第99話(後パート) 守ると決めた瞬間、聖女と光の王子は護衛と共に慈光院へ疾走する
現れたのは、水色と白を基調とした異国の羽織をまとう剣士。鋭く裂けた袖口のだんだら模様。腰には、反りのある大小二振りの刀。
その佇まいは、風のように静かで、刃のように鋭い。
柚葉は思わず、息を呑んだ。
「ヒジカタ……さんも、やっぱり危険の前兆だと思う?」
「左様。虚邪の気配、あまりに整いすぎておる。これは、嵐の前の静けさ――なにを措いても、最優先すべき事態と拙者も見ておる」
そう言って、静かに一礼。その所作には、剣士としての鋭さと、どこか優雅な気配が滲んでいた。
「虚邪の穢れが王都を目指している以上、この場で斬り結ぶは、下策にござる」
すっと、視線が森の向こう――王都の方角へ向く。
「最優先は、慈光院。子どもたちを守ること――それが、拙者たちの務めにござる」
その言葉に、柚葉の胸が強く打たれた。
この人は、今の森を一目見ただけで、すべてを理解している――そう確信できる、静かな説得力があった。
「……うん」
ルシエルも、短く頷いた。
「同意だ。時間がない。このまま直行する」
「え、このまま行くの!?」
柚葉が慌てて声を上げる。
「クラウスさんとセラフリエルさんに連絡は!?」
一瞬の沈黙。
その隙を縫うように、リリアが軽く手を挙げた。
「はーい、それなら私がやるよ」
「え?」
リリアは、なんでもないことのように指先を空へ伸ばす。
詠唱の言葉は、ひとつもない。ただ、空間をなぞるように指を滑らせると――そこに、淡い光がふわりと集まり始めた。
やがて、光は形を変え、二羽の鳥となる。ひとつは白銀、もうひとつは淡紅。どちらも知性を宿した瞳で、静かにこちらを見つめていた。
「行き先、設定完了。クンナ村にいる二人に伝言」
ぱっと手を放すと、鳥たちは音もなく空へ舞い上がり、光の粒となって大気に溶けていった。
「……連絡、完了」
「ほえ~……」
思わず、柚葉の口から声が漏れる。
「リリアって……なんでも出来るんだね!」
その言葉に、リリアは一瞬だけ視線を逸らした。
そして――
「……できることしか、できないよ」
ぽつりと呟いたその横顔に、ふわりと朱が差す。けれど、すぐにくるりと振り返って、いつもの小悪魔スマイルを浮かべた。
「だからね。できることは、全部やる。それが、私のやり方ってことで」
その笑顔に、柚葉は思わず胸がきゅっとなる。
頼もしくて、ちょっとズルくて、でも――とても、優しい。
そして、くるりと指を鳴らす。
「じゃあ――出発前に、準備」
リリアの声が落ちた瞬間、空気が震えた。
魔力が、爆発的に展開する。
それは熱ではなく、光でもない。ただ、世界の“法則”そのものが書き換えられるような、静かな衝撃。
「レベルMAXのバフ、全員に掛けるから」
「なっ――」
ルシエルが驚く間もなく、身体の奥に、確かな力が流れ込んできた。
筋肉が軽くなる。視界が澄み、空気の流れすら読めるような感覚。まるで、世界が味方に付いたかのようだった。
「……これは……」
「第七研究院式・最適化支援魔術、身体能力、魔力循環、反応速度、全部底上げ。効果時間は……慈光院到着まで、ギリギリ持つはず」
リリアは、にっと笑った。
その笑顔には、確かな自信と、仲間への信頼が宿っていた。
「もちろん、慈光院に着いた後は虚邪との戦闘になるだろうから――その時は、あたしの“とっておき”を全員に掛けるよ。楽しみにしててね」
「さぁ。急ご」
ヒジカタが、静かに刀の柄に手を置く。
「……では、参ろう」
その声には、迷いがなかった。
