第119話 神は眠り、世界は喰われる、祭壇に集う虚邪の群れ
柚葉の顔が、ぱっと明るくなる。
「みんな……来てくれたんだ……!」
涙がこぼれそうになるのをこらえながら、柚葉はふらつきながらも立ち上がった。
その背には、再び蒼星の蝶が舞い始めていた。
星の粒を宿した蒼い羽が、空にふわりと広がっていく。
「……お願い、力を貸して」
柚葉はそっと手を差し出し、蝶たちを導くように、アーシェスとリディアーヌのもとへと歩み寄る。
仲間たちは、彼女の進む道を守るように立ちふさがり、迫りくる虚邪の下僕たちを次々と打ち払っていた。
「お嬢、下がってろォ! ここはオレたちが通さねェ!」
ブレンナが豪快に叫び、肩に担いだ長大なハンマーを振り抜く。
地を揺るがすような一撃が、虚邪の兵をまとめて吹き飛ばした。
「オレの鍛えた腕、なめんなよッ!」
そのオレンジの髪が戦場に映え、彼女の一撃ごとに、地面が軋む。
「にゃっはー! ブレンナ、そっち任せたにゃ!」
ニャルディアが軽やかに跳ね、双剣をくるくると回しながら、敵の間を縫うように駆ける。
「こっちはうちが遊んであげるにゃ~!」
彼女の剣が閃くたび、虚邪の兵の動きが止まり、そのまま地に崩れ落ちていく。
「にゃにゃっ、そっちから来るとは思わなかったにゃ!」
敵の奇襲にも、ひらりと宙を舞って回避し、背後から一閃――まるで踊るような戦いぶり。
「ニャル、三体いったぞ!」
「了解にゃ! そっちは任せるにゃ!」
二人の連携は、まるで鍛え抜かれた武器のように鋭く、柚葉の進む道を、確かに切り拓いていく。
その背後で、柚葉は静かに進み、瀕死のアーシェスとリディアーヌのもとへと辿り着く――
「今のうちに……ニャル、ブレンナありがとうね!」
柚葉は、まずリディアーヌのもとに膝をつく。
彼女の顔は青ざめ、呼吸もかすかだったが、まだ、命の灯は消えていなかった。
「リディアーヌさん……!」
柚葉の掌から、蒼い光があふれ出す。
蝶たちがふわりと舞い降り、リディアーヌの身体を包むように羽ばたく。
やがて、彼女の胸がかすかに上下し、その顔に、ほんのわずかな血色が戻ってきた。
「……よかった……!」
柚葉は安堵の息をつき、すぐに隣のアーシェスへと向き直る。
彼の呼吸も浅く、意識は朦朧としていたが、柚葉の気配に気づいたのか、かすかに目を開けた。
「……聖……女……」
「アーシェスさん……」
柚葉は、彼の手をそっと握る。
蝶たちが再び舞い、彼の傷口に光を注ぎ始めた。
「お願い……しっかり治してリディアーヌさんを、絶対に守ってね!」
その言葉に、アーシェスの瞳がわずかに揺れる。
「……ああ……この命にかえても……」
「だめっ!」
柚葉が、きゅっと眉を寄せて言い返す。
「アーシェスさんの命も、大切なものなんだよ、だから……二人で、生き残って」
一瞬、アーシェスは目を見開き――そして、かすかに笑った。
「……承知した。必ず、生きて……守る」
その言葉に、柚葉もまた、笑みを返す。
蒼星の蝶たちが、二人のまわりをやさしく舞いながら、戦場の片隅に、ほんのひとときの光を灯していた。
柚葉は、戦場の奥に広がる闇を見つめていた。
その中心――黒く脈打つ、禍々しい気配。
「……あそこに……ルシエルが……閉じ込められてる……」
震える声で、柚葉が呟く。胸の奥が、引き裂かれるように痛んだ。
「でも……どうしたら……」
そのときだった。
地鳴りが響き、空気が震え、地面が軋む。
「な、なに……!?」
柚葉が振り返ると、戦場の中心――虚邪の瘴気が渦巻くその場所で、巨大な構造物が、ゆっくりと姿を現し始めていた。
それは、まるで神殿のような荘厳さを持つ、四方に開く“聖機”――アストラル・コード。
白銀と黒曜の装飾が施された外殻が、音もなく展開していく。
中央部がせり上がり、そこには、まるで儀式のために用意されたような、荘厳な“祭壇”が姿を現した。
「……っ!」
そこに集う全員が息を呑む。
その瞬間――
「くはっ……はははははっ!!」
狂った笑い声が、空気を裂いた。
片腕を失ったルーグが、血の気のない顔で、なおも笑っていた。
「見よ……見よ……! 道は開かれた……!」
彼が指差す先――祭壇の上には、巨大な“何か”が横たわっていた。
それは、まるで巨人の亡骸。
人の形をしていながら、どこか歪で、神々しさと恐怖を同時に感じさせる存在。
そして、その亡骸へと、黒い繭――ルシエルとセレナーデを包み込み、アバドン・スパイクの楔が打ち込まれた心臓が、ゆっくりと、吸い寄せられるように近づいていく。
「やめて……!」
柚葉が叫ぶ。
だが、繭は止まらない。
まるで、運命に導かれるように――その“神の亡骸”と、ひとつになろうとしていた。
「集え……!」
ルーグの声が、祭壇の上から響き渡る。
その声は、もはや人のものではなかった。空気が震え、地が軋み、空が軋む。
「我らが神の贄となり、糧となれ!!」
その瞬間――
戦場に散らばっていた虚邪の教団員たちが、まるで糸を引かれるように、一斉に動き出した。
「……っ!? な、なんだ……!」
剣を構えていた者も、矢を番えていた者も、呻きながら倒れていた者さえも――
全ての虚邪の者たちが、その動きを止め、祭壇へと向かって歩き出した。
立っていた者はふらふらと足を引きずり、まるで魂の抜けた人形のように、よろめきながらも確実に前へ進む。
そして、地に伏していた者たちも――血にまみれ、手足の折れた者でさえ、呻きながら、這うようにして祭壇へと向かっていく。
その姿は、まさに生きる屍。
命ではなく、何か別の“意志”に突き動かされているかのようだった。
「ふざけ……んなよぉぉぉ!!」
ガルディウスの怒声が響く。
彼の前で、激しく斬り結んでいたヴァルガの手から、カランと音がして魔剣が床に転がる。
「……ヴァルガ……叔父貴?」
その瞳から光が消え、まるで糸の切れた人形のように、ゆっくりと、祭壇へと歩き出す。
「……戦いの最中だってのによぉ、てめぇなら、抗えるはずだろうがッ!!」
ガルディウスの叫びも届かない。
ヴァルガの足取りは、まるで夢遊病者のように、だが確実に、祭壇へと向かっていた。
そして――
祭壇の周囲に集った虚邪たちは、まるで霧が吸い込まれるように、その“神の亡骸”へと、次々に取り込まれていく。
肉体が、魂が、呪いが、すべて“糧”として、祭壇に横たわる”なにか”に飲み込まれていく。
「やめて……やめてぇっ!!」
柚葉の叫びが、空に響いた。
だが、止まらない。それは、神の目覚めを告げる、“終わりの鐘”のように、静かに、確実に動き続けていた。




