第125話 世界を守るために散った賢者と、始まりへ至る理
魔力の奔流が、大神殿の地下を飲み込んでいた。
オーヴェルスとカディス。
ふたりの賢者が放つ魔導は、もはや術の域を超え、空間そのものを塗り替える現象と化していた。
《原理逆奏》が放つ逆理の波動が、《封印されし法典詠唱終式》の再定義を打ち消し、そのたびに、空間が裂け、時間が歪み、現実が何度も書き換えられては否定される。
その中心で、ふたりの魔導が激突するたび、大神殿の床が砕け、天井が崩れ、魔力の嵐がすべてを呑み込もうとしていた。
「くっ……!」
ブレンナが、吹き飛ばされそうになるニャルディアの腕を掴み、柚葉とルシエルの身体を覆うように立ちはだかる。
「絶対に……通させない!」
ブレンナのハンマーが、飛来する魔力の破片を叩き落とす。
その横では、ヴァルガが魔剣を盾のように構え、柚葉たちの身体を守っていた。
「ミレフィーオ、あんまり無理するなよ」
ガルディウスが、崩れ落ちる天井の瓦礫を魔剣で弾き飛ばし、ミレフィーオの身体背後にかばって、その場を一歩も動かずに踏みとどまっていた。
「アーシェス、リディアーヌ、リリア……下がって!」
アウロアの声が響く。
彼女の矢が、魔力の渦の隙間をぬって飛び、崩れかけた結界を補強する。
「ここは、俺たちが持ちこたえる!」
ドルガンの盾が、砕けた魔力の波を受け止め、その隣で、ヒジカタが無言のまま刀を構え、一歩も引かずに立ち続けていた。
しかし――
「……っ!」
オーヴェルスの身体が、魔力の奔流に吹き飛ばされた。
そして、カディスの詠唱が完成していた。
《封印されし法典詠唱・滅式》
それは、再定義の果てにある消去――存在そのものを記録から削除する、終末の魔導。
直撃を受けたオーヴェルスの身体は、その一部が光の粒となって崩れ始めていた。
「……まだ……だ……!」
血を吐きながら、オーヴェルスは立ち上がる。その瞳には、なおも消えぬ意志の炎が宿っていた。
「わしは……この世界の過程を……守ると決めたのだ……!」
彼の手が、最後の詠唱を紡ぐ。
魔法陣が、逆理の極点へと収束し、その中心から放たれた光をまとった一閃が――
ついにカディスの胸を、貫いた。
「……なに……っ」
カディスの身体が、よろめき、法典が、手から滑り落ちて七色の魔力が霧散していく。
「これが……否定か……」
オーヴェルスは、崩れ落ちながらも、その口元に、わずかな笑みを浮かべていた。
「……あとは……託したぞ……若き者たちよ……」
そして、光が、静かに揺らいだ――崩れ落ちたオーヴェルスの身体が、光の粒となって消えかけていく。
そのときだった。
カディスが、ふらりと膝をついた。
胸を貫かれた傷口から、鮮やかな血がこぼれ出す。なのに彼は、その血を指先にすくい取り、床に、ゆっくりと魔法陣を描き始めた。
「……カディス……お前は……」
オーヴェルスが、なかば消えかけながら、かすれた声で呟く。
カディスは、口元から血を流しながらも、その顔に、初めて本当の笑みを浮かべた。
「……はなむけだ。再生と再誕の真理を、その身に味わえる奇蹟を」
魔法陣が、静かに輝きを放つ。
それは、破壊でも、観測でもない――転移と再構築のための、極めて精密な術式だった。
「お前の魂を、“はじまりの地”へと送る。星の聖女と光の王子が描く、新たな理の胎動へ――」
オーヴェルスの身体が、光に包まれていく。その瞳に、わずかな驚きと、深い理解が宿る。
「……お前は……こうなることが……」
「私は、ただ記録したかっただけだ。この世界の終わりと、始まりを。そして――お前という知の行く末を」
カディスの身体が崩れ始める。しかし、その瞳は最後まで、静かに燃えていた。
「……次の生では、理を極めろ、大賢者よ」
その言葉とともに、オーヴェルスの魂は、光の粒となって舞い上がった。
しかし、それは天へ昇ることなく――
まるで、引き寄せられるように、邪神の躯へと吸い込まれていった。
かつて天に在りし存在――いまのその姿はあまりにも無惨だった。
背にあったはずの六枚の翼は、焼けただれ、黒く炭化した痕跡だけを残していた。まるで、天から墜とされた瞬間の罰が、今なお刻まれているかのように。
そして、その目――本来ならば神々しい光を宿していたはずの双眸は、糸状の封印具で幾重にも縫い止められていた。まるで、見ることすら許されぬ存在として、世界から隔絶されたかのように。
その胸の奥、深く沈んだ場所に――ひとつの光が、静かに灯った。
それは、最初はかすかな燐光だった。
そして次の瞬間、その小さな光は、直視できないほどの輝きへと変わり、静まりかえった大神殿の地下に、まるで夜明けのような光を広げていった。
誰もが、息を呑んだ。
その光の中心に、ひとつの気配が立ち上がる。
「……おじいさま……?」
ミレフィーオが、ぽつりと呟いた。その声は、祈りのように震えていた。
けれども、次の瞬間――その呟きは、驚きへと変わる。
彼女の瞳が、光の中にその姿を見たとき、自然と膝を折り、首を垂れていた。
それは、聖女としての本能。神性に触れた者だけが知る、絶対の礼節。
「……ようこそ、お還りなさいませ」
その言葉とともに、光が静かに収束していく。
そこに立っていたのは――もはや邪神の躯など、どこにもなかった。
焼けただれた翼は、今や純白の六枚の光翼として広がり、封じられていた双眸は、澄んだ金の光を湛えて、静かに開かれていた。
その姿は、かつて天に在りし日のまま。
叡智と調和を司る、大天使アゼル=ラグナ――否、今はただ、再誕せし光の導き手として、そこに在った。
大神殿の地下に、新たな理の胎動が、静かに響き始めていた。




