第100話 祝福を奪われた夜葬の巫女と、過去に縛られた英雄たち
白金の光と虚邪の瘴気が拮抗する円環。
次の一歩が、戦争になる――誰もがそう理解した、その刹那だった。
闇が、ひときわ深く揺れた。
ルーグ・ヴェルミオンの背後。
まるで夜そのものが、形を持ってにじみ出したかのように、ひとつの影が、音もなく前へと歩み出る。
布擦れの音すらない。気配も、足音も、存在の重みすらない。
それでも――その場にいた全員が、本能で察した。
(……なんだ、これは)
アーシェスの背筋が、氷の刃でなぞられたように強張る。冷静を信条とする彼の心に、わずかなざわめきが走った。
ガルディウスの呼吸が、一拍、遅れる。戦鬼としての直感が、警鐘を鳴らしていた。
オーヴェルスの瞳が、わずかに、だが確かに揺れた。理では測れぬ“何か”を、彼の叡智が捉えきれずにいた。
ドルガンとアウロアは、息をするのを忘れた。長年の戦場でも感じたことのない、異質な“沈黙”が、肺を凍らせた。
夜葬の巫女――セレナーデ・モルテフォール。
深い喪色の法衣。
顔を覆う半透明のヴェール。だが、その奥からにじみ出る“輪郭”だけで――十分だった。
若く、清廉で。それでいて、どこか儚い。
あまりにも、似すぎていた。
誰に――とは、まだ言葉にならない。だが、その姿が放つ“何か”が、全員の記憶を揺さぶった。
まるで、忘れたはずの祈りが、闇の中から呼びかけてくるように。
それは、戦闘前の緊張ではなかったし、刃を交える前の殺気でもない。
――過去が、現在を刺した音だった。
「…………」
ガルディウスの喉が、かすかに鳴る。だが、それは言葉を探す音ではない。
押し殺した感情が、喉奥で軋む音だった。
目の前の巫女を見つめるその瞳は、敵を見るものではなかった。
かつて、何度も見上げた横顔。訓練の最中でも、多忙の中でも、必ず微笑んでくれた――あの人の面影。
「……ふざけるな……」
低く、掠れた声。だが、その奥に宿るのは、怒りではない。それは、魂を焼くほどの“否定”だった。
「……ふざけるなよ……ッ!!」
握られた拳が震える。その震えが、やがて魔剣《グリム=バルムンク》の柄を掴む。
アーシェスが、即座に異変を察した。その表情が、わずかに崩れる。
(……まさか……)
焦りが、胸を突き上げる。
ガルディウスの感情が、ここまで激しく揺れるなど――想定していなかった。
「ガルディウス――待て!」
だが、もう遅かった。
「……この、偽物がァァァァッ!!」
怒号と共に、戦鬼が踏み込む。その一歩は、怒りではなく、咆哮だった。
大地が割れ、衝撃波が円環を震わせる。魔剣が唸りを上げ、虚邪すら切り裂かんとする一撃が――直線に、セレナーデへと叩き込まれた。
それは殺意ではない。
否――冒涜への拒絶。
母の名を。その姿を。想いを。すべてを――穢されたことへの、どうしようもない咆哮だった。
しかし。
その剣先は――止まった。
金属音すら、ない。火花も、軋みも、なかった。
ガルディウスが止めたのではない。セレナーデが、ただ――細い指先で、優雅に、剣の腹を“受け止めていた”。
「……っ!?」
ガルディウスの目が、見開かれる。
魔剣が、止められた? 正面から? 防御も、結界もなく? あの《グリム=バルムンク》が――指先ひとつで?
理解が、追いつかない。否、理解したくない。だが、現実は容赦なく突きつけてくる。
次の瞬間。
ぶつかり合った力の余波が、遅れて爆ぜた。
轟音。そして衝撃波。白金の光と、闇の瘴気が、激しく揺らぐ。
空間が軋み、円環が軋む。まるで、世界そのものが悲鳴を上げているかのように。
そして――風が、走った。
セレナーデのヴェールが、大きく翻る。裂け、舞い上がり、夜の帳の中へと消えていく。
露わになる、素顔。
その瞬間。
時間が、止まった。
透き通るような白い肌。柔らかな輪郭。伏せられた睫毛の影。
そして――ゆっくりと開かれる瞳。
アーシェスの呼吸が、完全に止まる。
「…………母……上?」
絞り出すような声。それは、理性が拒絶し、感情が肯定してしまった、最悪の言葉だった。
オーヴェルスの杖が、かすかに震える。
「……セ……レーネ……?」
あり得ない。存在し得ない。だが――否定するための言葉が、見つからない。
そこに立っていたのは、亡き大聖女セレーネの、若き日の姿そのものだった。
そして――
その下から現れたのは、あまりにも静かで、あまりにも美しい、けれど、どこか“人ならざる”気配を纏った、少女の顔。
その瞳に、怒りも、喜びも、悲しみすらもなかった。ただ、夜のように深く、冷たい静寂だけが、そこにあった。
セレナーデは、ゆっくりと視線を巡らせる。
氷の王子へ。戦鬼へ。老賢者へ。不動の壁へ。ハイエルフの弓魔へ。
そして――その存在を完全に消している、影の観測者・リュウゲツへ。
その瞳は、誰にも何も語らない。ただ、すべてを見ている。まるで、夜そのものが意志を持ち、姿を得たかのように。
その沈黙が、言葉よりも重く、その存在が、光よりも深く――場の空気を、決定的に変えていた。
ふっと――淡く、静かに、微笑んだ。
その笑みは、あまりにも懐かしく、あまりにも優しく、そして、あまりにも――残酷だった。
「……初めまして」
夜葬の巫女の声が、凍りついた空間に落ちる。その響きは、まるで夜露が静かに石を打つように、小さく、けれど確かに、心の奥底を打った。
「――それとも、“久しぶり”と、言うべきでしょうか」
その一言が、六人の心を――深く、深く、切り裂いた。
懐かしさが、痛みに変わり、優しさが、裏切りに変わる。そして祝福が、呪いに変わる。
戦闘は、もう始まっていた。
だが、これはただの戦いではない。剣や魔法で決する戦ではない。
過去と現在が、血と祈りが、信仰と裏切りが――真正面から衝突する、“戦争”だった。
そしてその中心に立つのは、かつての光を映す、夜の巫女。
その微笑みが、何よりも深く、彼らの魂を試していた。
ガルディウス、ヒジカタ、リリア達が出会う短編となります。お時間のあるときにでも、こちらも読んでいただけたら幸いです。
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