第10話 朝露の目覚め――その約束は、光よりもやさしく
柚葉の胸に、まだ淡いあたたかさが残っていた。
窓からそよぐ風が、包帯ごしの手をそっと撫でる。
静けさの中で呼吸を整えるたび、さっきまでぼんやりと揺れていた不安が、少しずつ薄れていく。
ルシエルはそんな彼女の変化を、急かすことなく見守っていた。
声をかけるでもなく、ただそっと寄り添うように。
その穏やかな気配に触れていると、柚葉はようやく――次の言葉を口にする勇気が、胸の奥からゆっくりと湧いてくるのを感じた。
掌の包帯の下で、微かに光る感覚。あの光――本当に、自分の手から放たれたものなのだろうか。
頭を起こすと、ルシエルの柔らかな声が耳に届く。
「起き上がれるようだけど……無理は禁物だよ」
風に揺れる金の髪が、朝日を受けてきらめいていた。
……まるで、光そのもの。
「ル、ルシエル様……」
「“様”はやめて。命を預け合った仲なんだろう?」
「い、いやいやいや、そんな軽く言われても!」
思わず声が裏返る。ほんの少し笑う彼の目が、あたたかすぎて胸が苦しい。
「昨日のあれ……あの光は、いったい……?」
掌を見つめると、白い光がまたかすかに瞬いた。
「きっと、君を救いたいという心が、世界を動かしたんだ」
「世界が……私を?」
ルシエルはしばらく考えるように視線を落とし、やがて静かに、けれどどこか慈しむように言葉を紡いだ。
「“癒し”の光はね、奇跡と同じだ。それは、誰かを救いたいと願う心から生まれる。君がそう願ったから、世界が応えたんだと思う」
……そんなふうに言われたら、泣いちゃうじゃない。
胸の奥が、あたたかく溶けていく。
「でも、ルシエルさ、ルシエルこそ……怪我してたじゃないですか。なのに、あの時ずっと……あたしの手、握ってくれてた」
――言った瞬間、顔が真っ赤になる。しまった。
ルシエルは一瞬目を瞬かせ、それから少しだけ笑った。
「……あぁ。そうだったね。君が戻ってくると信じたかったんだ。……あの光の中で、ずっと」
「~~~っ!! そ、そういうのズルいです!」
「ズルい?」
「はいっ! こっちは寝起きなんですよ!? 朝から心臓止まるかと思いました!」
彼は少し肩をすくめ、どこか楽しそうに微笑んだ。
「じゃあ、心臓を動かすおまじないでもしておこうか?」
「し、しなくていいです! というか、それ絶対違う意味になるやつですから!」
彼の笑い声が、風に溶けてやさしく響く。
……ほんとに、この人ずるい。
しばらくの静けさのあと、柚葉はふと首をかしげた。
「そういえば、ルシエルって……この国ではどんな立場なんですか? 騎士で部下の人たちがいるってことは、もしかして貴族様とか?」
その問いに、彼は一瞬だけ沈黙した。
そして、困ったように、けれどどこか茶目っ気のある微笑みを浮かべる。
「……ユズハ。君、ボクのこと“王子、王子”って呼んでなかった?」
「えっ!? ま、まさか……」
「そう。ボクはヴァルハイト聖王国の第三王子。正式には――ルシエル・レガリア・ヴァルハイト」
「ひ、ひぇぇぇぇ!?!? 本物の王子さまだったの!?」
「いや……てっきり知ってて言ってるのかと……」
「知るわけないですよ!! 私のところでは、ルシエルみたいな人を“王子様”って呼ぶんです!」
「ボクみたいな?」
「い、言わせないでくださいっ!!!」
叫んで、毛布に潜り込む。
耳まで真っ赤。頭から湯気が出そう。
その様子に、ルシエルは喉の奥で小さく笑った。
「……じゃあ、ボクが君の世界でも“王子様”ってことになるのかな」
「~~~~もうっ! そういうこと言うからダメなんですっ!」
「ダメ、か……でも嬉しいよ。君がそう言ってくれるなら」
毛布に潜り込んだ柚葉の慌てぶりに、心が癒されながらルシエルは微笑む。
「ちなみにこの国ではね、王族でない者が“王子”を名乗ったり、称号を詐称したら――不敬罪で、よくて死刑、なんだよ」
よくて死刑!という不穏なワードに毛布を跳ね上げる柚葉。
「よ、よくてって!? じゃ、じゃあ悪かったら!?」
「……聞きたいの?」
「ひぃぃぃ!?!?! 聞きたくない、聞きたくない、聞きたくなあいいいい!!!」
顔を真っ赤にして大慌てする柚葉に、ルシエルは肩を震わせ、静かに笑う。
「冗談だよ、ユズハ」
「じょ、冗談に聞こえませんっ!!」
ぷくっと頬を膨らませながらも、どこか安心してしまう自分がいる。
……ずるい。やっぱり、この人ずるい。
「でも、王子様なら……呼び捨てなんてできないです......ね」
そう呟くと、ルシエルは少しだけ首を傾げた。
「それなら――二人きりの時だけで、いいよ」
「えっ?」
「君が“ボク”を呼ぶ時だけは、名前でいい。……その方が、嬉しいから」
「~~~っ! も、もう……っ! 反則ですから!」
顔を真っ赤にして再び毛布に潜り込む柚葉。
そんな彼女を見て、ルシエルはそっと視線を落とし、微笑む。
「じゃあ、約束だよ……ユズハ」
その声が、まるで祈りのように静かに響いた。
朝の光が、ふたりの間を優しく包み込む。
――距離が、また少しだけ近づいた気がした。
風がまた、カーテンを揺らす。
その音が、まるで小さな鐘の音みたいに響く。
「……王都からの使いが、もうすぐここに来る。“黒の光”を見た王家と神殿が、動かないはずがない。君を“保護”という名で連れて行こうとするだろう」
ルシエルの言葉に、胸がきゅっと締めつけられる。
「じゃあ……離れちゃうんですか?」
毛布から顔だけ出して絞り出した問いかけは、ほとんど囁きだった。
ルシエルはゆっくりと振り返り、陽の光を背に受けながら、静かに言う。
「――ボクが君を必ず守る。たとえ、この国が敵になっても」
その瞳に宿るのは、戦場で見せたあの光と同じ真剣な輝き。
けれど今は、それが“誰かを救いたい”ではなく――“君だけを守りたい”という想いに変わっていた。
胸の鼓動が、静かに重なっていく。
まるで世界が、ゆっくりとふたりの距離を縮めているようだった。
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