第121話 神骸再起動、光は戻り、闇は欠け裁かれる狂気
黒き繭が、祭壇の中心で脈動を強めていた。
それは心臓そのものの、ドクン、ドクンと不気味な鼓動を響かせながら、そのまま邪神の亡骸の胸元へと、ゆっくりと沈み込んでいく。
「やめて……やめてぇっ!!」
柚葉の叫びが、空に響いた。
ミレフィーオが彼女にすがりながら抱きとめ、ニャルディアとブレンナが必死に周囲を警戒する。
「ルシエル……!」
「ヴァルガ……!」
アーシェスとガルディウスの声も、その名を呼ぶが、繭からの応えはない。
ただ、静かに、確実に、邪神の胸へと融合しようとしていた。
そのときだった。
――ズン、と。空間が震えた。
「……な、に……?」
祭壇の上、黒き繭の中心から、突如として光があふれ出した。
それは、黒の中に差し込む、まばゆいほどの神々しい輝き。
「光……!?」
柚葉が目を見開く。
その時、繭の表面に、ひびが走った。
そのひとつひとつが、まるで星のように煌めき、やがて――
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
ヴァルガの咆哮が、繭の中心から響き渡った。
次の瞬間、繭が爆ぜるように破れ、まばゆい光の奔流とともに、ルシエルとヴァルガの姿が飛び出してきた。
「ルシエル!!」
「叔父貴!!」
柚葉とガルディウスが、同時に叫ぶ。
ルシエルの背には、淡く光の翼が広がり、ヴァルガの瞳には、確かな意志の光が宿っていた。
「……間に合った……!」
ルシエルが、静かに呟く。
その姿は、まるで闇を裂いて現れた希望そのものだった。
ルシエルとヴァルガを放り出した黒い繭は、その表面に深い亀裂を刻みながら、まるで苦悶するかのように脈動していた。
ひときわ大きな震えとともに、繭の一部が崩れ落ち、黒い霧が噴き出す。
「……まだ、終わってない……」
柚葉が、震える声で呟いた。
繭は、なおも不気味にうごめいていた。
そして、そのまま、邪神の亡骸の胸元へと沈み込み――ついに、完全に融合した。
その瞬間、世界が静まり返る。
風も止み、音も消え、まるで時が凍りついたかのような、異様な静寂が訪れる。
「……っ……!」
誰からともなく、息を呑む音が漏れる。
空気が、変わった。重い。とてつもなく、圧し潰されそうなほどに。
空間そのものが軋み、大地が、空が、世界が、何かを産もうとしているかのような、不気味な胎動が広がっていく。
「なに?……これは……そんな……来る……」
ミレフィーオが、震える声で呟いた。
そのとき――
「ははっ……はははははっ! あはははははははははははっ!!」
狂気に満ちた笑い声が、祭壇の上から響き渡った。
ルーグだった。
片腕を失ったその身体で、なおも背筋を伸ばし、その顔に、歓喜の笑みを浮かべていた。
「見よ……見よ……! ついに……ついに神は目覚めるのだ……!」
彼の瞳は、黒く濁り、その奥で、何かが不気味にうごめいていた。
「光の王子が戻ろうが、ヴァルガが正気になろうが……関係ない! どのみち、神が復活すれば――」
ルーグは、片方の腕を広げ、空に向かって叫んだ。
「ここにいる全員が飲み込まれる! 王国ごとな!!」
その言葉と同時に、祭壇の中心――邪神の亡骸が、ゆっくりと、だが確実に動き始めた。
その胸元には、黒き繭が完全に溶け込み、まるで心臓のように、脈動していた。
「ははっ……はははははっ! あはははははははははははっ!!」
ルーグの狂笑が、空に響き渡る。
しかし――その笑い声が、不意に途切れた。
「……なぜだ。なぜ……復活しない……?」
彼の顔から、徐々に笑みが消えていく。
邪神の亡骸は、確かに動き出したはずだった。なのに、今は再び沈黙し、黒き繭の鼓動も、先ほどよりも弱まっていた。
「なぜ……なぜだ……!」
そのとき、静かに歩み出る者がいた。
鉛色のコートをまとい、手には物々しい法典を抱えた、灰色の賢者カディス。
「おそらく、光の容量は足りている。にもかかわらず、闇の容量が……足りていない」
その声は、まるで講義で語るように淡々としていた。
「……なに?」
ルーグが、ぎょろりと目を向けるが、カディスは、構わず続けた。
「神の器とは、光と闇の均衡によって成立する。大聖女リディアーヌの生命力を吸い取り、アーシェスの王家の血を吸った《アバドン・スパイク》は光の神器と成った、そしてルシエルが“光”として繭に取り込まれ、ヴァルガと夜葬の巫女が“闇”として補完していた……だが、夜葬の巫女は光に還り、ヴァルガが抜けた。それも、完全に闇から解放された状態で、だ」
カディスは、法典を開き、あるページに指を滑らせながら、まるで実験結果を読み上げるように告げた。
「……これは、夜葬の巫女の力か。死と再生の循環を断ち切る、特異な干渉……ふむ、実に興味深い。研究しがいがある」
法典を開き、あるページに指を滑らせ、まるで、実験結果を読み上げるように告げた。
「されど、問題はない」
その目が、ルーグを捉える。まるで、実験台に乗せられた標本を観察するかのような、冷たく無機質な視線。
「今ここに、君がいる」
「……なにを言っている……?」
ルーグが一歩後ずさる。
カディスは、静かに詠唱を始めた。
「《法典詠唱――コーデクス・アーキタイプ》」
その言葉とともに、書物のページが風にめくられ、空間に幾何学的な光の紋章が浮かび上がる。
「君の存在は、闇の代替因子として十分だ。ならば、君を闇として繭の座標に再配置する。理論上、可能だと仮定していたが……これは実験の好機だな」
「やめろ……やめ――」
ルーグの叫びが終わるより早く、彼の身体が黒い光に包まれ、その姿が、繭の消えた祭壇の中心へと強制的に転移させられた。
「ぐあああああああああああああっ!!」
その場に残されたのは、カディスの冷静な声だけだった。
「さて……これで、どうなるか」
ページを閉じながら、ふと口元に微かな笑みを浮かべた。
「お前が信じ、崇拝してきた神の糧になれたのだ……本望だろう?」
その声に、哀れみも怒りもなかった。ただ、観察者としての興味と、一片の皮肉だけが、そこにはあった。
彼の瞳は、ただ観察者のそれとして、再び脈動を始めた祭壇を見つめる。




