第99話(前パート) 守ると決めた瞬間、聖女と光の王子は護衛と共に慈光院へ疾走する
森の奥で、穢れは静かに、確実に増えていく。音もなく、敵意も示さず――ただ、“向かっている”。
その動きには、意志すら感じさせない。けれど、それがかえって不気味だった。まるで、世界の理に従うように、ただ淡々と“侵食”が進んでいく。
柚葉は、ぎゅっと拳を握った。
彼女のその姿は、まるで光を抱くようだった。胸の奥に、あの時と同じ熱が、静かに灯る。
奇跡を起こしたあの瞬間――世界と繋がり、命の鼓動と重なった感覚が、再び彼女の中で脈打っていた。
けれど、それはもはや偶然ではない。それは、彼女自身が選び、受け入れた“在り方”だった。
「……止めなきゃ」
その声は、静かだった。けれど、揺るぎなかった。まるで、夜明け前の空に差し込む一筋の光のように。
「ここで、止めないと……また、誰かが……子どもたちが、それに……せっかく蘇ったクンナ村にも、被害が出る」
その言葉に、ルシエルは彼女を見つめた。
その瞳に宿る光――それは、かつて彼の母、陽光の聖女セレーネが見せたものと、まったく同じだった。
迷いのない意志。
誰かを守るために、自らを差し出す覚悟。そして、絶望の中にあっても、希望を灯す者だけが持つ、静かな強さ。
ルシエルの胸に、何かが強く打ちつけられた。
それは、懐かしさではない。
ただ、目の前の女性が――確かに“聖女”として、そこに立っているという、圧倒的な実感だった。
彼は、そっと息を吸い込む。そして、心の中で静かに誓う。
この光を、絶対に――失わせはしない。
「……ああ」
短く、だが確かに頷く。
「これは、なにがあっても放っておけない。虚邪が“再び、形を持とうとしている”なら――」
剣に、手をかける。その動きは、静かで、そして決定的だった。
「ボクたちが、ここで断つ」
風が、ふたたび森を渡る。
その音は、まるで二人の決意に応えるように、静かに、しかし力強く木々を揺らしていた。
森が、ざわめいた。
それは、警告だったのか。それとも――導きだったのか。
答えは、まだ霧の中にある。けれど、ひとつだけは確かだった。
この静かな異変は、やがて王都を揺るがす“災い”へと変わる。
そしてその中心に、再び――世界の深層に触れた聖女となった乙女が、立つことになる。
奇跡の次に訪れるのは、いつだって試練。だが、柚葉はもう知っている。
大聖堂で授かったあの光は、ただ守られるものではない。それは、恐れに背を向けず、世界の痛みと向き合うために、灯されるものだ。
森の奥で、何かが――邪なるものが、静かに笑った気がした。
それは風の音か、木々の軋みか。それとも、目に見えぬ“何か”の、微かな歓喜か。
森のざわめきが、わずかに変わった。
風向きが切り替わるように、空気の層が重なり直す感覚。
それに、真っ先に気づいたのは――柚葉だった。
「……あれ?」
視線を向けた先。木々の影から、一人、そしてもうひとりの気配が現れる。
気配は抑えられている。けれど、完全には隠されていない。いや、むしろ――最初から“隠す気がない”。
「……リリア?」
思わず、そう呼んでいた。
「うん。正解」
ひらりと手を振りながら姿を現したのは、黒白のフリルに透け感のあるブラウス、左右で色の違うニーハイという、森の景観を完全に裏切る“小悪魔系魔導士”。
「……もちろん私たちは、あなたたちの護衛なんだから見守ってるよ」
にこり、と完璧な角度の笑顔を浮かべる。
「あと本名で呼ばれたら、死ぬからやめてほしい。色んな意味で」
「う、うん……わかった」
即座に頷く柚葉。
その反応に、リリアは少し微笑み、ふっと目を細めた。
「それにしても……やっぱりこの森、変だよ」
声の調子が、わずかに低くなる。さっきまでの軽さが、霧のように引いていく。
「空気の層が不自然に歪んでる。魔力の流れも、地脈の脈動も、どこか“ずれてる”感じ。虚邪の穢れが、ただ漂ってるだけじゃない……何か、もっと根の深い“干渉”が起きてる」
柚葉は、リリアの言葉に静かに頷いた。その言葉には、軽さの裏に確かな“知”がある。それを、柚葉はよく知っていた。
「……やっぱり、来てくれてよかった」
その一言に、リリアは肩をすくめて笑った。
「でしょ? こう見えて“護衛”だからね。ちゃんと役に立たなきゃ、ヒジカタに怒られるし」
その名を聞いて、柚葉の表情が少しだけ緩む。緊張の中に、わずかな安心が差し込んだ。
その隣で、ルシエルは小さく溜息をついた。
「リリア。君の見立てでも、これは虚邪が何か大掛かりなことを仕掛ける前触れだと?」
「んー、まあね」
リリアは肩をすくめ、くるりと指先で髪を巻きながら、視線を森の奥――黒くにじむ魔力の流れへと向けた。
「最近、虚邪の動きが“静かすぎる”って報告、増えてるし。こういう時って、大体ろくでもないのが来るのよ。……で、これはもう研究ってより、現場対応。しかも、最優先クラス」
その声が落ちきるより早く――
しゃらり、と布の擦れる音。
「……拙者も、同意でござる」
低く、落ち着いた声が、森の静寂を割った。




