第126話 赦しの光が降る時、旅立ちは静かに始まる
大神殿の地下に、新たな理の胎動が、静かに響き始めていた。
その光は、やがてふたりのもとへと降り注ぐ。
柚葉とルシエル。
静かに横たわっていた彼女たちの胸が、ふいに上下する。
「……っ、ユズハ様……!」
「ルシエル……!」
仲間たちの声が重なる中、ふたりのまぶたが、ゆっくりと開いた。
その瞳には、深く澄んだ光が宿っていた。まるで、遥かな旅路を経て戻ってきた魂のように。
そしてその瞬間――
アゼル=ラグナの背に、六枚の光翼がふわりと広がった。
その後光は、まるで天から降る祝福のように、この場にいるすべての者を包み込んでいく。
傷ついていた者たちの身体が、静かに、しかし確かに癒えていく。
アーシェスの蒼白だった頬に、血の気が戻り、リディアーヌの震えていた指が、力を取り戻す。リリアの呼吸が穏やかになり、その瞳に、再び光が宿る。
誰もが、言葉を失っていた。
その中心に立つアゼル=ラグナは、ただ静かに、すべてを見守っていた。
やがて、リディアーヌが一歩、前へと進み出る。
その動きは、まるで風のない雪原に舞い降りる一片の純白の羽のように、静かで、けれど確かな重みを持っていた。
白に近い銀糸の髪が、後光に照らされて淡く輝き、雪のように純白な祭服が、空気の揺らぎすら拒むように揺れる。
その姿は、まさに“白月の巫女”の名にふさわしい、神聖と静謐の化身だった。
年若く見えるその顔に、しかし人の寿命を超えた深い静けさが宿る。アイスブルーの瞳は、まるで氷の湖底に差し込む月光のように澄み、その唇には、一切のけがれも、迷いもなかった。
彼女は、ゆっくりと膝を折り、聖女の正式な礼をとる。
その所作には、神に仕える者としての誇りと、ひとりの人間としての、深い敬意が込められていた。
「……彼ものアゼル=ラグナよ。かつて天に在りし御方。その罪と苦悩、そして贖いの道を、大神セラフィードはすべて見届けられました」
その声は、氷の鈴のように澄み渡り、大神殿の地下に、静かに響き渡った。
「神託は、ここに下されました。――赦す。そなたは、再び歩むがよい。新たな理を携え、模型神モデリウスと共に、人々と共に生き、共に築け。新天地にて、そなたの光を示すがよい――と」
その言葉に、アゼル=ラグナは目を閉じ、そして、深く、静かに頭を垂れる。
それは、神でありながら、はじまりを受け入れる者の姿だった。
光は、なおも降り注いでいた。それは、終わりではなく、新たな旅立ちの、祝福の光だった。
静寂の中、柚葉とルシエルがゆっくりと立ち上がる。ふたりの瞳には、遥かな旅路の記憶と、モデリウスから託された神託の光が宿っていた。
柚葉が、そっと口を開く。
「……あたしたちが巡った旅の果てに、模型神様から託されたの。新たな理を紡ぐには、この世界の外にある“始源の大地”へ向かわなきゃいけないって」
ルシエルもまた、静かに頷く。
「それは、すべてを一からやり直すということ。この世界の理に縛られず、新しい未来を築くための、最初の一歩」
その言葉に、場が静まり返る。
「……あたしたちは、そこへ行くわ。この世界を離れて、新たな理を紡ぐために」
「……えっ……」
ニャルディアが、ぽかんと口を開けた。
「ユズハ様も……ルシエル様も……いなくなっちゃうのにゃ……?」
柚葉は、少し寂しげに笑って、ニャルディアの頭をそっと撫でた。
「……あたしも、ニャルと別れるのは寂しいよ。でも、これは……あたしたちにしかできないことだから」
その言葉に、ニャルディアはぐっと唇を噛み――
「じゃあ! うち、付いていくにゃ! ユズハ様が行くなら、うちも行くにゃ!」
「えっ……ニャル……!」
驚く柚葉の隣で、ブレンナが豪快に笑った。
「オレももちろん付いていくぜェ! なんか楽しそうじゃねぇか、その新天地ってやつ!」
「うん……私も、行ってみたいです」
ミレフィーオがそっと呟き、その隣でガルディウスも、無言で力強く頷いた。
だが、その様子を見ていたアーシェスが、困惑気味に眉をひそめる。
「おまえたち……王族だぞ? それに、大地母神の聖女が……」
アーシェスが困惑気味に眉をひそめる中、リディアーヌは静かに微笑む。
そのやり取りを見守っていたヒジカタが、すっと一歩前に出る。
「……拙者、侍ヒジカタ・ソウシ。この命、聖女殿とルシエル殿のために在る。新天地とて、護衛として当然ついていくでござる」
その言葉に、柚葉が目を丸くする間もなく、リリアが勢いよく手を挙げた。
「新天地とかって、夢しかないじゃん! 未知の魔力、未踏の理、未知の魔物に魔石! 絶対ついてく!」
その姿は、ふわふわの黒レースとリボンを揺らしながらも、瞳の奥には鋭い知性が光っていた。
「それに……そんな神が実在するっていう驚愕の世界なら、王立魔導研究院・第七分室のメンバーも、きっと行きたがると思うなぁ。私、ちゃんと報告しておくから!」
「……お主は、報告より先に荷造りを始めそうでござるな」
「えっ、バレた?」
ヒジカタとリリアのやり取りに、その場の空気がふっと和らぐ。
リディアーヌは、静かに微笑んだ。
「だからこそ、まずは王に報告しなければなりません。この世界と新たな世界の未来を、どう繋ぐか――それを決めるのは、私たちの責務です」
アーシェスはしばし沈黙し、やがて小さく息を吐いた。
「……まったく、お前たちは……だが、まずは王城へ戻ろう。父上……レオハート陛下に、すべてを報告しなければならない」
こうして、戦いの終わった大神殿地下を後にし、彼らは再び歩き出した。
それぞれの想いを胸に――新たな理の旅路へと続く、そのはじまりの一歩を踏み出して。




