第112話 星降る祈りが洗脳をほどき、救いの果てに訪れる、束の間の静寂
そして今――その祈りが、子どもたちの心に届こうとしていた。
「……ぁ……?」
黒い瘴気に覆われていた子どもたちの瞳に、かすかな光が戻る。
それは、恐怖でも混乱でもない――“自分”を取り戻した者だけが持つ、確かな意志の光。
「お姉ちゃん……?」
「大丈夫。もう、大丈夫だよ」
柚葉は、微笑んだ。その笑みは、星のように優しく、夜の闇を照らす灯火のようだった。
次の瞬間――
同じ光が、シスターたちの身体にも届く。虚ろだった瞳に、迷いと涙が浮かぶ。
「……わ、たし……? 聖……女さま……?」
「……あ……あぁ……私、何を……!」
膝から崩れ落ち、震える手で顔を覆う。
その手は、罪を悔いるものではなく、“目覚めた心”を受け止めきれない者の震えだった。
「子どもたちを……私が……!」
「違う」
柚葉は、そっと首を振った。その声は、責めるものではなく、ただ真実だけを伝える“導き”だった。
「あなたは、守ろうとしてた。その想いを……利用されただけ」
光が、静かに、しかし確かに洗脳をほどいていく。
アンバーリーフの思念が、やさしく重なる。
――戻った。すべて、取り戻した。
そして――
核を失った虚邪の巨人が、呻くような音を立てながら、崩壊を始めた。
瘴気が逆流し、構造が崩れ、その巨体が、ゆっくりと瓦解していく。
「――離脱!!」
ルシエルが翼を広げ、光の道を描く。
その声に応えるように、リリアが前へと飛び出した。
「了解っ☆ じゃあ、いっくよ~!」
彼女の指先が、空に向かって弧を描く。その軌跡に沿って、魔法陣が幾重にも展開されていく。
「星よ、リボンよ、世界の構造よ――この子たちを、ふわっと、やさしく包んであげてっ!」
その詠唱は、まるで歌のように軽やかで、けれど確かに“奇跡”を呼ぶ力を持っていた。
「《転送式・多重保護結界》――コードネーム《マギア・リリア》、全員、ふわっと安全圏へご招待~っ☆」
魔法陣が輝き、子どもたちとシスター、そして仲間たちを包み込む。
その光は、まるで星屑のシャワーのように降り注ぎ、戦場の瘴気を優しく押し返していく。
そして次の瞬間――全員の姿が、光の粒となって、崩壊する虚邪の巨人の中心から、一斉に転送された。
それは、戦いの終わりではない。だが、確かに“救い”の瞬間だった。
ドォォォン……!!
瘴気が悲鳴のような音を立てて弾け、虚邪の巨人の巨体が、光の奔流に呑まれていく。
その身を構成していた黒泥と呪肉は、まるで存在そのものを否定されるように、一片の影も残さず、霧散した。
空間を満たしていた瘴気も、星降る聖女の祈りと、仲間たちの力に浄化され、風に溶けるように消えていく。
そこに残ったのは――慈光院と、生きている人々だけだった。
その衝撃が、慈光院の庭に最後の波紋を残した。
そして――
残されたのは、静まり返った境内と、確かに“生きている”人々の姿だった。
一瞬の静寂。
それは、戦いの終わりを告げる鐘のように、全員の胸に深く染み渡る。
「……う、うわぁぁん……!」
子どもたちの泣き声が、ぽつりぽつりと上がり始めるが、それは恐怖の涙ではなかった。
助かったという実感が、心の奥からあふれ出した、喜びと安堵の涙だった。
柚葉は、そっと息を吐いた。その肩が、ようやく力を抜いたように沈む。
全身の緊張が解け、膝からふわりと力が抜けていく。
「……よかった……」
その声は、かすれていた。けれど、確かな“祝福の果て”の響きを宿し、想いが届いたという実感が、彼女の心を満たしていた。
だが――
その安堵と引き換えに、柚葉の身体は、限界を迎えていた。
視界が揺れる。
足元がふらつき、意識が遠のきかけたその瞬間――
「ユズハ!」
ルシエルが、すぐに彼女の身体を抱きとめた。
その腕は、まるで光の羽のようにやさしく、けれど確かに、彼女を支えていた。
「……ごめん、ちょっと……力、使いすぎた、かも……」
柚葉が、かすかな笑みを浮かべながら呟く。その声には、疲労と達成感、そして少しの照れが混じっていた。
