第97話(後パート) 世界が選び、光が導き、運命は円環に収束する
代わりに――空気が、変わった。
闇が、笑う。円環の外周。
虚邪の穢れが濃く凝縮されたその淵から、乾いた拍手が響いた。
「いやいや……壮観だ」
虚邪の教祖、《ルーグ・ヴェルミオン》。
歪んだ信仰をまとう男は、愉悦に満ちた目で、この“再会”を眺めていた。その瞳は、まるで祝祭の幕開けを見届ける神官のように、狂気と歓喜に濡れていた。
「英雄、大賢者、ハイエルフ、戦鬼、氷の王子に神殺しの王子、そして――聖女」
ひとりひとりを、まるで品定めするように視線でなぞり、最後に、ミレフィーオへと目を細める。
「まさか、ここまで揃うとは。これはもう、舞台が整ったと言うべきだろう?」
その声には、陶酔すら混じっていた。まるで、長年待ち望んだ儀式の完成を前にした、信徒の歓喜。
「これほどの魂が、同時に揃うとは……まさに奇跡だ。邪神に捧げる供物として、これ以上の贄があるだろうか?」
彼の背後で、虚邪の瘴気がざわめく。まるで、彼の言葉に呼応するかのように、影が蠢く。
「さあ、聖女よ。君の光で、もっと闇を照らしてくれ。その輝きが強ければ強いほど――闇は深く、甘美になる」
その笑みは、狂気の仮面。だが、その奥にあるのは、確かな確信だった。
この“祝祭”は、まだ始まったばかりだと。
その隣。
一歩遅れて、闇の中から現れる影。ヴァルガ=ヴァルハイト。
かつて王家に連なり、今は虚邪に身を捧げた男。
その瞳は、まっすぐにミレフィーオを見据えていた。視線には、血の繋がりも、情も、何ひとつ宿っていない。
「……聖女」
低く、歪んだ声が響く。
「その命……まだ、“鍵”として使えるな。あの方の御座を開くには、やはり君が必要だ」
その言葉に、ガルディウスの拳が音を立てて鳴る。
「……ほざくなよ。今度は、そう簡単に触れさせねぇ。俺の“神殺し”で、その汚ぇ御神体ごと、まとめて滅してやるよ」
その声音は、怒りに満ちていた。だが、それはただの激情ではない。
王子として、そして戦友を守る者としての、確かな殺意だった。
その横で、アーシェスの視線が鋭く細められる。彼の中では、すでに敵が切り分けられていた。
「……ヴァルガ=ヴァルハイト」
その名を呼ぶ声は、氷の刃のように冷たく、鋭かった。
「かつて王家に連なりながら、虚邪に魂を売った裏切り者。“闇に堕ちた王子”として――ヴァルハイト王家の名において、討ち取る」
その言葉に、ヴァルガの口元がわずかに歪む。
笑っていた。それは、血の繋がりを知る者だけが浮かべられる、皮肉と挑発の笑み。
「……君に、それができるのならね。甥よ」
その一言に、空気が凍りつく。
ガルディウスが、わずかに目を見開いた。
「……は?」
だが、アーシェスは微動だにしなかった。その瞳には、すでに迷いはない。
「できるさ。お前が、どれほど堕ちようと――その血が、我が王家の名を汚すなら、斬るまでだ」
氷の王子の声が、静かに響く。
それは、王となるべき者としての矜持。そして、家族を守る者としての決意だった。
だが――
誰よりも静かに、その場を見つめていた者がいた。
ルーグとヴァルガの背後。
闇の帳に溶け込むように、気配すら感じさせず佇む影。
夜葬の巫女――セレナーデ・モルテフォール。
その存在に、まだ誰も気づいていない。まるで、最初から“いなかった”かのように。
それが、彼女の“在り方”だった。
夜そのもののような瞳が、静かに揺れる。ミレフィーオへ。
その傍らに立つフィデス・イルヴァへ。そして――天を貫く白金の光へ。
(……これが……“在り方”……?)
理解できない。
否――理解しては、ならない。
自分は“終わり”を司る者。光を見上げる資格など、最初から与えられていないはずだった。
けれど――
その光は、あまりにも確かだった。ただ在るだけで、世界を変えてしまうほどに。
(……なぜ、私は……)
目を逸らせない。
逸らすべきなのに。
その背に宿る祈りが、胸の奥を軋ませる。
(……なぜ、こんなにも……)
言葉にならない感情が、静かに芽吹いていた。それは、夜に差し込んだ一筋の光。まだ名もない、微かな“揺らぎ”。
彼女は、ただ黙ってそこにいた。
誰にも気づかれず、誰にも知られず――
けれど、確かに“何か”が、彼女の中で始まっていた。
そして。
全員が、同時に理解する。
――ここが、決戦の場だ。
もう、逃げ場はない。誤魔化しも、回避も、赦されない。この円環の中で、すべてが終わり、すべてが始まる。
世界が選び、人が集い、虚邪が姿を現した。
ここに至るまでのすべてが、この瞬間のためにあったのだと、誰もが悟っていた。
次に動くのは、誰か。
その一歩が――戦争になる。
白金の光は、静かに揺れていた。まるで、すべてを見届けるために。
誰が最初に踏み出すのか。誰が、最初の“意志”を示すのか。
その光は、ただ在った。祈りの残響として。世界の証人として。
そして、戦いの火蓋が――静かに、落とされようとしていた。




