第122話 神と呼ばれた災厄、その正体が現れる時、英雄たちは覚悟する
黒き繭は、邪神の亡骸に完全に取り込まれていた。
その胸元で、脈動するように黒い光が明滅し、ルーグの断末魔とともに、闇の補完が完了しつつあった。
「……まだ、終わっていない……」
ルシエルが、息を呑んで呟いた。
繭の残滓が消えた場所、そこに禍々しい瘴気が立ち上り、邪神の亡骸が、ゆっくりと指を動かし始める。
その動きは、まるで産声のように、世界そのものを軋ませるほどの重圧を放っていた。
大地母神の聖女ミレフィーオは、静かにその場に立ち尽くし、ガルディウスもまた、魔剣を手にしたまま祭壇を見上げていた。
「……あれが……神の復活……」
柚葉が、震える声で呟く。
そのとき、祭壇の前に、ひとりの老賢者が現れた。
大賢者――オーヴェルス。
その背後には、六花の重盾戦士ドルガン、ハイエルフの弓魔アウロアが満身に疲労を抱えながら、鋭くカディスとその背後の祭壇を睨みつけていた。
柚葉の前にはルシエルとヴァルガ、ニャルディアとブレンナが集結する。
「……後は、そなた一人だ。カディス、大人しく聖機を元に戻せ」
その声は、静かだが、長き時を生きた者の威厳と決意に満ちていた。
だのに、カディスは微動だにせず、ただ、邪神の脈動を背に受けながら、法典を静かに閉じた。
「……いや、まだ観測は終わっていない。神は未完成。だが、君たちが揃った今――最終段階に入るには、十分だ」
その目は、冷たく、まるで実験の成否を見届ける研究者のそれだった。
「君たちの光が、どこまで抗えるか……この目で確かめさせてもらおう」
その瞬間、邪神の亡骸が、低く、重く、呻くような音を発した。
見上げるほど高い天井付近が、再び黒く染まり始める。
戦いは、まだ終わっていない。むしろ、ここからが、本番だった。
祭壇の前に立つカディスの背後で、邪神の亡骸が、ゆっくりとその体を起こし始める。
黒き繭を取り込み、ルーグを闇の補完として吸収したその肉体は、今まさに、神としての目覚めを迎えようとしていた。
「……鼓動が、増している……!」
アウロアが、弓を構えながら呟く。
その額には汗がにじみ、満身に疲労を抱えながらも、その瞳は鋭く、決して揺らがなかった。
「来るぞ……!」
ドルガンが、六花の重盾を地に突き立てる。その一撃で、床が軋み、震えた。
柚葉の前には、ルシエルとヴァルガが並び立ち、その背を守るように、ニャルディアとブレンナが静かに構える。
「……絶対に、ユズハ様には指一本触れさせないにゃ」
ニャルディアの声は静かだったが、その手に握られた双剣は、すでに戦の熱を帯びていた。
アーシェス、リディアーヌ、リリア――まだ本調子とは言えぬ三人の前には、ヒジカタが絶対的な守護神のごとく、不動の構えで立ちはだかっていた。
「……この場、拙者が通さぬ」
その声は低く、だが確かにこの場すべてに響いた。まるで、戦場に一本の揺らぎのない線が引かれたかのように。
その言葉に、誰もが背筋を伸ばす。
ドルガンは盾を握る手に力を込め、アウロアは弓の弦に指をかけたまま、静かに息を整える。
ルシエルとヴァルガは、互いに視線を交わし、何ものも後ろに通さず、必ず守ると改めて胸に刻む。
ニャルディアとブレンナは、無言のまま一歩前へ。その瞳には、揺るぎなき意志の光が宿っていた。
ガルディウスは、本来の力を取り戻せていないミレフィーオをその背に庇いながら、魔剣を構え、カディスと邪神を睨み据える。その姿は、まさに盾と剣を兼ね備えた戦鬼のそれだった。
神獣アンバリーフは、静かに地を踏みしめ、その小さな体から放たれる巨大な神気が、空気を震わせる。聖獣イルヴァは、ミレフィーオの足元に寄り添いながらも、その瞳に宿る光は、まるですべてを見通すように鋭かった。
そして、まだ本調子ではない三人の中にも、確かに戦う決意が、静かに燃え上がっていた。
ヒジカタの言葉は、ただの宣言ではなかった。それは、全員の心に火を灯す決意だった。
いま、この場に立つ者すべてが、己の命を賭してでも守るべきものを思い出していた。
そして――
「……始めようか。最終観測を」
カディスが、静かに法典を開いた。
その瞬間、邪神の亡骸が、低く、重く、呻くような音を発する。
空が再び黒く染まり、地が軋み、空間が歪む。
「来るぞ――構えろ!!」
オーヴェルスの号令とともに、戦士たちが一斉に動き出す。
その先に待つのは、神と呼ばれし“災厄”と、それを導く灰の賢者――カディス。
戦いの幕が、いま、静かに上がった。
その瞬間、祭壇の奥――黒き繭を胸に沈めた神の亡骸の中心から、重く、鈍い音が響いた。
「……目覚めたか」
オーヴェルスが、わずかに目を細める。
亡骸の中心に線が走り、ぬるりとした”もの”が、現れる。それは人と同じ形を保ちながらも、もはや神性と穢れが融合した異形の存在だった。
「やはり……聖機アストラル・コードとは、堕天した“大天使”のものだったか……」
その声には、驚きではなく、確信があった。
かつて天に在りし存在――だが今、その姿はあまりにも無惨だった。
背にあったはずの六枚の翼は、焼けただれ、黒く炭化した痕跡だけを残していた。まるで、天から墜とされた瞬間の罰が、今なお刻まれているかのように。
そして、その目――本来ならば神々しい光を宿していたはずの双眸は、糸状の封印具で幾重にも縫い止められていた。
まるで、見ることすら許されぬ存在として、世界から隔絶されたかのように。
「……っ」
柚葉が、胸を押さえて膝をつく。鋭い痛みが、心臓をえぐるように走った。
「ユズハ!?」
ルシエルがすぐに駆け寄り、彼女の肩を支える。
その瞬間――ふたりの脳裏に、同じ映像がよぎった。




