第14話 帰り道を失った乙女は、王子の隣で初めて未来を選ぶ~祈りの都の恋物語~
夜の果て、朝の始まり。
王都〈ヴァレンティア〉――白金の塔と千の鐘楼が光を宿す、聖なる都。
“光の秩序”を司るヴァルハイト聖王国の心臓であり、神々が降り立ったとされる聖域。
空には七つの月がかすかに浮かび、地上では、千の祈りの灯が瞬いていた。
風が運ぶのは香油と花蜜の香り。
鐘の音が絶え間なく響き、街そのものが祈りを奏でているようだった。
この国には数多の神々を祀るが――その頂点に立つのは、創世の光をもたらした原初神。
そして世界の循環を支える、五つの柱となる大神たちがいる。
大陸の人々は彼らを《セラフィード》と共に“六大神”と呼んだ。
火の戦焔神 《イグナヴァルド》 象徴:紅蓮、炎槍、鍛冶の火
勇気と戦、情熱を司り、武具に宿る魂を鍛える焔の主。熾火の祈りは戦場の兵に勇気を与え、第二王子ガルディウスの精神の礎ともなっている。
水と癒しの蒼海女神 《アクアミエラ》 象徴:清流、銀の杯、月雫
慈愛・治癒・浄化を司る水の母。その祈りは傷を癒し、涙を清める“慈悲のしずく”と呼ばれる。癒しの巫女たちは尊崇される存在。
風の旅神 《エアルヴァンス》 象徴:疾風、旅杖、白翼
旅と自由、冒険者たちの道を護る風の導き手。解放を愛し、束縛を嫌うこの神は、夢追う者すべての守護者でもある。
土の大地母神 《グランテルメス》 象徴:大樹、石環、晶洞
大地の豊穣・守護・安定を司る母なる根源。結界と土壌の祝福を与え、辺境の村々では最も厚く信仰される神でもある。産土の守り神として、地を踏むすべての者をその腕に抱く。
智識と星の書神 《アルマルクシオン》 象徴:星図、銀書、学術の光
叡智・魔術・星々の理を司る知の主。“世界の理は星の頁に記される”学術都市や魔導学院はかの教えを基礎としている。
五柱の力が巡り、世界に光と秩序が満ちる――それが大陸に古くから伝わる“神環の理”。
王都の中央には五大神の最高聖域にして、原初神を祀る総本山〈セラフィード大神殿〉がそびえ立つ。
その白銀の大階段は天へ続くようで、地下には神代の遺産――〈聖機アストラ・コード〉が眠ると伝えられる。
神罰兵器とも称されるそれを目にした者はなく、真実を知るのは神殿でも極一部のみ。
しかし――本当に恐ろしいのは兵器ではなく、それを守る“祈り”そのものだった。
大神殿を敵に回すことは、五大神すべてと信仰を敵に回すという意味。
ゆえに北の覇国〈ルーンディナス帝国〉でさえ、この地だけは決して侵せない。
光と闇。
祈りと覇道。
――いずれが先に、この大陸を照らすのか。
朝の光が、まだ冷たく澄んだ空気の中で揺れていた。
別邸の広いホールには、昨夜の混乱の痕跡がまざまざと残っている。
焦げた床、倒れた家具、砕け散った窓。
そして――柚葉が泊まっていた客室は半壊したまま壁が抜け、屋根はどこにも見当たらない。
「……え、あれ……あたしが居た部屋……」
柚葉は頬をひくつかせながら呟くしかなかった。
兵士とメイドたちが急ぎ片付けに走り回っている姿が見える。幸い、重傷者も死人もいない。その事実だけが救いだった。
「……ふぅ、ルシエルの言う通りだったね。みんな無事でよかった」
隣で金糸の髪がさらりと揺れ、ルシエルが軽く肩をすくめた。
「さすがにグレイヴでも、意味もなく人は殺さないよ。あれでも“自国民の無駄死に”は嫌うんだ。狂犬に見えて線引きはしてる」
「へぇ……意外と倫理観がある……?」
「“楽しめなくなるから”って理由だけどね」
「結局そっちか~~~!」
柚葉が両手で顔を覆うと、ルシエルが小さく笑う。