ルシエルは、そっと彼女の額に手を当て、その温もりを確かめるように目を細めた。
「無理をしすぎたね。でも……君の想いが、この世界を守った。本当に……ありがとう、ユズハ」
その言葉は、風のようにやさしく、柚葉の心の奥深くに染み渡っていく。
彼女は、ルシエルの胸元にそっと額を預け、静かに目を閉じた。
その姿は、まるで夜明け前の星のように、儚くも美しく、そして確かな光を宿していた。
彼は微笑んだ。それはただの安堵ではない。
柚葉の想いと覚悟、そして限界を超えてなお“誰かを救おうとした”その姿に、心からの敬意と誇りを込めた、静かな微笑みだった。
「君の祝福が――この世界を守った。本当に……ありがとう、ユズハ」
その声は、風のようにやさしく、けれど確かに、彼女の心の奥に届いた。
柚葉は、少しだけ目を伏せて、そして、そっと微かな笑み返した。
戦いは、終わった。そう、誰もが思った。
だがその遥か遠く――誰の目にも映らぬ、深い闇の底で。
虚邪の教祖、ルーグは、静かに“失敗”を噛み締めていた。
『……ふふ、惜しかった。だが、これもまた“シナリオ”の一部……』
その思念は、かすかな残響となって、慈光院に残る神性の波に触れ、一瞬だけ、柚葉たちの意識に届いた。
『次は、もっと深く。もっと静かに。もっと残酷に――』
その声は、まるで遠雷のように微かで、けれど確かに“悔しさ”と“焦り”をにじませていた。
「……今の、誰……?」
リリアが、眉をひそめて空を見上げる。
その瞳は、ただの好奇心ではなく、どこか本能的な警戒と違和感を帯びていた。
「思念の残響……。でも、あれは――」
魔法少女の装いが、光のリボンと共にふわりとほどけ、リリアの身体は、元の地雷系女子コス、フリルとリボン、黒と白、淡いピンクの髪の絶妙なバランスへと戻っていく。
胸元に、リリアはそっと手を当て、その奥で、魔導研究員としての記憶が、ざわりと揺れる。
「第七分室で……聞いたことがある。虚邪の穢れを操る“何か”――名前までは知らないけど、“教団”って呼ばれてた。人の心を壊して、構造を歪める、って……」
その声は、どこか震えていた。だが、恐怖ではない。“知っている”という確信が、彼女の中で形を成していた。
「今の声……あれは、たぶん、その“中枢”」
リリアの言葉に、仲間たちが静かに頷く。それぞれが、確かに“何か”を感じ取っていた。
「負け惜しみにゃ」
ニャルディアが、ふっと鼻を鳴らす。
「つまり、今回は“勝った”ってことだにゃ」
「ふん、当然だろ。こっちは全員そろってんだ。負けるわけねぇよォ」
ブレンナが肩を回しながら笑い、ヒジカタは静かに頷いた。
「……あの声、ただ者ではなかったでござるな」
ヒジカタが、静かに目を細める。その声音には、確かな警戒と、迅月衆の頭領に鍛えられた者としての経験に裏打ちされた直感がにじんでいた。
「名までは存じぬが……迅月衆の報告書にあったでござる。虚邪の教団、その“中枢”に位置する存在――人の心を操り、構造そのものを歪める、異質な意志。あれは、まさしくそれでござろう」
その言葉に、リリアが小さく頷く。研究者としての記憶が同じ結論に辿り着いていた。
「……でも、今はまだこちらに本格的な干渉はしてこないだろう。おそらく、別の戦線に意識を割いているんだと思う」
ルシエルが、柚葉の肩にそっと手を添えながら言った。その声は穏やかで、けれど確かな確信を帯びていた。
「アーシェス兄上とガルディウス兄上が父上の昔の仲間、六花の金獅子と共に教団の本拠を追っている。今ごろ、別の場所で本格的に交戦しているはずだ。あの思念がこちらに届いたということは――それだけ、追い詰められている証拠でもある」
柚葉は、ルシエルの言葉に静かに頷いた。その胸に、ようやく“今は守られている”という実感が灯る。
「……なら、今は大丈夫だね」
その言葉には、ほんの少しだけ、安堵と希望の色が混じっていた。
慈光院には、確かな“光”が戻っていた。




