第13話(後パート) 模型神さまの贈り物――趣味女子と光の王子の神装戦記
光に串刺しにされたわけでも、腕をもがれたわけでもない。
ただ――“完全に負けた”という事実だけが、グレイヴの身体を動けなくしていた。
膝をつき、肩で息をしながら、それでも彼は笑っていた。
「……っは、は、は……」
「ふっ……ふははは……!」
「――――っははははははッ!!!」
その笑いは、痛みではなく歓喜。
「……マジかよ……。ここまで差があるとはなァ……王子サマ……」
口端から血を伝わせながら、グレイヴは壊れかけた影のクロスに指を這わせる。
「影装が……たった一分で沈むなんざ……」
「最高だよ……本気で魂が震える……ッ!」
その瞳は、敗北の悔しさよりも“次を求める期待”に燃えていた。
立ち上がろうとして足がふらつく。
それでも彼は、ふらりと後退しながら――ルシエルを真っ直ぐ見た。
「面白ぇ……とんでもねぇ玩具を見せてもらったぜ、王子サマ」
影がゆらりと彼の足元でうごめく。
「その光――次に会うとき、俺が“折る”」
「楽しみにしとけよ。てめぇのその完璧な輝きが“砕け散る瞬間”……俺は絶対、見逃さねぇ……!」
闇がひらりと開き、グレイヴの身体が溶けるように沈む。
最後に残る声は、吐息混じりの快楽のような呟き。
「……今日は最高だったぜ……光の王子サマ……」
影が閉じた。
静寂。
月光が戻り、夜風がそっと吹き抜ける。
その中で、ルシエルは剣を静かに収めた。
光が彼の肩口でかすかに揺れ、蒼金の鎧が夜気の中で淡くきらめいた。
やがてその輝きは、息をひそめるようにそっとほどけ、鎧は音もなく光の粒へと変わっていく。
夜風が触れても散らず、ただ静かに空へ溶ける光。
最後のひと筋がふわりと消えると――闇の中に残ったのは、ルシエルの静かな横顔だけだった。
「……ユズハ。大丈夫?」
その声音は、戦場に似つかわしくないほど優しかった。
柚葉は、ルシエルに駆け寄ると胸元に額をそっと押しつけ、小さく唇を噛んだ。
「……あの、ルシエル……」
「どうしたの?」
「……あたし、“一緒に戦おう”って言ったのに……結局、何もできなかった……頼りきりで……ただの観客で……なんか……推しの決戦を一番近くで見てただけみたいで……」
自分でも情けないと思う。
胸の奥がじんわり痛んだ。
「ごめん……せっかくクロスを作って渡したのに……ルシエルひとりに戦わせちゃって……」
柚葉がぽつりと呟くと――
ルシエルは、ふっと優しく笑った。
まるで“そんなこと気にする必要はない”と示すように、彼は柚葉の両肩に手を添え、そっと距離を取って彼女の瞳をまっすぐ見つめた。
「ユズハ。違うよ」
柔らかい青の瞳が、夜よりも静かに、深く光る。
「君が作ってくれた《クロス》は、君とボクの“ふたりで戦う力”だ。武器を握るのがボクであっても……この光は、君の想いがなければ生まれなかった」
「……ルシエル……」
「さっきの戦い。ボクはただ剣を振っていたんじゃない。君の心と――君がくれた力と、一緒に戦っていたんだ」
言葉では表現しきれないほどのぬくもりを帯びて、ルシエルの掌が彼女の手をそっと包む。
「だからユズハ、もう自分を責めないで。ボクは“二人で勝った”と思ってる」
柚葉の視界がじんわりと滲んだ。
膝がふらつき、思わずきゅっとルシエルの胸へ抱きつく。
「……そんなふうに言われたら……もう無理……心臓もたない……」
ルシエルは小さく笑って、彼女の頭を優しく撫でた。
「なら、何度でも言うよ。ユズハ、ボクたちは――一緒に強くなれる」
耳元に落ちる彼の声は、甘くて、優しくて、柚葉の胸の真ん中にそっと火を灯した。
その瞬間――館の壁が軋み、床がぐらりと揺れた。
ゴゴゴゴゴ……ッ!!
