い声が、ひときわ空気を震わせた。
花束を持った少女が涙目で手を振り、別の少女たちは頬を赤らめながら「ルシエルさまぁぁ!」と叫んでいる。
(えっ……ちょ……女の子人気すご……アイドルのライブ会場? ねぇこれアイドルのライブ会場だよね!?)
柚葉、完全に気圧される。
子どもたちが花を撒き、大人は手を掲げ、兵士たちは整列して槍を鳴らす。
光の粒子が舞いながら、祝福が空へ昇っていった。
柚葉の胸の奥が、きゅ、と縮まる。
(……そっか……これが、この国の“光”。みんなが見上げる英雄……ルシエルなんだ)
誇らしくて、温かくて――でも、ほんの少しだけ胸の奥に切なさが“ひろがった”。
(……私、こんな人の隣にいていいのかな……?)
――そのときだった。
ひときわ甲高い、少女たちの声が弾けた。
「きゃーっ! 殿下、こっち見た! 見た? 私を見たよね!?」
「いやいや! 殿下は、こっちを見た! 今、私と絶対目あった!」
「ルシエル殿下、今日も光ってる……ほんと生きてるだけで感謝……」
「えっ、待って。隣の子、誰? めっちゃかわいいんだけど!?」
「ちょっ……殿下が女性連れてるとか……心の準備が……!」
「本当だっ!? 殿下が女性を連れてる!? ええぇっ!?」
柚葉は思わず、肩をビクッと跳ねさせた。
(な、なにこの会話!? “目が合った”とか“心の準備”とか……まんま王子の推し活現場じゃん!? 私、完全に巻き込まれてる……!)
思わずルシエルを二度見する。
光の粒をまとって微笑む王子の姿は、それはもう絵画の中から歩いてきたみたいで――そりゃあファンもいるよねー、と納得するしかない美しさだった。
(うわー……本当にアイドルとか英雄とか、それも大人気の、ああいうカテゴリーなんだ……すご……いや、近くに立ってて大丈夫かな、あたし……)
ざわつく胸を必死に押さえていると、ルシエルがふっと横目で柚葉を見る。
そして――まるで呼吸するような自然さで、彼は自分の手をそっと柚葉の手元へ添えた。
触れたかどうか分からないほど優しい、けれど確かに“守る”意思のこもった仕草。
「……緊張してる?」
低い声が、喧騒に紛れて柚葉だけに届く。
「えっ……ち、ちょっとだけ……」
「大丈夫。僕がいるから」
そう言って、彼は人々へ返す微笑を崩さないまま、指先で柚葉の手をやんわり包んだ。
(ちょ、ま、え……やさし……いや落ち着け落ち着け私……! こういうの慣れてるだけで、深い意味は……え、ある? ない? どっち!?)
心臓が謎の二段ジャンプを決めてくる。
しかしルシエルはその動揺に気づいても、何も言わない。
ただ、ぎゅっと強くも弱くもない絶妙な力加減で、柚葉の手を導くように支え続けていた。
王都を包む歓声の波はさらに大きく高まり、七つの月の宝珠が光を反射して白金色のきらめきを撒き散らす。
――その中心で、柚葉はそっと息を吸い込んだ。
(……うん。大丈夫。ルシエルがいれば、きっと大丈夫)
そう思えてしまうほど、彼の手はあたたかかった。
白金の街並みが近づくにつれ、馬車の窓に貼りついていた柚葉は――ついに、ぷるぷる震え始めた。
「ルシエル……っ、ちょ、ちょっと……やばい……!」
「え、具合悪い?」
ルシエルが即座に身を乗り出す。
「逆!! あの街……あの景色……視覚情報が良すぎて耐えられない!! お願い、ちょっと降りたい! ほんのちょっとでいいから近くで見たいーっ!」
半泣き・必死・キラキラ目。
この三つがそろえば――ルシエルの抵抗値などほぼゼロへ。
「……うん、いいよ。じゃあ少し寄り道しようか」
「!! ほんと!? ルシエルだいす……あっ、なんでもないです!!」
――その瞬間だった。
ルシエルの胸の奥が、勝手に跳ねた。
(……だいす――って、今……? いや、違う、違うと言った……落ち着け。落ち着け、ルシエル。落ち着け、ボク……これは動揺する場面では――)
言い聞かせるほどに、逆に心拍が上がっていく。
目の前で嬉しさを隠しきれず、頬を染め、きらきらと瞳を輝かせている少女。
その表情が、思考より先に胸を締めつける。
(……かわいい。ずるいほど……)
喉の奥が熱くなる。
騎士として幾多の戦場を潜り抜けてきたはずなのに、こんな表情ひとつで足元をすくわれるとは。
(寄り道どころか……このまま何時間でも好きな場所に連れていきたい。……いや何言ってるんだボクは。落ち着け。けれど……喜んでくれるなら……少しくらいなら……)
そんな弱さと甘さが心の中で静かに芽を伸ばす。
柚葉が「なんでもないです!」と慌てて取り繕った後も、耳の奥でその言葉の名残が反芻して離れなかった。
(……だいす、か。あんな声で言われたら……いくらでも勘違いするだろう……)
穏やかに微笑んでいるように見えて、胸の内側ではまるで別人のように動揺し続けていた。
(……ほんと、君には敵わないな)
動揺をどうにか鎮め、御者席に軽く合図を送る。馬車は滑らかに速度を落とし、街の一角――人通りの多すぎない広場へそっと停まった。
「降りても大丈夫だよ。ゆっくりで」
「うんっ、ありがとっ!」
柚葉が馬車から飛び降りた瞬間――彼女の視界は、一気に“リアル・ファンタジー”へと塗り替わった。