「慈光院へ。虚邪が触れる前に――拙者らが、守るでござる」
風が走った。森の木々がざわめき、道がわずかに開かれる。
(ニャルディア、ブレンナ、それにアンバリーフ……あたし達が着くまで、どうか――慈光院のみんなを守って)
柚葉の想いが、風に乗って遠くへと届く。
その頃――王都の外れ、慈光院。
朝もやを割って差し込む陽の光が、静かに石畳を照らす。子どもたちの笑い声と、シスターたちの祈りの声が余韻のように漂う中――その穏やかな空気に、ふと、異質な“におい”が混じった。
「……ん?」
ニャルディアが、ぴくりと耳を動かした。
灰銀のポニーテールが揺れ、猫のような瞳が鋭く細められる。
彼女の装いは、動きやすさを重視した軽装の冒険者スタイル。黒革のショートジャケットに、太腿までのブーツ。腰には小型の短剣が二本、逆手に抜けるように装備されている。
「……なんか、変なにおいがするにゃ。風の流れも、さっきと違う……」
彼女はすぐに庭の端へと駆け、塀の上に飛び乗った。嗅覚と直感が、警鐘を鳴らしている。
「虚邪の瘴気……でも、ただの流れじゃないにゃ。これ、狙ってる……ここを……!」
「おーい、ニャル! どうした、そんな顔してよォ!」
ブレンナが、裏手の作業場から現れる。
オレンジ色の髪を後ろで束ね、鍛冶師らしい革のエプロンを外したばかり。その下には、動きやすい布鎧と、背中には巨大なハンマー。
「オレもなんか胸がざわざわすると思ったら……やっぱ、そういうことか」
「うん。たぶん、来るにゃ。しかも……ただの襲撃じゃない」
その時だった。
ふわり、と風が止まり、空気が凍るような感覚が走る。
アンバーリーフが、静かに現れた。
琥珀色の毛並みが、夕陽に照らされて淡く輝いている。その小さな体から、ほのかな光が立ちのぼり、空気が震える。
「……!」
ニャルディアとブレンナが、同時に息を呑む。
アンバーリーフの瞳が、まっすぐ彼女たちを見つめた。その瞬間、言葉ではない“想い”が、心に流れ込んでくる。
――危機が迫っている。ただの瘴気ではない。この地に、何かが“仕掛けられた”。
慈光院そのものが、虚邪の教祖によって“罠”に変えられようとしている。
その中心にいるのは、子どもたち。彼らの存在が、何かを呼び寄せる“鍵”になっている。
「……っ、マジかよ」
ブレンナが、ハンマーを地面に打ちつけた。その音が、慈光院の静けさを震わせる。
「ったく、あいつらが来るまでに、ひと暴れってわけか。よし、オレたちで時間稼ぎだな!」
「当然にゃ。柚葉様の大事な場所、絶対に渡さないにゃ」
ニャルディアが、短剣を抜き放つ。その動きは、風のようにしなやかで、鋭い。
アンバーリーフは、静かに目を閉じる。
その小さな体から放たれる光が、周囲の空気を浄化し、慈光院を包むように広がっていく。
――柚葉。ルシエル。それに二人を守護する力強い二つの魂。
早く……来て。この場所を、守るために。
風が、再び走る。今度は、警告ではなく、覚悟の風。
こうして、静かなる戦場にて――三つの光が、立ち上がった。
柚葉は、ぎゅっと拳を握る。
その手に、そっと重なる温もり。
ルシエルが、優しく微笑んでいた。その瞳には、静かな決意と、揺るぎない信頼が宿っている。
「さあ、全速でいくよ。しっかり捕まっていてね」
その言葉に、柚葉は小さく頷いた。不安はある。けれど、もう迷いはない。
(お願い……みんな、無事でいて……!)
決意を乗せて、森が道を開く。
こうして――奇跡の後に訪れる“次の試練”へと、彼らは駆け出した。
静かに、だが確実に。
王都を揺るがす運命の歯車が、回り始めていた。




