第127話 王国に残す未来と、旅立つ者たちの覚悟
王城の謁見の間に、重く、静かな空気が流れていた。
アーシェスは、膝をつき、すべてを語り終えた。
大神殿での戦い。
アゼル=ラグナの再誕。
柚葉とルシエルの決意。
そして――
「……母上、セレーネの魂は、神の器として生まれたセレナーデ・モルテフォールに受け継がれ、今は、ルシエルの内に息づいております」
その言葉に、謁見の間が静まり返る。
レオハート・レガリア・ヴァルハイト王は、玉座の上から静かに視線を落とし、しばし目を閉じた。
壮年にしてなお、若獅子のごとき鋭い眼光を宿す王。しかし今、その瞳には、深い哀惜と誇りが交錯していた。
「……よくぞ、やった。ルシエル……よくぞ、ここまで……」
その声は、かすかに震えていた。
王としてではなく、ひとりの父としての、深い想いが感じられた。
その隣に立つのは、静かに微笑む側妃――イリス・フォン・フロウラ。
虹の光が差し込む窓辺に立ち、彼女は王族にしては珍しく、自らの腕に幼子を抱いていた。
その小さな胸が、規則正しく上下し、安らかな寝息を立てている。
セラフィオ・レガリア・ヴァルハイト。
王とイリスの間に生まれた、第四王子。生まれたばかりの命でありながら、その小さな存在は、まるで王国に再び訪れた“光”を象徴するかのようだった。
イリスは、そっとセラフィオの額に口づけし、静かに目を閉じる。
「……セレーナ様。貴女の魂に、安らぎがありますように。そして、セレーナ様の願いが、この子たちの未来に繋がりますように」
その言葉に導かれるように、王城に集った者たちが、次々と頭を垂れる。
アーシェスも、リディアーヌも、ミレフィーオも、ガルディウスも、そして、柚葉とルシエルも。
誰もが、静かに祈った。
それは、ひとつの魂の旅路を見送り、新たな理のはじまりを迎えるための、深く、静かな黙祷だった。
謁見の間に、再び静寂が訪れる。
レオハート王は、玉座からゆっくりと立ち上がり、その鋭い眼差しを、まっすぐにルシエルと柚葉へと向ける。
「して……ルシエル、そして星雫の巫女、ユズハ・スターリィティアよ」
その声は、王としての威厳を湛えながらも、どこか、父としての温もりを含んでいた。
「そなたたちは、神とともに新天地に旅立つとのことだが――」
そこで、言葉がふと途切れる。
その沈黙には、言葉にできぬ想いが、確かにあった。
「……そこに旅立って、再びこの地に還ってこれるのか?」
ルシエルは、静かに目を伏せ、そして、まっすぐに顔を上げた。
「……おそらく、二度とこの地には還ってこれないかと」
その答えに、王の瞳がわずかに揺れる。
「そうか……そこに行くということは、今生の別れとなるということだな」
その言葉は、重く、静かに響いた。そこに怒りも悲しみもなかった。ただ、深い理解と、別れを受け入れる覚悟があった。
レオハートは、そっと玉座の傍らに目をやる。
そこには、眠るように抱かれた幼子――セラフィオ・レガリア・ヴァルハイトがいた。
「……ならば、せめてこの子が成長したとき、そなたたちの旅が紡いだ理が、この世界にも届いていることを願おう」
その言葉に、ルシエルは深く頭を下げた。
「はい。必ずや、理の光を――この世界にも、届けてみせます」
王と王子。
父と息子。
その間に交わされた言葉は、短く、静かでありながら、永遠の別れを前にした、確かな絆の証だった。
ルシエルの言葉が静かに空気に溶けたそのとき、重厚な足音が響いた。
「……おやじ」
ガルディウスが、堂々と前に出る。
その背には、戦場を駆け抜けた者だけが持つ風格と、どこか少年のような無邪気さが同居していた。
「俺も、そこに行くぜ」
レオハートが、わずかに眉を上げる。
「……ガルディウス。おまえも、か?」
「ああ。なんやらその始源の大地と称される大陸には、”神の失敗作”と呼ばれる、厄災クラスのボスが地を治めてるそうじゃないか」
一拍、間を置いて――ガルディウスは、にやりと笑った。
「いつぞやのダンジョンのように、とんでもない奴らをこの手で倒す。そんな、楽しそうなところ……俺が行かずに誰が行く」
その言葉に、謁見の間がざわめく。
しかし、レオハートは静かに問いかけた。
「……そこに行けば、二度とここに戻ってこれないのだぞ」
ガルディウスは、少しだけ視線を落とし、そして、まっすぐに父王を見返した。
「望むところだ。火種というか……この国にとっては、俺みたいな戦闘狂、必要ないだろう?」
その声には、どこか冗談めいた響きがあった。とはいえ、その奥にある本音を、レオハートは見逃さなかった。
ガルディウスは、ゆっくりとアーシェスを見やり、そして、イリスの腕に抱かれたセラフィオへと視線を移す。
「兄貴もいる。セラフィオもいる。この国は、もう安泰だ」
その言葉に、アーシェスがわずかに目を見開く。しかし、ガルディウスはそれ以上何も言わず、ただ、静かに微笑んだ。
それは、王位を争うことなく、自らの道を選んだ者の、潔くも優しい決意だった。
レオハートは、しばし黙してその姿を見つめ――やがて、深く頷いた。
「……行け。おまえの拳が、あの地で誰かの為になるのならば、それもまた、王族としての道だ」
「任せとけ! 俺の拳、まだまだ燃えてるぜ! どんな厄災だろうが、まとめてぶっ飛ばしてやる!」
ガルディウスの笑みは、まるで爆ぜる雷鳴のように眩しく、その拳には、世界をも砕く熱と勢いが宿っていた。
そしてそのまま、にやりとした笑みを浮かべた。
「……ああ、そうそう。おやじよ。ミレフィーオとヒジカタ、リリアも連れていくからな」
謁見の場にいた国の重鎮たちが一瞬、息を呑んだ。
まるで何気ない雑談のように告げられたその言葉は、しかし明らかに重みを持っていた。ガルディウスは頬を掻きながら、まるで天気の話でもするかのように続ける。
「神の失敗作を退治するには、やっぱアイツらと一緒じゃないと落ち着かねぇんだわ」
その言葉に、レオハートは思わず玉座から勢いよく立ち上がった。
「……ヒジカタとリリアはまあ、護衛として解るが……ミレフィーオは、大地母神の聖女だぞ?」
「まあ、こいつならではの考えもあってな」
ガルディウスが肩をすくめると、ミレフィーオが静かに一歩前へ出た。
「はい。大地母神様も、次代の聖女は順調に育っているとおっしゃっていました」
その声は澄んでいて、けれど並みならぬ決意を秘めていた。
「だから私は……アゼル=ラグナ様と共に生きなさい、と」
そして、ほんの少しだけ頬を染めながら、ガルディウスを見つめる。
「……ガルディウス兄様が行かれるのであれば、私も……一緒に生きたいと思います」
その言葉に、ガルディウスは一瞬だけ目を見開き、すぐに照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「……ったく、勝手に決めやがって。ま、いいけどな」
彼の声は、どこか優しく、そして誇らしげだった。