「えっ――わ、わ!?」
「ユズハ、掴まって!」
石畳が崩れ、足元が一気に砕け落ちる。
二人の身体が宙へ投げ出され、夜気が一瞬で肌を切り裂いた。
落ちる――!!
咄嗟にルシエルは柚葉の腰を抱き寄せた。
柚葉も反射的に、彼の首にしがみつく。
視界が回転し、瓦礫がすれすれに舞う。
その中で、二人の身体はぎゅっと重なったままだった。
「ル、ルシエルっ……!」
「大丈夫。離さない!」
ルシエルは空中でわずかに足を寄せ、まるで舞踏の一歩のように重心を滑らせた。
静かな呼吸のまま崩れゆく床を踏み、体勢をゆるやかに整える。
しかし衝撃までは防ぎきれず、そのまま二人は瓦礫の上に転がり込んだ。
ドサッ――!
痛みよりも先に、近さが来た。
気づけば。
ルシエルの片腕は柚葉の背にまわり、柚葉の手は彼の胸元をぎゅっと掴み、顔は――息のかかる距離。
本当に、指一本ぶんの余白もない。
「……っ……近……っ……」
柚葉の声は震えて、熱が混じる。
ルシエルも息を整えながら、柚葉を見つめ返す。
「……ごめん。でも……こうしないと守れなかったから」
そう囁く息が、頬にかかる。
心臓が跳ねすぎて、もう痛い。
柚葉は真っ赤になりながら、小さく呟いた。
「……も、守るとか……そういう問題じゃなくて……これは……近すぎ……!」
ルシエルは、ふっと笑った。
けれど腕は、まだ緩めない。
「じゃあ、安全になるまでは……もう少し、このままで」
距離ゼロのまま、夜の崩れた城に二人の鼓動だけが響いていた。
夜が、明けるにはまだ幾ばくか。
森を抜ける風が鋭く、冷たく吹き抜ける。
満月の光を切り裂くように、ひとつの影が駆けていた。
闇に溶けるコートがふわりと舞い、、地を蹴る足音が木々の間で反響する。
枝葉の間をすり抜けるたび、光と影が彼の顔を交互に照らす。
その顔――薄茶の乱れ髪に、月光を返す金のピアス。
片目を細め、口元に愉快そうな歪みを浮かべる青年。
「ははっ……やっぱ、“王子サマ”は強ぇな。だけど――俺の目的は今回は“殺し”じゃねぇ」
グレイヴ・ナイトウォーカー。
闇に溶けるように、木々の間を滑り、指先には小さな黒布を握っていた。
月明かりが、それを照らす。
そこに包まれていたのは――
一束の、黒い髪。
絹のような艶を帯びたその髪が、月光を受けて淡く輝く。
彼は指先の黒髪をそっと持ち上げ、月の抜けた闇へ笑みを向けた。
「……黒の巫女、星の器、加護の核……どんな呼び名でも構わねぇ」
髪束が風に揺れるたび、彼の瞳は獣のように細くなる。
「旦那にゃ喜ばれそうだな。“黒の巫女”の素体……いや、“星の器”か。――どっちにしても、次はもっと深く、調べさせてもらうぜ」
コートがふわりと広がり、影が彼の足元へ吸い込まれるように流れた。
森はまた静寂を取り戻し、ただ彼の影だけが異様な速さで地を這う。
「また会おうぜ、光の王子サマ――そして、“黒髪の娘”」
月の代わりに星光が彼の輪郭を縁取る。
「次も、もっともっと深くやり合おうぜぇ」
黒髪を胸元に仕舞い込みながら、彼はゆっくりと、だが確信に満ちて呟いた。
「そして――次に勝つのは俺だ」
影が弾ける。
闇が森ごと飲み込み、彼の姿は完全に消えた。
残された草上で、ひとひらの黒髪がかすかに揺れ、その光は、迫り来る嵐の始まりを静かに告げていた。
その光は、迫り来る嵐の始まりを静かに告げていた。