そして、半壊した部屋を見上げながら軽く言った。
「修繕費は兄上に請求しておくよ」
「お兄さんに? そんな、高いよね……?」
「うん。でも兄上なら喜んで払うよ」
「へ、へぇ……お優しい方なんだ……」
そう言いかけた瞬間。
ルシエルは少しだけ眉を寄せ、乾いた笑みを浮かべた。
「ただし……兄上は喜びながら怒る。理由は“館を壊した”じゃないけどね」
「え、違うの?」
「うん。絶対こう言うよ――」
ルシエルは兄を完璧に再現したテンションで叫ぶ。
「『なんでそんな楽しそうな戦闘に俺を混ぜなかった!!』って」
「理由が完全に戦闘狂じゃん!!」
「そう。だから補修費は出るよ。怒りながら“楽しそうで羨ましい”って言いながら払う」
「斬新な兄弟仲すぎる……! あの人も大概だったけど」
柚葉は乾いた笑いを漏らし、額を押さえた。
ルシエルは苦笑しながら肩をすくめる。
「うん。あれはね、兄上と同じで――バトルジャンキーなんだ」
「ふえぇ!? バトルジャンキー!?」
「戦うのが生き甲斐なんだ。……あ、兄上はあいつとは違うタイプだけどね。“強者しか興味ない”そうと知れば、“微笑みながら殴ってくる”系?」
「ル、ルシエルのお兄さんって、そんな戦闘狂なの!?!?」
柚葉が思わず距離を取ると、ルシエルは苦笑して手を上げた。
「まあ、“すごく癖のある人”だよ」
「……すごく癖のある、なんだ」
その言葉を繰り返した瞬間、柚葉の声が少しだけ揺れる。
風がそっと頬を撫でた。
笑いの余韻が静かにほどけていく。
――“すごく癖のある家族”。
その響きが、胸の奥をふっとくすぐったように切なくした。
あの日、家族で食卓を囲んでいた時の温かさが、急に恋しくなる。
その響きが、胸の奥をふっとくすぐったように切なくした。
父は、よくわからないこだわりで料理をやたら盛大に盛り付け、母は家族が喜ぶのを見るのが好きで、つい作りすぎてしまう。
妹は、幼いくせに“推し”がいるらしく、お気に入りのアイドルの写真を貼ったノートを肌身離さず持ち歩いていた。
弟は、毎日変身ヒーローのポーズを決めながら家中を駆け回り、「いつか絶対、俺も変身するんだ!」と本気で言い張っていた。
そして――兄は、真顔で塗装ブースを広げながら「今日も家族会議の議題は“艶あり”か“艶消し”かだ」とか言って笑っていた。
そして、飼い犬のシロと、気ままな猫のミルクは、そんな騒がしい家族の真ん中で、いつも当然のように丸まっていて――触れば、あったかくて、ふわふわで……ああ、癒されてたなあ、と今でも思う。
「……兄さん、みんなも元気にしてるかな」
思わず、小さく漏らす。
ルシエルが首を傾げた。
「ユズハ?」
「ううん、なんでもない。……ちょっとだけ、思い出しただけ」
柚葉は慌てて笑った。けれど、その笑顔の奥にある小さな寂しさを、ルシエルは見逃さなかった。
「……帰りたいか?」
唐突な問い。
柚葉は一瞬、答えを探すように目を伏せ――そして首を横に振る。
「今は……まだ。だって、帰る理由、見つけてないし」
(それに......貴方がそばに居てくれるから)
消えた言葉に、風が寄り添う。
ルシエルはそれ以上何も言わず、ただ微笑んで彼女の手から荷を取った。
「じゃあ――行こうか」
朝の光が、庭を包む。
鳥たちが枝を渡り、遠くに伯爵領の朝を告げる鐘の音が聞こえる。
柚葉は小さく息を吸い、彼の隣に並ぶ。
その瞬間、二人の影が、ひとつの光の中で重なった。
そして――再び、旅路へ。
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